アルディッティ弦楽四重奏団結成50年
世界の作曲家を刺激し続ける現代音楽の巨人

 今年のサントリーホール サマーフェスティバル〈ザ・プロデューサー・シリーズ〉では、現代音楽界の巨人でありながら、変わらず気鋭のアーヴィン・アルディッティが、アルディッティ弦楽四重奏団(以下SQ)結成50周年の節目に〈プロデューサー〉を務める。アルディッティSQをフィーチャーした全4公演は、新作もありつつ、レトロスペクティブにもなっている。どれも彼らの生の演奏で聴きたい作品ばかり。世界中で50周年ツアーに勤しむアルディッティ氏に色々と伺ってみた。


 

――アルディッティSQは、1988年以来、定期的に来日公演を行っていますが、サントリーホールについての思い出はありますか。

「私はまず単独で、1993年に、初めてサントリーホールで、細川俊夫の“ランドスケープIII”をNHK交響楽団との共演で演奏しました。大ホールでは、そっと弓を弾くと極めて弱いパッセージでも、オーケストラの音とはっきり区別されて聴き取ることができました。アルディッティSQとしては2014年デュサパンの音楽を演奏したのが初めてです。大ホールはやはり記憶に残っていた通り素晴らしい音響でした。90年代に、ウィーン楽友協会、モスクワ音楽院大ホールに加えて、サントリーホールが、私が世界で一番好きなホールだと確信したのを覚えています」

――アルディッティSQは、当初はリゲティの“弦楽四重奏曲第2番”を演奏したくて結成し、アルディッティSQという名前も、英国王立音楽院での初めての演奏会の直前に仮のものとしてつけたそうですね。その後も数年は「趣味」で演奏会を開いていたとのこと。どうしてこれだけ長く続くライフワークになったのでしょうか。そして、なぜ現代音楽を選ばれたのでしょうか。

「確かに、私が弦楽四重奏団を始めたとき、私の一番好きな現代音楽の弦楽四重奏曲はリゲティの“第2番”で、私はこの作品を英国で演奏したいと思っていたのです。他にも、ベリオの“シンクロニー”やルトスワフスキの“弦楽四重奏曲”もありました。現代音楽は私の個人的な趣味だったので、私の名字がSQの名前になったのです。他の活動と並行して趣味でやっていた私たちの演奏は、作曲家やプロモーター、聴衆に大好評で、口コミが広がっていきました。私が続けることを決めたわけではなく、現代音楽界が私たちを引き入れ、作曲家たちがどんどん彼らの作品の演奏を依頼するようになり、自然と発展していったのです」

――今回のプログラムで、レトロスペクティブの観点から選ばれた作品の中でも、ジョナサン・ハーヴェイの“弦楽四重奏曲第1番”は、アルディッティSQの最初の委嘱作品ですね。どういう経緯で書かれることになったのでしょうか。

「ジョナサンは以前からの友人で、私たちの活動初期の数年、彼が教えていたサウサンプトン大学に招待してくれていました。その彼が私たちのために弦楽四重奏曲を作曲していいかと訊いてきた時はとても驚きました。その後、4つの弦楽四重奏曲すべてを私たちのために書いてくれたのですが、彼こそが巨大な山の頂上の雪玉を作ってくれたのです。その雪玉が転がり、雪だるま式にクセナキス、リゲティ、ヘンツェ、カーゲル、カーター、シェルシらが、私たちに作品を提供したい、演奏してほしいと言うようになりました。50周年になっても雪玉はまだ下にまでたどり着かず、新たな数々の委嘱新作初演が予定されています」

――去年出版された著書「Collaborations: Reflections On 50 Years Of Working with Composers(コラボレーション:作曲家たちとの50年の共同作業についての考察)」で、アルディッティさんは25人の作曲とのコラボレーションについて書いていますね。コラボレーションはアルディッティさんにとって極めて重要な要素だと思われます。今回演奏される作品の中で、とくにアルディッティSQがコラボレーターとして、作曲過程に関わった作品はありますか。

「ヘルムート・ラッヘンマンとロジャー・レイノルズの作品です。

 詳しくは私の著書を読んでほしいのですが、ヘルムートは“グリド”を書いているとき、あまり確信がなかったようで、さまざまな短い断片を異なる方法で私たちに演奏してみてほしいと言いました。3〜4時間ワークセッションを行い、数日後電話してみると、全部破り捨ててまた新しく書き始めているとのこと。明らかに私たちのミーティングから何かを学び取り、インスピレーションを得たということです。

 ロジャーの“アリアドネの糸”については、神話というよりも抽象的な線がテーマだそうで、1994年、カリフォルニアでのツアー中、ロジャーは、私たち各々に、視覚的刺激を与えて、即座に反応して演奏するよう言いました。コンピューターで加工するための、3秒以内の音素材が必要だったのです。それから、彼はパリのアトリエUPICに2週間ほど滞在し、クセナキスが作った独自のコンピューター音響合成のデバイスを使って7つのコンピューターの介入部分のデザインを行いました」

――クセナキスといえば、アルディッティさんにとって非常に若い時から最も重要な作曲家の一人と言えますよね。

「おそらくクセナキスは、私の若い時期から長い間に渡って一番影響を受けた作曲家です。すでにたくさんの現代音楽を聴いていた10代後半、クセナキスのパリのスタジオに“ミッカ”の演奏を教えてもらうために初めて会いに行きました。ただ、私が演奏不可能に思えた部分についての彼の返事は、トライしてみて、たとえ伝統的なヴァイオリン奏法の限界を超えることになっても、自分で方法を見つけなければいけないということでした。“ミッカ”が演奏できるようになったわけではないけれど、実はこれはとても賢いアドバイスで、のちに多くの作品で複雑な問題を解決しようとする時の助けになりました。

 その後、彼は私のためにヴァイオリン協奏曲“ドクス・オーク”を書いてくれました。作曲中、彼にオーケストラの音の中に飲み込まれてしまいそうだという病的な不安について話したことを覚えています。私は彼の管弦楽作品がいかに絶え間なく音数が多いものだと知っていたからです。しかし、“ドクス(1つの弦楽器)・オーク(管弦楽)”はタイトルが示す通り、対話として作曲されていて、独奏パートが管弦楽の音にカバーされることはほぼありませんでした。とはいえ、オーケストラがトゥッティで大きな音を奏するときは独奏パートが重なっていなくても張り合わなければいけない気持ちにはなります」