低音質化が進む今こそ高音質を
ところが2000年代の後半にSACDとDVDオーディオは共に大きく後退し、新作ソフトを出さなくなるレコード会社も増えた。業界が目論んだ〈CDが次世代CDに取って代わる〉という大規模なシフトは幻に終わり、それ以後は高音質を追求する少数のユーザーからなるニッチな市場で生き延びることになった。広く普及しなかった原因は複数あって、対応プレーヤーを買わなければ聴けない、使い勝手が既存のCDから大きく進歩しなかった、日本国内でサラウンド再生が関心を集めなかった、そして音質に関しては発展著しいリマスターCDで一定の満足感が得られるようになったことなどが挙げられる。
しかし、ここで強調しておきたいのは〈CDはどこまで行ってもCDであるに過ぎず、規格が持っている限界を超えることはできない〉という事実だ。市場での評価は別として、SACDやDVDオーディオを作り出した考え方自体は間違っていなかった。そして現在にあっても、その考え方は依然として正しい。しかし現実はといえば、大多数のリスナーは高音質よりも手軽さを選択した。ネットの発達もあってMP3やYouTubeなどで音楽を聴く機会が増え、むしろ低音質化が進んでいる。PCやネットの普及によって、人が音楽を聴く時の音質の平均値はCD全盛時代に比べて下がったと考えざるを得ない。
SACD化に尽力したワーナーのディレクター
ワーナーが制作・発売したDVDオーディオは優れたソフトが多かったにもかかわらず全作品が廃盤となり、復活の目は無くなった。近年、新作のDVDオーディオは豪華ボックスセットに同梱される特典などの形で散発的に制作されるに留まっている。事実上の後継規格であるBlu-rayオーディオにも、大きな動きは見られない。
ワーナーグループ内部ではDVDオーディオが黒歴史となったが、SACDグループへの対抗意識が残っているせいか公式にSACDを発売した例は世界的にほとんどなかった。唯一の例外が日本で、ワーナーミュージック・ジャパンだけが積極的にSACDを発売している。今でこそEMI系クラシック音源を日本の東芝EMIがSACD化(これも日本独自のケース)していた流れをワーナーが引き継ぐ形でコンスタントに発売しているが、それ以前はワーナーが所有する音源を自社でSACD化するなんて言語道断、常識では考えられなかった。
それなら、なぜ『Hotel California』のSACDが発売されたのか? 日本のワーナーでDVDオーディオを担当していたディレクターが〈せっかくDVDオーディオ用に作った高品位なマスターがあるのだから、それをSACDに移植すれば復活させられる〉と考えたのだ。再生用ハードの状況などを見れば、DVDオーディオをそのまま再販するよりもSACDに衣替えする方が現実的である。もともと彼の信念は〈CDよりも良い音質でリスナーに音楽を届けたい〉というもので、企業間の規格戦争には囚われていなかった。通り道が違っても目的地は一つだったのだ。そこで10タイトル限定ながら〈DVDオーディオのSACD化〉が実現した。その筆頭が『Hotel California』である。このSACDは2011年に発売されてから今日まで廃盤になることなく販売が続いており、隠れたロングセラーと言える。日本限定の商品とはいえ、海外のリスナーもかなり買っているはずだ。この音質を手に入れるには、日本盤を買う以外に方法がないのだから。
本作を含めて、この時に発売されたSACDに付けられた金色の帯にご注目いただきたい。これは今から40年近く前、ワーナーが国内で初めて洋楽CDを発売した当時の帯(通称:金シール帯)を再現したものだ。これには〈評価の高い名作アルバムに、新しいメディアで触れる興奮を再び体験してほしい〉というメッセージが込められている。また、ディスク印刷面やブックレット等にはDVDオーディオ盤のデザインがアレンジして生かされた。
〈音の遺産〉となったDVDオーディオ用マスター
『Hotel California』SACDの原型となったDVDオーディオ盤はアメリカで2001年末に発売されたが、これが重要な商品になることは制作する前から分かりきっていた。なにしろ将来の音楽ソフト市場を制覇する次世代CDの市場で看板商品になるのは間違いなかったからだ。21世紀に向けて決定的なバージョンを作ろうとした意気込みが再生音から伝わってくる。しかも、まだレコード業界が元気いっぱいで、お金も人材も潤沢だった時期だ。当時と同じ作業をこれから再びやってのけられるとは考えにくい。これは文字通り〈音の遺産〉である。
2チャンネルステレオのミックスは、規格に具わった最高スペックの192kHz/24bitで収録した。当時の家庭用としてはこれ以上望めない数値だ。SACDに移植しても規格上のヘッドルームがギリギリ間に合うかどうか、という線である。また、副次的な要素なのであまり注目されないが、DVDオーディオ用に作った192/24のマスターからダウンコンバートして作ったCDは、このSACDハイブリッド盤のCD層が世界唯一のもので、他では聴けない。たとえSACD対応プレーヤーが使えなくとも、ハイブリッド盤のCD層を再生するだけで一定のメリットが得られる。〈CD規格にしては〉との但し書きが付くものの、この音も実に素晴らしい。
2017年には『Hotel California』40周年記念ボックスが発売された。それまで未発表だったライブ音源が付加されたが、本編であるスタジオ録音のBlu-rayオーディオ盤にはDVDオーディオ用マスターがほぼそのまま流用された。15年経っても充分に通用すると制作スタッフが認めるクォリティーだったわけだ。テクノロジーの進歩が速い現代において、この成果は賞賛に価する。