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音楽は〈言語〉的なものから離れられない

――先ほど言っていた〈音楽の内側の「言語」〉というのは、具体的には歌詞や記号的な音楽の型みたいなものなのかなと想像できるんですけど、〈音楽の外側にある「言語」〉というのは、要するに批評の言葉や、作品が受容されるときに投げかけられる声とかを指しているんでしょうか?

「そうですね。2020年頃まで結構SNSを見ていたので、そこで交わされる言葉に疲れてしまったのもあると思います。この空間、この時代では、音楽自体がどうやっても〈言語〉的なものから離れられないと思いました。

もちろん、これまで自分自身も音楽について誰かと語り合って得るものはたくさんあったし、音楽に関する本や批評から数えきれないほど多くのことを学びました。けれど、パンデミックによって社会の変質が加速していく中で、音楽がより一層音楽的ではない形で〈言語〉的なものに巻き取られていく感覚を覚えたんです。あらゆる場面でも言えると思いますが、言葉を文字通りの意味の言葉として受け取るのは非常に危うい時代だというようにも感じます」

――それゆえの吹っ切れ感みたいなものをアルバムから強く感じますね。〈アンチ〇〇〉ですらなく、初めからそういったものを視野の外に置いて一瞥もしない清々しさ、というか。

「初めて邪悪な気持ちがない状態で制作できたと思います(笑)」

――(笑)。色んなことを二項対立的に捉えて仮想敵を設定して、それに対するなにくそ精神でやるところから抜け出た、ってことなんですかね。

「20代の頃は〈あの音楽には誠意がない〉とか〈こんな音楽、間違ってる〉みたいなことをどうしても考えてしまっていましたが、そういうことにもう関心はないですね……(笑)。僕は10代の頃にロック文化の洗礼を浴びた最後の方の世代だと思うので、無意識のところで、どうしてもそういう思考が抜けなかったんでしょうね」

 

音楽が水や風、葉が揺らぐような状態になればいい

――既存のスキームの解消ということでいうと、アルバムを通じて、いわゆる〈作曲〉の概念をどれぐらい解体、かつ再構築できるかを実践しているように感じました。通常のポップソング的な〈作曲〉とは違う、曲の〈生成〉をキャプチャーしようとする意識があるように聴こえたんです。イチからコード進行を考えて、メロディーを載せて、アレンジを固めて、みたいなものから離れつつも、どこかで曲の構造自体は担保されていて、完全なフリーインプロビゼーション状態は周到に避けられているのではと。

「実際の制作を進めていくにあたっては、結果的にこういう形になっていったということかなと思います。できるだけ型のようなものから自由になりたいし、あらゆる制約から解放されたいみたいなことは、考えてはいましたが」

とはいえ、〈アナログ的なものとデジタル的なもの〉とか〈コンポーズとインプロ〉みたいな、そういう二項対立的に捉えられがちなものを〈あっちとこっち〉に分けるんじゃなくて、両方の良いところを取ればいいじゃんという考え方が自分の中で定着してきたのはあるかもしれません。

ウェルメイドで完成度の高いポップスを目指す、論理的な裏付けと効率の良さが突き詰められた密室ポップス主義は2010年代に飽和していたと思うんですけど、それを経た2020年代は、自覚的な音楽家ほどそこから自由になっていったと思っていて。考え方も、実際の作り方もそう」

――わかります。

「単純に、当初意図していなかった音が発生してくるというインプロならではの側面があることで、型や手癖から離れられるというのはやっぱり大きいですね。そういう瞬間は、インプロ的な音楽じゃないと実現し得ないというか、むしろ、そのミュージシャンの一番コアな部分が出てくる瞬間でもあるんですよね。それでも出てくる質感や手癖的なものは、シグネイチャーとも言えると思いますし。

一方で、それを録音物として編集していくのも面白くて。やっぱり僕はライブ至上主義者ではなくて、あくまでレコードという録音メディアが好きだから、面白い音楽的瞬間を一枚のレコードに埋め込むことをやり続けたいんだと思います」

――密室ポップス主義的なパラダイムの中で、〈この2つを混ぜ合わせた完璧な構築物を作ろう〉みたいな、コンセプトありきで設計されたものでもなく……。

「さっき出た表現でいうと、〈生成〉されていったみたいな感覚が近いですね。〈アバンギャルドとポップスを混ぜて脱構築してやろう〉みたいなガチガチのコンセプトや、ポストモダン的な方法論とはあまり関係ないと思います。

むしろ、音楽というものが、水とか風とか葉っぱが揺らぐような自然の音……人が手を加えていない、自然がそのまま鳴っている音のような状態になればいいなというのはずっと考えていることで。今回の制作におけるインプロビゼーションというのは、そういう音を発生させる装置という側面で考えていたように思います。

技術的な話をすると、オーディオファイルを自動的に変調させていくプログラムを組むやり方を採用した曲が何曲かあります。例えば、僕のギタードローンとか、あらかじめ録音しておいた水や風の音がプログラムで流動的に変調していくものを聴いてもらいながら、石若(駿)くんにドラムを叩いてもらったり。その後に、そのギターをあえて抜いてしまったり……。だから、一部の曲のベーシックな部分は、実際に自然の音のダイナミズムに依っているとも言えます。〈生成〉という表現は単なる比喩でもないと思いますね」