わたしたちが幼稚園の頃から習う「音楽」というものは、特になんの説明もなく(あるわけもなく)、ドレミで作られる音楽という近代西洋音楽を大前提としている。そこで言われる「音楽」とは、日本が近代化する過程で西欧から与えられた、ある意味では一面的なものであるにもかかわらず、それをあたり前のように受け入れ、ほかにも異なるやり方の音楽があるということは不問に付され、ただ「どのように」習得するのかを学ぶ。本書は、そうした、日本における音楽の受容史を起点として、これまでの「誤解」の上に築かれてきたさまざまな音楽の通念を、ひとつひとつ、あらためて考え直してみせる。音楽とはこういうものであるという、ある種の押しつけ、あるいは刷り込みのようなものとは、「音楽」というものを文化とか生活から切り離されたものとして扱うことなのだと思う。

若尾裕 親のための新しい音楽の教科書 サボテン書房(2014)

 たとえば、本書でもとりあげられているように、なぜ幼稚園ではこどもは大きな声で、声を張り上げて歌わなければならないのか、ということは大人の側がそれを望ましいと考える、ということにほかならない。音楽から「こどものあるべき姿」というものが規定されるような、それらは「こども用の音楽」という別種の音楽ととらえるべきであるとされる。

 また、タイトルが示すように本書は「親のための教育学」を標榜するものである。こうした、つい音楽の持つ本質を忘れさせてしまう、あるいはそれに触れない、学校で習う音楽に対して持つべき「なぜ」という疑問、音楽は楽しくなければいけないのか、うまくなければいけないのか、むずかしい音楽が価値が高いのか、そもそも音楽はいいものなのか、そして、音楽とは何かを考えさせる。そして、これはあらゆる学習にともなう問題なのだとあらためて思わされた。

【参考動画】2009年〈第1回日本音楽即興学会大会〉での若尾裕による講演