「あえてシンプルなスタンダードを、しかも誰もが知っているポピュラーなナンバーばかりを集めたわけだから、過去の名演と比べられることは避けようがない。それに耐え得るプレイヤーじゃなければ、スタンダード集なんて出しません。平倉初音にはそれだけの力がある。ぼくはそう考えているんです。むろんプレイヤー側にも覚悟が要る。こんなシンプルなスタンダードでアルバムを1枚作るなんて、よっぽど腹を括ってなきゃできません」。
日本ジャズの活力を伝える〈Days of Delight〉のファウンダー/プロデューサーである平野暁臣は、こう力をこめる。設立5年目に入った同レーベルからの新年第1弾は、24歳の気鋭ピアニスト、平倉初音のアルバム『Wheel of Time』。戦前の楽曲を取り上げていることから、タイトルには〈ジャズ100年の歴史が今につながって、これからも続いていく〉という意味がこめられている。80年代から活動する池田篤、井上陽介とのドラムレストリオで、“Days of Wine and Roses(酒とバラの日々)”、“I Got Rhythm”、“Body and Soul”、“Stardust”、“Summertime”といった大有名曲に、新たな息吹を加えている。
ジャズシーンに彗星のごとく現れた平倉初音とは、いったい何者なのだろうか? さっそくインタビューへと進もう。
中学生にして審査を通過、大西順子に師事した10代
――最初にバイオグラフィー的なことをうかがいたいと思います。4歳でクラシックピアノを始めて、10歳からジャズも演奏するようになったのでしょうか?
「実は、10歳になって急にジャズを始めたわけではなくて、その前から、ジャズベーシストの父親(平倉博司)と演奏したり、ドラムをやっている同い年の子と父と3人で〈ほぼキッズバンド〉(笑)みたいなことをやったりしていたんです」
――関西の重鎮ジャズピアニスト、元岡衛さん※の指導も受けたそうですね。
「当時、私はまだ小学生だったけれど、とにかく厳しかったんです。子供だからといっていっさい手加減をしてくれなくて(笑)。
でもいま思うと、それが良かったかもしれないですね、根性がつきましたから」
――東京・高田馬場のジャズスポット〈イントロ〉のジャムセッションに初めて足を運んだのは?
「中学2年生の頃だったと思います。その前から大阪周辺のセッションにはよく顔を出していたんですが、母親と一緒に東京観光に来た時に〈イントロ〉を訪ねたんです。店に入ったら、魚返明未さんがピアノを弾いていました。その時から彼のプレイはめっちゃすごかったです。私も何曲か一緒に演奏したんですけど、それがすごく楽しくて。それ以来、東京に行ったら必ず〈イントロ〉に顔を出すようになりました」
――大西順子さんに学んだのは、いつ頃からですか?
「レッスンに行き始めたのは、高校1年生からです。その前、中学3年生の時に、長野県のイベント(〈サイトウ・キネン・フェスティバル松本〉で行なわれた〈サイトウ・キネン ジャズ勉強会〉)で講師を務めるという告知がありました。応募資格は18歳以上。最初はテープ審査だったので、どうせ通らないんだからと、中学生の分際で演奏音源を送ったんです。履歴書には架空の高校を卒業したことにして(笑)。そうしたら予選を通ってしまったんです。
二次審査は東京での対面演奏で、サポートメンバーが石若駿さんと楠井五月さん。いきなりめっちゃ難しい譜面を初見で渡されて、涙目になりながらボロボロで何にも弾けず、〈じゃあ、何か一曲好きな曲も弾いてみて〉と言われたので、その時に弾ける数少ない曲だった“Softly, As In A Morning Sunrise”を演奏しました。
中学生だから、もちろん選考の対象外だったんですけど、そのときの演奏を気に入ってもらえたみたいで、中学を卒業するぐらいのタイミングで順子さんから〈レッスンを受けてみる?〉と連絡をいただいたんです。それで東京に月一で行くようになりました」