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“見えないルール”を馬渕啓のギターソロが突き破った瞬間

この日のライブは、2020年の12月と同じく2回公演。2回ともセットリストは同じで約80分程度が予定されていた。80分という設定は、フェス出演よりは長いが、かつてのワンマンよりは短い(それでも2回合わせると3時間近い)。観ている側としては、このタイム感には好印象がある。スタートからエンディングまでライブの流れをシンプルに作りやすいのではないか。前半、中盤、後半、アンコールとぶつ切りにならず、ひとつのうねりとして連なっていくという感覚だ。

たとえばこの日は、ヨ・ラ・テンゴ/ダンプのジェイムズ・マクニューが2017年に7インチシングルのためにリミックスした“なくした”の実演版から、これも新アレンジの“フェンスのある家”というオープニングも新鮮だった。ライブでアレンジが変わってゆくのはオウガではよくあることだし、そのチャレンジにはいつも気持ちが動く。だが、新しい演奏を聴きながら感じた〈?〉や〈!〉を、この日は演奏が終わる瞬間まで持ち越せたという実感があった。

それを象徴していたのが、圧倒的な音像ですっかり場を支配した“朝”からの本編ラスト“見えないルール”。このつなぎ自体はわりとあるものだが、終盤、馬渕啓のギターソロに入ってからの様相がまったくいつもと違った。そもそもこの曲での馬渕のソロ自体が、近年はロックギターのルーティンから大きく逸脱したものになっているのだが、この日は完全にアンサンブルのレールから外れてしまい、バンドが一瞬だけ見合ったようになった。変なたとえかもしれないがまるで大相撲の立ち合いのように、馬渕のギターが突き破った場所で出戸学も、清水隆史も、勝浦隆嗣も、息をのんで見合った瞬間が確かにあった。

音が止まってしまったわけではない。時間にしたら0.1秒もなかったかもしれない真空状態。〈え? どうなるの?〉と誰もが思った。だが、そこから生まれたのは予想もしていなかった脱線で、緊張がほどけたミニマルなジャムのようなエンディング。だが、足取りはおぼつかなくても、音楽は先に進んだ。誰かがそんな意図で組んだセットリストではなかったのだろうに、最初の“なくした”につながって着地したような不思議な感動があった。そこには知らない音楽が生まれた瞬間があった。

 

脱線ではなく脱皮

ライブ終了後、出戸と話す機会があった。“朝”の音像がすごすぎたことを伝え、もうひとつ強く感じたことを付け加えた。〈普通なら“朝”みたいなものすごい時間があるとそれでライブは終わりになるものだけど、オウガは「その次」ができるんだな〉と。出戸は馬渕と顔を見合わせて笑った。〈あれで終わったらかっこよくなっちゃいますよね。オウガはもっとユーモアというか、“見えないルール”みたいな曲で終わるのがいい〉。会話を録音していたわけじゃないので記憶からの引用だが、出戸が確かにそんな意味のことを言ったのを聞き、ハッとした。そして、とても心強く感じた。

楽屋では、そこから馬渕や勝浦も交えて今夜の“見えないルール”のハプニング的なエンディングについてひとしきり話が盛り上がっていった。不安が通奏低音として無意識に埋め込まれてしまった世の中で、“見えないルール”の歌詞もグルーヴも、今夜生まれた新しいエンディングも、違う意味を持ち始めていくだろう。この夜、あの曲は脱線したのではなく、きっと脱皮したのだ。

LIQUIDROOMを出て恵比寿の街を駅まで歩く途中、アンコールで聴いた“夜の船”がしばらく頭のなかでふわふわとこだましっぱなしだった。

 


SETLIST
1. なくした(James Mcnew remix ver.)
2. フェンスのある家
3. 寝つけない
4. ムダがないって素晴らしい
5. 素敵な予感
6. わかってないことがない
7. また明日
8. はじまりの感じ
9. 他人の夢
10. 朝
11. 見えないルール

ENCORE
夜の船