ストリーミングサービスの浸透やレコードの復活。聴き方が多様化したいま、〈音楽を高音質で聴きたい〉という方も増えています。そこでタワーレコードがおすすめしているのが、SACDというフォーマットです。そのSACDの楽しみ方をお伝えしているのが、この連載〈SACDで聴く名盤〉。今回取り上げるのは、言わずと知れたポップミュージックの大名盤、マイケル・ジャクソンの『Thriller』(82年)です。40周年盤がリリースされたことも話題の本作の、モービル・フィデリティ・サウンド・ラボから発表された新たなSACDの魅力とは? 音楽やオーディオについての執筆で知られる嶋護さんが綴ります。 *Mikiki編集部

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タワーレコードのYouTube動画〈高音質のCD? 「SACD」とは《Q&A編》〉

MICHAEL JACKSON 『Thriller (Mobile Fidelity SACD)』 Epic/Legacy(2022)

 

センセーションを巻き起こした記録的なアルバム

80年代初頭のアメリカでレコード産業は不振にあえいでいた。82年に制作されたマイケル・ジャクソンのアルバム『Thriller』で、プロデューサーのクインシー・ジョーンズとミキシングエンジニアのブルース・スウェディーンが目指したのは、ラジオで曲を耳にした人たちの足をレコード店に向けさせるような音楽だった。

『Thriller』は82年12月に発売されると、たちまちセンセーションを巻き起こした。そして、収録された9曲のうち7曲がシングルカットされ、そのすべてが全米トップテンにチャートインした。総売り上げ枚数は全米で3,000万枚、世界全体では7,000万枚と言われ、オリジナルアルバムとしてはアメリカの歴史上もっとも売れたレコードとしてギネスブックに認定されている。各国盤、レコード、テープ、カセット、8トラック、CD、配信、さまざまな再発などそのバリエーションは600を超えると言われる。

 

ベストと呼べるCDはすでに存在するが……

初回盤のレコード(QE 38122)は、バーニー・グランドマンがマスタリングした。このマスタリングは『Thriller』に比類ない躍動感と息吹をあたえ、その性格を決定づけたものだった。デジタルでは、初期の国内盤CD(35・8P-11)と、グランドマンが再びマスタリングしたSACD(米盤国内盤)は、性格は違えどともにベストバージョンと呼べる傑作だった。

2022年12月、エピックは『Thriller』の40周年記念盤をリリースした。それとパラレルであるかのように、モービル・フィデリティ・サウンド・ラボ(MFSL)からはSACDが出た。すでに述べたように満足すべき音のCDが存在するというのに、新しいMFSL盤の存在意義はどこにあるのか。

 

立体的な楽器のリアルな感触とそれを取り囲む空間

『Thriller』の制作者たち2人はともにアカデミックなクラシックの教育を受け、古典的なジャズをルーツとしていた。ある時スウェディーンは、「『Thriller』の特徴を一言で」と訊かれ、「並外れて音楽的」と答えた。その言葉は何に裏書されていたのか。それが、24トラックテープレコーダーを複数同期させたアキュソニック・レコーディング・プロセスだった。

スウェディーンがいわば無数のトラックを必要としたのは、彼が一つの楽器ごとにワンポイントステレオマイクで収録していたからだった。こうすると12の楽器だけでトラックは埋まってしまうが、彼が求めたのは、このような〈原始的〉テクニックを駆使することで得られる立体的な楽器のリアルな感触と楽器を取り囲むディメンショナルな空間の存在だった。クインシーとスウェディーンは、マイケルを手がける前に、デューク・エリントンやカウント・ベイシーの録音に携わっていた(2人のコラボが始まったのは1954年だった)。スウェディーンは言う。「若いエンジニアはレコードの音を参考にしてはならない。アコースティック楽器が現実の空間で演奏されるコンサートの音を参考にすべきだ」。