記録的な成功を収めたデビュー・アルバム『Come Away With Me』が20周年を祝う豪華盤で登場。こんな時代だからこそ耳を傾けたい穏やかな歌世界がここにある……
去る4月4日に行われた第64回グラミー授賞式の記憶も新しいが、近年の同賞が賞レース的な意味での盛り上がりを極めたのは主要4部門をビリー・アイリッシュが独占した第62回だろう。もちろん主要4部門のうち〈最優秀新人〉だけは一度しかチャンスがないため、これらを独占したのはビリーとクリストファー・クロス(第23回)の2人だけである。ただ、それに限りなく近い例として第45回グラミー賞でのノラ・ジョーンズの主要4部門独占が報じられたことを記憶している人も多いかもしれない。厳密にはソングライターに授与される〈最優秀楽曲〉部門は彼女個人が受賞対象ではなかったのだが、弱冠23歳だったノラとそのデビュー作『Come Away With Me』、そしてジェシー・ハリス作の“Don’t Know Why”はノミネートされた8部門すべて受賞するというグラミー史上に残る快挙を演じた。これは単なる記録の話だが、彼女の作品がそれ以上の鮮烈な記憶を残しているのは確かである。
もともと90年代末にジェシー・ハリスやリー・アレクサンダーらとバンドを結成したノラ・ジョーンズは、2000年10月にブルーノートでデモテープを録音。この音源を社長のブルース・ランドヴァルが聴き、翌年1月にはブルーノートと契約を果たしている。5月からはクレイグ・ストリートのプロデュースでNYのオールエアー・スタジオにてアルバムの録音を開始。ただ、この通称〈オールエアー・セッションズ〉の録音はランドヴァルの意向で大半がお蔵入りし、8月からは大御所アリフ・マーディン(アレサ・フランクリン、ロバータ・フラック他)のプロデュースで再度レコーディングが行われた。結果的にはこの名匠との録音を軸に(オールエアーでの録音も手を加えて3曲のみ収録)完成したファースト・アルバム『Come Away With Me』は、2002年2月にリリースされる。
同作におけるノラの音楽性はトラディショナルなシンガー・ソングライター然としたフォーク風味のアコースティック・ポップといった雰囲気で、ビル・フリゼールら演奏陣の顔ぶれもあってジャズやソウル、カントリーのフレイヴァーもメロウに織り込まれてはいたが、当時としてはその素朴さが逆に個性となったのかもしれない。そして、前年の9月11日に起きた同時多発テロの影響も色濃く残るなか、こうした音楽が受け入れられる素地は当時のアメリカに広がっていたはずで、彼女独自の優しく深いヴォーカルはやがて多くの受け手に浸透していくことになった。
そんな静謐さや穏和さ、ゆったり耳を傾けられる包容力……社会が音楽に癒しや安心を求めたタイミングだったからこそ、グラミーにおいて『Come Away With Me』が高く評価されたのも納得だ。件の第45回グラミー賞では絶頂期のエミネムやネリーが主要部門をすべて逸し、アヴリル・ラヴィーンやアシャンティも新人賞を逃している。実際に『Come Away With Me』が全米チャート首位に登り詰めたのはリリースから約1年経った2003年1月のことで、グラミー効果が数段上の世界的なブレイクをノラに授けたのは言うまでもない。
で、同作の影響下にあるジャジーなアコースティック・ポップが普遍的なものとなる一方、ノラは当初の作風に止まらぬ音楽性を拡張し続けて……今年で20年。このたび届いた〈20th Anniversary Edition〉は、歴史的名盤を先述したような成り立ちから楽しむことのできる貴重な音源集となっている。3枚組のうちDisc-2にはブルーノート契約前のデモ音源が17曲収められ、そのうち『First Session』として世に出たことのある6曲以外はすべて今回が初出の未発表音源(先行配信されたレイ・チャールズのカヴァーもここに収録)。さらにDisc-3にはクレイグ・ストリートとの〈オールエアー・セッションズ〉の模様が収録され、こちらも13曲のうち11曲が完全未発表だった興味深い音源だ。
世界規模で社会不安が蔓延する現代と20年前の状況を繋げて何かを語るのはあまりにも安直かつ不謹慎だとしても、この穏やかな傑作『Come Away With Me』に紡がれた独特の音世界が20年前と変わらないひとときの癒しや安心を約束してくれることだけは間違いないだろう。
デビュー20周年を記念してSHM-CDでリイシューされるノラ・ジョーンズの作品。
左から、2004年作『Feels Like Home』、2007年作『Not Too Late』、2009年作『The Fall』、2010年のコラボ編集盤『...Featuring』(すべてBlue Note/ユニバーサル)
20周年を記念した最新リマスタリングによるオリジナル本編のDisc-1に加え、完全未発表のデモ音源11曲を含むDisc-2、完全未発表の11曲を含むセッション音源をまとめたDisc-3の3枚組。日本盤のみSHM-CD仕様