イーノに共感し、伴走した評論家のドキュメント
1980年代の初頭にブライアン・イーノの存在を知ることになった私にとって、イーノについての情報の多くは阿木譲からのものだった。それは、多くのイーノのレコードの解説が阿木の執筆によるものだったからということが大きい。そして、それが阿木によるものだったからこそ、イーノの作品への関心もより深まって行ったのだと思う。現在ではますます、音楽だけではない諸文化的事象について、その分野の知識だけではとらえきることができない、さまざまなコンテクストを背景にした理解が求められるようになっているが、80年代以降というのは、特にそうした文化的なハイブリッド化が進んだ時代だったのだ(時代はポストモダン)。また、当時はデヴィッド・バーンとのコラボレーションやアンビエント(1982年の『オン・ランド』で終結するが)などによってイーノへの関心が高まっていた時期でもある。その後、1983年には初来日し、東京でインスタレーション展を開催してもいる。そのような中で、イーノのプロデュースした実験音楽レーベル〈オブスキュア〉のシリーズが国内盤で発売されるなど、ミニマル・ミュージックやエスノ・ミュージック、ダダ、コンセプチュアル・アート、サイバネティクスなど、イーノを聴くことが、芸術文化にとどまらないさまざまな周辺分野への接続をうながし、これまでの聴取経験の枠を大きく拡げることになっていった(理解が追いつかなかったとしても)。
「1976年から1979年にかけて、日本でブライアン・イーノについて最も多くのことばを費やしてきたのは間違いなく阿木譲だ」(東瀬戸悟)と言わしめるとおり、阿木は、イーノの解説をはじめて手がけ、評論家としての活動をスタートした1975年の『アナザー・グリーン・ワールド』(当時は『緑世界』という邦題)以降、多くの国内盤解説を執筆した。そして、「ロック・マガジン」でのインタヴューや寄稿など、積極的にイーノの活動に関心をもち、共感を示しながら、インタヴューでは時に率直に、対等な意見を述べるような、ある種フランクな関係も垣間見られる。本書は、阿木と彼のメディアであった「ロック・マガジン」が、いかにイーノと伴走し70年代後半の音楽の変化に鋭敏に反応していたかを、当時の復刻と現在からの考察によってまとめた貴重なドキュメントとなっている。1979年にニューヨークで行なったインタヴュー音源(「ロック・マガジン」誌の付録ソノシートだった)のCDも付属している。