メタ・ミュージック・セオリーの始まり
手強い……。こんな手強い楽曲解説本を私は目にしたことがない。読破するのに15日、レビューを書くために聴いた各楽曲のトータル再生回数約200回。それでも記述された全てを理解するには足りない。
本書は、ドナルド・フェイゲンやアルバム制作関係者のインタヴュー記事、当時の制作環境を基にしながら、冨田氏が今まで培ってきた経験則から導き出された極めて現実的な仮説・推測を加え、『The Nightfly』を1枚丸ごと解説している前例のない著書である。ざっくり内容を説明すると、各楽曲における音楽的な分解作業、参加アーティストの紹介と起用した目的、またプロデューサーやエンジニアのクレジットからの役割分担の類推、体系化、そして『The Nightfly』を傑出した作品たらしめた80年代という時代の特殊性までを紐解いている。
各曲の解説パートにおける記述は、音楽的な知識や器楽演奏の経験がない方には少々難解かもしれないが、理解できれば収録楽曲のより深い理解に寄与するはずだ。心得のある方は演奏しながらの読書を試してほしい。本書と一緒に演奏、曲を再生すると、勝手知ったる『The Nightfly』に新たな一面が浮かび上がってくる。さらに音色に対する分析も興味深い。ことドラムに関しては、そのフレーズのひとつひとつにまで言及し、そこから当時の機材スペックを照らし合わせて語る部分などは、冨田氏がフェイゲン同様、1音ごとにプロデュースするタイプであるからこそ理解できたのだと思う。きっと氏は執筆に没入しながらも、心を当時録音していたスタジオに飛ばして、そこに置かれていた楽器・機材などに思いを馳せ、その会話までも想像したに違いない。音楽制作者、アレンジャーとしての知識・スキル、視点が随所に活かされており、そして何よりも本アルバムを愛する姿勢が十分に伝わってくる。
読了した今、私が感じるのは広義での音楽制作家がどれだけ真摯に音楽に向き合っているかを語る〈ドキュメンタリー〉といった質感だ。確かにこれは『The Nightfly』を論述した著書ではあるが、音楽制作の全般、いや音楽制作家が音楽を届けるということにどれだけ真摯に向き合っているかの証明であり、フェイゲンの言葉を借りた氏自身の言葉なのかも知れない。
何度でも繰り返し読みたくなる良書であり、きっと読む都度、新たな発見があることを約束する。『The Nightfly』がそういうアルバムであるように。