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――唐突に、ひとり言のように言いますが、伝統、ってなんですかね?

「伝統は習慣とは違う、というのはわかっています。ただ、習慣と伝統をまぜこぜにするひとが多い、とおもいます」

――能謡(うたい)のワークショップのはなしをされていました。

「わたしはドレミだけが音楽だとおもってやってきたし、それが音楽だとおもっていました。能の謡を勉強したとき、まったくわからなかったのです。真似して勉強してもぜんぜんできない。なんだろこれ?です。曲を書くために、能のフレーズがどうできているか、じぶんなりに分析し、作曲する方法をどうにかみつけました。そうしていくなか、能が持っていることばの節回しも含め、能シアター全体がもっている時間のつかいかた、空間のつかいかた、能役者と一緒に空間が収縮するようなエネルギーを扱っていることがわかったのです。このとき、わたしがやりたいのはこういうことだったんだ!と気づきます。これを勉強しなくちゃ、これがわたしの使命だ――。能の謡から聲明へと遡り、あらためて日本語を考えました。日本語から音楽をつくりたい。音楽が生まれるとは、唱える、ということが最初だとおもう。そこから音とか音楽を考え、音楽をつくりたい、と。

――さまざまな作品を書かれていて、それぞれにあらわれが違っています。

「それぞれ、勉強する。こちら側の解釈でそれをみちゃいけない、というのはじぶんがこころにとめていることです。むこうがわの視点にたつことは大事とおもっています。その芸能をなりたたせている何かを、むこう側にいって、なるべくみつける。時間をかけて、ですね」

――ドレミが音楽だとおもっていた。謡をとおして、もっと広い音楽のありかたにふれられた。ここには、いまの列島の音の環境の問題がはらまれていると言ってもいいでしょう。

「いま、音楽があまりにも多様化しているし、散らばっているので、そのなかのひとつが邦楽になっている、というだけの状態にはなっている……」

――武満徹が1960‐70年代、さかんに伝統や音・音楽について発言した、そうしたことがいま可能なのか、ということでもある。ずれている、というか、たぶん、問いがシンプルになりえない。邦楽器ももちろん、ガムランなどでも、おなじかもしれませんが。

「いま邦楽の良さとか、質みたいなものがわかるひととわからないひと、がいます。邦楽やっているひとのなかでも、もしかしたら、そうと知らずに、西洋的な感覚で楽器にむかっている、そういうひともいるだろう。感覚がまざってしまって、意識できない状態にある。わたしは、意識したい、です」

 


桑原ゆう(くわばら・ゆう)
1984年生まれ。東京藝術大学および同大学大学院修了。日本の音と言葉を源流から探り、文化の古今と東西をつなぐことを軸に創作を展開。国立劇場、静岡音楽館AOI、神奈川県立音楽堂、横浜みなとみらいホール、箕面市立メイプルホール、ルツェルン音楽祭、ACHT BRÜCKEN (ケルン)、ZeitRäume(バーゼル)、Transit 20・21(ルーヴェン)、I&I Foundation(チューリヒ)など、国内外で多くの委嘱を受け、世界各地の音楽祭や企画で作品が取り上げられている。楽譜は主にEdition Gravisより出版。〈淡座〉メンバー。国立音楽大学、洗足学園音楽大学非常勤講師。第31回芥川也寸志サントリー作曲賞受賞。

 


寄稿者プロフィール
小沼純一(こぬま・じゅんいち)

早稲田大学文学学術院教授。音楽文化論、音楽・文芸批評。今年3月、アルテスパブリッシングより「小沼純一作曲論集」を上梓。「しかが」(七月堂)もこの号がでるくらいには、と。近況……あいかわらずあらゆるライヴ/コンサート、ダンス/演劇、映画、とはほぼ無縁……。

 


LIVE INFORMATION
サントリーホール サマーフェスティバル2023

2023年8月26日(土)東京・赤坂 サントリーホール 大ホール
開場/開演:14:20/15:00

第31回芥川也寸志サントリー作曲賞受賞記念
サントリー芸術財団委嘱作品

桑原ゆう(1984~):“葉落月の段”(2023)*世界初演

第33回芥川也寸志サントリー作曲賞候補作品(50音順/曲順未定)
田中弘基(1999~):“痕跡/螺旋(差延 II)” オーケストラのための(2021~22)
松本淳一(1973~):“忘れかけの床、あるいは部屋” スコルダトゥーラ群とオーケストラのための(2016/18/22)
向井 航(1993~):“ダンシング・クィア” オーケストラのための(2022)

サントリーホール サマーフェスティバル2023 特集ページ
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/feature/summer2023/