2020年のシングル“Billy”でまたたく間にロックファンの心を鷲掴みにした米シカゴ出身のトリオ、ホースガール。国際的な注目を集めるなか、名門マタドールからリリースした待望のデビューアルバム『Versions Of Modern Performance』は、〈タワレコメン〉に選ばれるなど国内外で絶賛されている。10代でありながらも過去のオルタナティブロックやインディーロックに通じるサウンドを生み出せる理由とは? そして、Z世代の3人はギターロック/ギターミュージックをどうやって再生させるのか? ライターの天井潤之介が綴った。 *Mikiki編集部
80、90年代に憧れるZ世代のティーンエイジャー
ホースガールのデビューアルバムについて、アメリカの音楽メディアのピッチフォークはレビューでこう書いている。「『Versions Of Modern Performance』は、1997年、あるいは1987年に発表されたとしてもおかしくない、というのは褒め言葉だ。なぜならまったくその通りなのだから」。
2022年の〈今〉の作品に対して、20年前だ30年前だどうこうといった言い方は、いくら〈褒め言葉〉としつつも良い印象を与えるものではないかもしれない。しかもホースガールのメンバーは、3人ともZ世代の真っ只中を生きるティーンエイジャーたち。
ただし反面、彼女たちにとって自分たちの音楽が80年代や90年代の作品と肩を並べて語られることは、願ったとおりというかまんざらではないのもまた正直なところではないかと思う。
というのも、ホースガールはそもそも、お気に入りのマタドール・レコーズのアーティストの話で意気投合した3人が、ノーウェーブやシューゲイザーを再発見したいという思いで結成したバンドだった――というのはよく知られた通り。キム・ゴードンを究極のロックアイコンとして掲げ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやスロウダイヴのミュージック・ビデオをグループチャットで共有し、「1991: The Year Punk Broke」に収められたソニック・ユースやニルヴァーナの在りし日の姿に音楽を通じた友情のかたちを確かめ合う。そして、ベル・アンド・セバスチャンの美しく潔癖なディレッタンティズムに共感し、ザ・クリーンやグレート・アンウォッシュドといったニュージーランドのカルトレーベル、フライング・ナン・レコーズのバンドに愛情を注ぐ彼女たちは、「今はもう存在しないバンドやシーンがあって、それに私たちは夢中なんです。自分たちが経験できなかったことを自分たちも経験したいと思っています」と、80年代や90年代のインディ―ミュージック、オルタナティブシーンへの偶像視を憚るところがない。
ジョイ・ディヴィジョン、ソニック・ユース、MBV……オルタナレジェンドからの影響
そうした意味で、彼女たちの音楽はとてもシンプルでストレートだ。そのデビューアルバム『Versions Of Modern Performance』を聴けば、ホースガールに影響を与えた音楽、バンドやシーンに対する彼女たちの憧れの大きさ、心酔の深さをありありと知ることができる。
ソニック・ユースの“Schizophrenia”を連想させるドラムビートが火蓋を切るメロディックで疾走感に溢れたポストパンクの“Anti-Glory”。ビルト・トゥ・スピルやペイヴメントの面影をたたえたエモーショナルで生々しい“Dirtbag Transformation (Still Dirty)”や“Option 8”。不安定なコードとパーカッシブな演奏がもたらすバンドアンサンブルの揺らぎが『Chairs Missing』の頃のワイアーにも似た“Live And Ski”。
かと思えば、ジャングリーでトゥイーな魅力の“World Of Pots And Pans”は『C86』にパステルズやショップ・アシスタンツと一緒に収録されていてもおかしくない(歌詞ではキュアーやジーザス&メリーチェイン、ギャング・オブ・フォー、ベル・アンド・セバスチャンの歌詞や曲のタイトルが引用されている)。ギターインプロビゼーションの“Bog Bog 1”はさながらマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのデモかローファイバージョンといった趣で、同じくインタールード的な“Electrolocation 1”、“The Guitar Is Dead 3”は、ヨ・ラ・テンゴの『Electr-O-Pura』や『I Can Hear The Heart Beating As One』で知られるロジャー・モウテノットだったりデイヴ・フリッドマンのプロデュースワーク、あるいはジョイ・ディヴィジョンにおけるマーティン・ハネットによるサウンドスケープにも通じるサイケデリアやアンビエント的な音響意識を窺わせる。