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梶原リエ(久留米店)

思い起こせばステキだなーと憧れる女性の近くには幸宏さんがいました。

その中でも印象的なのは2008年、それまで私にとって女優や歌手のイメージが強かった原田知世さんがpupaに参加しそのハイセンスな世界観にフィットしたボーカルの豊かさを披露。新たな知世さんを知りとても感激しました。

その衣装に至るまでのコンポーザー〈高橋幸宏〉の世界観に衝撃と感動を覚え、それをきっかけに今までと違った視点でYMOを聴きはじめました。ボーカリストとしての魅力を知った“CUE”や“以心電信”、“RADIO JUNK”。幸宏さん独特のためた感じの歌い回しに何度震えたことか!

YMOの81年作『BGM』収録曲“CUE”

YMOの83年作『SERVICE』収録曲“以心電信(You’ve Got To Help Yourself)”

YMOの80年のライブアルバム『PUBLIC PRESSURE(公的抑圧)』収録曲“RADIO JUNK”

ドラム、プロデュース、デザイナー、文筆など多面的な魅力を持つ〈高橋幸宏〉のほんの一部を覗いただけの私が大変おこがましいのですが、幸宏さんのお洒落な佇まい、洗練された楽曲、メロディー、歌が大好きです。

特に“Drip Dry Eyes”“使いすてハート”はプレイリストの外せない曲。

81年作『NEUROMANTIC(ロマン神経症)』収録曲“Drip Dry Eyes”

82年作『WHAT, ME WORRY?(ボク、大丈夫!!)』収録曲“DISPOSABLE LOVE(使いすてハート)”

まだまだfavouriteが増えていく、そんな予感がしています。

 

柴野直史(池袋店)

“RYDEEN”を聞いて電子ドラムをサンタクロースにお願いした子供達が多かったと! 僕もその一人でしたが結局、枕元には届く事はありませんでした。

YMOの79年作『SOLID STATE SURVIVOR』収録曲“RYDEEN”

ドラムの音、リズムに興味をもって、その後は様々な音楽の旅に出かけているのですが、ふと気が付くと、『PUBLIC PRESSURE(公的抑圧)』(80年)リミックスアルバム(99年作『YMO-REMIXES TECHNOPOLIS 2000-01』)『サラヴァ!』(78年)に戻ってくることも多く、いつも何でなんだろう~と。

初ライブは2006年3月、冨田ラボさんのライブ。大貫妙子さんと並んで歌った“プラシーボ・セシボン”。その歌詞の内容もさることながら、正に大人の〈男性と女性〉といった雰囲気でうっとりした一時でした。

冨田ラボの2006年作『Shiplaunching』収録曲“プラシーボ・セシボン feat. 高橋幸宏+大貫妙子”

生のドラミングを見ることは叶いませんでしたが、これからゆっくり映像などで堪能したいと思います。

何が言いたいかというと、いつも頭の片隅にいたし、これからも絶対に傍にいるという事なんです。

 

塩谷邦夫(渋谷店)

当時YMOファンの間にはホソノ派、ユキヒロ派、教授派があって、誰がYMOを操っているのかなんてことが話題になったりしていました。今になってみると操っているもなにもな話だけれども、各々の前歴や結成の経緯なんて情報は持ち合わせていないYMO少年達は夢中になって話した。友達にホソノ派とユキヒロ派がいて、僕は教授派の役回り。とにかくあの頃はYMOがひとつの現象みたいになっていて、なんか話すこと自体が楽しかった。8ビートギャグでも教授とデビの出番は多かった。

しかし、けれども、だが、But、ソロアルバムを一番聴いたのはユキヒロ。ほぼ毎年アルバムを発表してくれていたので、『薔薇色』の頃のクラスの席順、『ワンス』の頃の期末テスト前、『エゴ』の頃の通学路、という感じで遠く離れた町の記憶が一瞬浮かんだりして……なんか恥ずかしい。

地方少年にとってユキヒロさんは〈東京のカッコイイ大人〉。教授の『サマー・ナーヴス』(79年)の中写真で見てしまった、あの都会の夜の空気。〈ロマネコンティ〉という言葉自体を初めて知ったのはおそらくユキヒロのラジオかエッセイだ。大岡山も東上線志木もいまだ想像の景色。そんな地名や〈BRICKS〉なんて言葉の響きも、いまも憧れのままです。

 

後藤博子(渋谷店)

幸宏さんとの最初の出会いはYMO。
当時小学校低学年の私には“RYDEEN”は頭の中で何度も繰り返されるノスタルジーで心地よい違和感を感じた曲。後に作曲は幸宏さんと知りました。

その後幸宏さんに出会ったのはつい最近(でもないですが)、2016年の〈サマソニ〉のMETAFIVEのステージ。
入場規制がかかる直前に滑り込んだ会場で目の当たりにしたのは、蒸し返す異様な熱気の中、踊り狂う人さえも全てが計算されたような奇観な世界。
全員が職人で、淡々と進むずれのない精密機械の様な演奏の中心にいたのが、幸宏さんでした。
間違いなく、その年のベストアクトでした。

個人的に少しだけドラムをしていた時期があるので、こんな状況で、冷静に、真摯に、グルーヴを刻む幸宏さんに崇高な印象と興味を持ち、他の作品もを聞いてみたいと思い出会ったアルバムが、ユキヒロさん名義でソロ1枚目の『サラヴァ!』
元々ワールド担当の時期があった為、もしやピエール・バル―のレーベル?とは認識していたものの、本当にヨーロッパ音楽に傾倒しつつも、抒情的な質感を持つ作品で、ここからYMOに繋がったのか!と合点がいきました。
幸宏さんの経歴からはほんの一部でしかありませんが、紳士的で静穏な優しい歌声の、マエストロが逝去されました。

テクノを知り尽くしたような人生は歩んでいないので恐縮ですが、幸宏さんが田中拡邦さんに作詞提供された“アタタカイ雨”の一節から(さかいゆうさんに楽曲提供された曲にも〈雨〉が出てきますよね)。
〈風香る この季節 僕はひとり 気まぐれな空見上げ 涙こらえてみた〉

冨田ラボの2006年作『Shiplaunching』“アタタカイ雨 feat. 田中拡邦(MAMALAID RAG)”

ご冥福をお祈りいたします。