『Take The Sadness Out Of Saturday Night』に見える、ルー・リードの影
新作の冒頭、“91”の歌詞に出てくる〈戦争〉とは、もちろん湾岸戦争のことだろう。抽象的な描き方をしているが、ここで言及される〈踊りまくる母親〉のイメージは、実際の母のパーソナリティーに、軍需産業の街ニュージャージーの戦争特需を期待する空気を重ねて、暗喩的に表現したものと読むこともできる（現在もニュージャージーには軍事産業の関連企業が多い）。さらに、この歌詞には母親以外にも元恋人のキャラクターが混ぜられているそう。要素が多く、ともすれば混沌としてしまいそうな歌詞の構成を整えるにあたって、ジャックは外の血を必要とし、日本でも「ホワイト・ティース」や「美について」が翻訳されているイギリスの小説家、ゼイディー・スミスが一役買った。
この“91”には、ジャックがプロデュースを手掛けたチックスのアルバム『Gaslighter』（2020年）のレコーディング中に、たまたまスタジオで部屋が隣り合わせたというニック・ケイヴ＆ザ・バッド・シーズのウォーレン・エリス（Warren Ellis）がヴァイオリンとシンセで参加。ストリングスのアレンジは、これまたジャックが数作で貢献しているセイント・ヴィンセント（St. Vincent）ことアニー・クラークが担当しており、この曲にルー・リードの“Street Hassle”（78年）を彷彿させる緊張感をもたらした。
ルー・リードと言えば、その影を感じるもうひとつの曲が、ラナ・デル・レイをフィーチャーした“Secret Life”。そのままヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『The Velvet Underground』（69年）に収まりそうなナイーヴな曲だが、E-BOWのサステインを活かしたアレンジが独特のエッジを生んでいる。感情を抑えたラナのヴォーカルも効果覿面。ここでの静的な表現は、ジャックがプロデュース陣のひとりとして関わったラナの『Chemtrails Over The Country Club』（2021年）とも通底するものだ。
ボス＝スプリングスティーンとの相思相愛っぷり
そのラナとジャックが共作した“Don’t Go Dark”でのコーラスの盛り上げ方と節回しは、“Chinatown”以上にスプリングスティーン色が濃厚。ここまでやり切れてしまうなら、もうボスの次作のプロデューサーもジャックでいいのでは、と思わずにいられなくなる。“Stop Making This Hurt”、“How Dare You Want More”の高揚感溢れる展開も、ライブでEストリート・バンドが見せる熱狂的なパフォーマンスを思い出させるもの。クラレンス・クレモンス＋アンディ・マッケイ的な存在感を放つエヴァン・スミス（Evan Smith）のサックスは、本作を強烈に印象付ける要素のひとつだろう。
しかしスプリングスティーンをフィーチャーした“Chinatown”ではあえてニュージャージー・サウンド側に振り切らず、ピッチ・ベンドして微妙に揺れるシューゲイズ的なトラック上でボスに歌わせる、というひねり方をしているのが何ともニクい。ジャックがアルバムの曲順を決める際、決して派手ではない“91”が1曲目に相応しいのか、自信を持てず迷っていたときに、〈あえてこれを1曲目にするべきだ〉とプッシュしたのもスプリングスティーンだったそう。謎なほど心が通いまくっている様子の大先輩とは、今後も何らかのコラボが期待できそうだ。
高揚感のある曲も多いなかで、ラスト2曲“Strange Behavior”、“What’d I Do With All This Faith?”の空虚さは、まるで熱冷ましだ。“What’d I Do With All This Faith?”で歌われる〈信じてきたものが実はからっぽだった、これからは何を信じたらいいのか〉という迷い。そのなかで、答えも解決策も見出せないままアルバムはぼんやりと終幕を迎える。聴後感は決して軽くない……いまだ出口が見えないコロナ禍のなかで聴くと、なおさらだ。
