Page 3 / 3 1ページ目から読む

『Kid A Mnesia』は不眠がもたらす孤独と鋭敏な感覚に似ている

本作に漲る緊張は、〈どんなにがんばっても上手くいかない〉という苛立ちの感覚を、極めて繊細に表現している。たとえばその苛立ちは、不眠の状態に似ている。日中どんなに充実した時間を過ごしても、真夜中の不眠は唐突にやってくる。体は疲労しているのに意識は冴えており、なにをしても安らかになれず、苛立ちばかりが渦巻く。冷たい静けさの中で声を荒げることもできず、押し殺した、だれにも向けられない怒りを持て余す。なぜ、人々が無意識の安らぎに包まれているときに、罰を受ける罪人のように一人で不穏な時を過ごさねばならないのか。なぜ、自分の体と意識が一致しないのか。“Everything In Its Right Place”の言葉が、音の快楽と喧嘩している。“Pyramid Song”の険しい美に、ふぞろいな言葉が苛立っている。『Kid A Mnesia』の緊張した不機嫌さは、不眠の孤独な怒りに最も近しい音楽だ。

不眠の音楽であることは、ただ怒りに満ちていることを意味しない。不眠の時間の緊張は、外界に対する認識や他者への感受に、鋭敏さを与える。〈私〉を取り巻く、〈世界〉と名付けられた現象への解像度が上がる。思想や表現は、おそらく不眠の体験から立ち上がるものだ。

不眠だけではない。私という存在がアンコントローラブルであることを実感したときに、表現は新たな形をとる。比類なき感覚を授かる。“I Might Be Wrong”の乾いたギターリフにまとわりつく電子ノイズは、新たな覚醒の合図だ。“Kid A”の冷たい鍵盤に乗っかるブレイクビーツは、苛立ちの中から現れる快活さだ。“How To Disappear Completely”でポリリズムを織り成し、“Dollars And Cents”でリフレインを揺り動かすコリン・グリーンウッドのベースのしなやかさは、憂鬱に苦しむ人を鼓舞する。『Kid A Mnesia』は、強いられた痛みのうちに、新たな悦びの可能性を探り当てようとする作品なのだ。

『Kid A Mnesia』収録曲“I Might Be Wrong”

双子アルバムの緊張感は、おそらくレディオヘッド自身が選択して作り上げたものだ。今回新たに発表されたアウトテイク集の曲は、もっと素直な表情を示している。“If You Say The Word”にしろ“Follow Me Around”にしろ、率直なフィーリングを聴く者に伝える。“Pulk/Pull (True Love Waits Version)”の、すべてが充たされていくような安らぎはどうだ。それは素晴らしい音楽だが、当時のレディオヘッドが捉えようとしていた感覚には合わない。だから、彼らはこうした楽曲をアルバムから弾いたのだろう。

『Kid A Mnesia』収録曲“If You Say The Word”

あらゆる行為にごつごつした違和感を覚えてしまう不器用な人間のために、どんなに努力しても痛みから逃れられない我々のために、『Kid A』と『Amnesiac』は鳴らされる。その音が、レディオヘッドというバンドのある才能の横溢と、別の才能の欠如の組み合わせによって生まれたという事実が、一つの福音のように今は感じられる。

★連載〈レディオヘッド『Kid A Mnesia』と私〉の記事一覧はこちら

 


RELEASE INFORMATION

RADIOHEAD 『Kid A Mnesia』 XL/BEAT(2021)

リリース日:2021年11月5日
配信リンク:https://radiohead.ffm.to/kid-a-mnesia

■国内盤3CD
品番:XL1166CDJP
価格:3,850円(税込)
国内盤特典:歌詞対訳・解説付/ボーナストラック5曲収録
高音質UHQCD仕様

■輸入盤3CD
品番:XL1166CD
価格:3,190円(税込)

■限定盤3LP(レッドヴァイナル)
品番:XL1166LPE
価格:7,690円(税込)

■通常盤3LP(ブラックヴァイナル)
品番:XL1166LP
価格:7,690円(税込)

■日本盤3CD+Tシャツ
品番:XL1166CDJPT1
価格:8,250円(税込)
サイズ:S-XL

■限定レッドヴァイナル+Tシャツ
品番:XL1166LPET1
価格:12,090円(税込)
サイズ:S-XL

TRACKLIST
Disc 1 - Kid A
1. Everything In Its Right Place
2. Kid A
3. The National Anthem
4. How To Disappear Completely
5. Treefingers
6. Optimistic
7. In Limbo
8. Idioteque
9. Morning Bell
10. Motion Picture Soundtrack

Disc 2 - Amnesiac
1. Packt Like Sardines In A Crushd Tin Box
2. Pyramid Song
3. Pulk/Pull Revolving Doors
4. You And Whose Army?
5. I Might Be Wrong
6. Knives Out
7. Morning Bell/Amnesiac
8. Dollars And Cents
9. Hunting Bears
10. Like Spinning Plates
11. Life In A Glasshouse

Disc 3 - Kid Amnesiae + b-sides
1. Like Spinning Plates (‘Why Us?’ Version)
2. Untitled v1
3. Fog (Again Again Version)
4. If You Say The Word
5. Follow Me Around
6. Pulk/Pull (True Love Waits Version)
7. Untitled v2
8. The Morning Bell (In The Dark Version)
9. Pyramid Strings
10. Alt. Fast Track
11. Untitled v3
12. How To Disappear Into Strings
13. Kinetic *
14. Fast-Track *
15. Cuttooth *
16. The Amazing Sounds Of Orgy *
17. Trans-Atlantic Drawl *
*日本盤ボーナストラック

 


PROFILE: 伏見 瞬(ふしみ しゅん)
東京⽣まれ。批評家/ライター。⾳楽をはじめ、表現⽂化全般に関する執筆を⾏いながら、旅⾏誌を擬態する批評誌「LOCUST」の編集⻑を務める。〈ゲンロン 佐々⽊敦 批評再⽣塾〉第3期、東浩紀審査員特別賞。初の単著『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』が2021年12⽉17⽇に刊行された。