©︎CUPID Productions Ltd.1970

1968年という特殊な年を描く
ゴダールとローリング・ストーンズの「ワン・プラス・ワン」

 1968年は特殊な年だった。ベトナム戦争で大勢の人が殺される残酷な場面がテレビで放映されるようになり、デモは暴力的にエスカレートしていた。この年に世界中の都市で学生運動があった。ニューヨークでは小学校さえも閉鎖していた。68年に行った社会運動、ブラック・パンサー、マルクス主義の活動家の5つのフィクションとローリング・ストーンズの“悪魔を憐れむ歌”のレコーディング風景が交差するドキュメンタリー・タッチの映画をゴダールは製作した。

 映画はミック・ジャガーがブライアン・ジョーンズに“悪魔を憐れむ歌”を教えるところから始まる。最初はディラン風のフォーク。キースがサンバのリズムにするといいと提案して、キースはベースに移る。ストーンズは、この1曲を何度も練習してスタジオで曲に変化を与えながらレコーディングしている。中々仕上がらない。何度もやり直す。スタジオに緊張感があふれている。ブライアンは、この録音の後に、彼がリーダーとして始めたストーンズからクビになり、この1ヵ月後に亡くなってしまう。レコーディングでは無視されていて、彼の演奏はミキサーからも聴こえてこない。こうしたレコーディング風景の間に5つのフィックションがある。

©︎CUPID Productions Ltd.1970

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 一つ目は次の通り。武装した黒人達が古自動車の廃品置き場にいる。一人の黒人が本を読んでいる。白人達はブルースやロックンロールなどを黒人文化から盗んで自分のものにしたと読む。次に別の黒人が別の本を読んでいる。それは白人の女を好む黒人が書いたとされる文章。その間に拉致された白い服を着た白人の女性達が連れられて、ライフルで撃たれてしまう。最後に黒人解放運動家の言葉を唱える二人の黒人がいる。黒人の75%はゲットーに住んでいると語る。黒人達と白人達は同じ言語を使っていても全く違う意味で使っていることが多いと彼は言う。

 “悪魔を憐れむ歌”では、イエス・キリストの処刑の時にも、ナチスの電撃戦の時にもいた、私をルシファーと呼んでくれとミックは歌う。〈ケネディー家を殺したのは私ととあなただ。〉〈全ての警察も犯罪者であり、罪人は聖人である。〉こうしたミックの歌詞はボブ・ディラン、ボードレール、とロシアの小説家ミハイル・ブルガーコフの影響が見られると言われている。

©︎CUPID Productions Ltd.1970

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 ゴダールの当時の映画によく出演したアンヌ・ヴィアゼムスキー(中国女)がイヴ・デモクラシーとして登場する。テレビのインタヴューの質問にイエスかノーだけで答えている。

 「共産主義と戦いながら、皮肉にも自分の社会が共産主義的になって行くのだろうか?」「イエス」「セックスが問題になると絶対主義的になって行くのか?」「イエス」

 今見ると当時のレコーディングがどういったものだったかがよく分かるが、アメリカの社会運動は68年からは進化していることも分かる。毛沢東思想は流行らなくなっている。最近では、〈左翼と右翼〉という言葉はもう古く、〈forward(前方)〉という言葉を2020年の民主党の候補だったアジア系アメリカ人のアンドリュー・ヤングが言うようになった。この映画でゴダールは68年の社会問題を考えさせる映画をロックと共にリアルに作りたかったのだろう。

 


CINEMA INFORMATION
映画「ワン・プラス・ワン」

監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ザ・ローリング・ストーンズ ミック・ジャガー/キース・リチャード/ブライアン・ジョーンズ/チャーリー・ワッツ/ビル・ワイマン/アンヌ・ヴィアゼムスキー(日本劇場初公開:1978年11月1日)
配給:ロングライド(1968年|イギリス|101分/原題:ONE PLUS ONE 字幕翻訳:寺尾次郎)
2021年12月3日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマほか全国順次公開
https://longride.jp/oneplusone/