新作が届けられるたび、岡田拓郎という音楽家の才能には心底驚かされる。バンド〈森は生きている〉時代から粘り強く続けてきた、ロック/ポップスという枠組みの愛にあふれる刷新は、その都度ファンの厚い信頼を勝ち得てきたわけだが、彼の活動のもうひとつの太い軸として、フリーインプロビゼーション等、〈前衛的〉な音楽への深いコミットがあったことも忘れてはならない。さらに岡田は、多くの他アーティスト作品でのプロデュース/ミックスワークも高く評価されており、実に多面的な顔を持つ全身音楽家だといえる。
これまで、岡田拓郎のそうした様々な側面を一度に視野に収めようとすると、その活動フィールドの広大さもあって、やや困難を伴うものであった。しかし、約2年ぶりとなるこの新アルバム『Betsu No Jikan』では、彼の中に育まれてきた諸々の志向がいよいよひとつの地平へと集合し、他に類をみない恐るべき深度と広がりをもったレコードとして結晶した。これを聴けば、岡田拓郎という音楽家の凄み、そのほぼ全てがわかると断言したい。そして同時に、その底知れなさに改めて慄くことになるだろう。またしても最高傑作をものにした岡田に、じっくりと話を訊いた。
もう一回好きな音楽をやり直そう、素直にやりたいことをやってみよう
――前作『Morning Sun』(2020年)のリリース時にインタビューさせてもらった時、ポップソングにまつわるあれこれに疲れを感じている、と話してくれたと思うのですが、今回の『Betsu No Jikan』は、やはりそういう意識が出発点になっているんでしょうか?
「そんな話もしましたね。『Morning Sun』の前後から〈言語〉的なものに疲れちゃっていました。自分自身の気持ち的な問題もあって……。ちょうどコロナ禍の前くらいから外に出たくないという気持ちが増してきて。カウンセリングを受けていくうちに広場恐怖症とパニック障害の症状が出ているということがわかって、社会活動が思うようにできなくなったタイミングだったんですね。ライブも観たくないし出たくない、みたいな感じで。
その直後にコロナ禍になったから、意図せず強制的な静養期間になったんです。それを機に、あんなに音楽が好きだったのに、なんでこんなに疲れちゃったんだろうっていうところから考え直して、もう一回好きな音楽をやり直そうという気持ちに移っていきました。周りのことを考えずに、素直にやりたいことをやってみよう、と。その結果がこの作品(『Betsu No Jikan』)にまとまったという感じです」
――インスト曲が基軸になっているのも、通常の〈ポップス〉から離れようとした結果なんでしょうか?
「初めはどんなアルバムにするか決めてなかったので、気づいたらこうなっていたという感じです。けど、〈歌があって言葉がある〉という音楽を日本語で生み出すというのは形式上の強い制約があるので、僕はその中でいつもあがきながら作ってきました。それが自分の音楽のアイデンティティーでありながら、どんどん身を削られる作業になってしまっていたんですよね。そういう意味でも、音楽の外側にある〈言語〉ももちろんだけど、音楽の内側の〈言語〉的なものも排除して、とにかく音にフォーカスする、というところが出発点になりました。
初めに作ったのが“Reflections”なんですけど、これは、森は生きているが解散したすぐ後に出来たものなんです。バンド活動のフラストレーションが溜まっていたから、バンドで出来なかったことをやってみようと思って作った曲でした。その時も、〈言語〉からなんとか離れて音楽を作ろうと思っていました。一週間ぐらいかけて自分のインプロに山田光さんにサックスを乗せてもらったり、増村(和彦)※のライブ音源をサンプリングしたり、西田(修大)のギターを入れてもらったり、それをまた編集して曲を作る、みたいなことを2015年の年末にやっていて、SoundCloudにポンとアップしたんです。
その時に、誰かの〈言語〉を借りた誰かのような音楽というより、とても自由な音楽というか、おこがましいけど、ようやく自分の〈言語〉の音楽ができたって感触があったんです。なんだかんだでその後すぐポップスの活動に戻ったのですが、コロナ禍の初期に“Reflections”のデータを引っ張り出したら、〈これ、もう一回できるかな〉と思って。今回収録したものは、それを元に改めて録り直したものです」