©2022 SPF (CRIMES) PRODUCTIONS INC. AND ARGONAUTS CRIMES PRODUCTIONS S.A.

〈実験室〉としての人生を生きる勇気はあるか?
危険な問いをはらむ鬼才の傑作にして集大成

 映画界だけにとどまらず、各方面から熱烈なリスペクトを集めるカナダ人映画作家の手による最新作は、これまでの長いキャリアで執拗に追求されてきた彼独自の美学が心置きなく発揮され、ひとまずの集大成と呼びたくなる傑作である。

 その内容に踏み込む前に、クローネンバーグの〈美学〉について大枠で触れておこう。かつて科学者を志していたこともある彼の映画は、いつも特異なSF(サイエンス・フィクション)の様相を帯びるが、そこで主題となるのは、外的宇宙(outer space)ではなく、内的宇宙(inner space)に向けての冒険であり探求である。つまり、宇宙船を準備し、はるか遠方の宇宙空間に旅立つことではなく、むしろ僕たち人間がそれぞれに抱える内的な世界に深々と沈潜し、そこに「未知なるもの」を発見することに彼の関心は注がれる。僕らは、いまだ自分自身のことがわかっておらず、本作の文脈に即していえば、自分の身体(内的宇宙)が何を生み出し、どのような進化の途上にあるかも理解できずにいるのではないか?

©2022 SPF (CRIMES) PRODUCTIONS INC. AND ARGONAUTS CRIMES PRODUCTIONS S.A.

 近未来と思われる匿名的な世界(ロケ地はアテネ)で物語は展開される。そこではテクノロジーの進化を背景に人類も生物学的変貌を遂げつつあり、痛みが何であるかを皆が忘却してしまったようだ。なかでも、この映画の主人公であるソール・テンサー(ヴィゴ・モーテンセン)は〈加速進化症候群〉であり、その体内で次々と新たな臓器が形成されている。それらは現時点で生命にとって不必要な〈腫瘍〉なので取り出されねばならないが、パートナーであるカプリース(レア・セドゥ)の手による摘出手術は公開の場で行われ、2人はパフォーマンス・アーティストとして時代の寵児になっている。物語は、人間の〈進化の暴走〉を危惧する当局の監視や捜査も絡みながら、犯罪映画的な緊迫感とブラックなユーモア、危険なまでの官能性等々がないまぜになって進行する。

©2022 SPF (CRIMES) PRODUCTIONS INC. AND ARGONAUTS CRIMES PRODUCTIONS S.A.

©2022 SPF (CRIMES) PRODUCTIONS INC. AND ARGONAUTS CRIMES PRODUCTIONS S.A.

 全篇に散りばめられるアートについてのラディカルな考察がすばらしく魅力的だ。たとえば、テンサーの肉体は〈創造的〉であり、そこで生み出される新たな臓器やそれを取り出す手術が芸術になる。〈痛み〉が消失しつつある、との状況設定も興味深い。〈痛み〉とはある種の警告システムであり、痛みを避けるために僕らは冒険を逡巡したり断念したりする。しかし、その歯止めがなくなると、人は痛みを恐れることなく気ままに自らの身体を加工し、そこに〈芸術〉のみならず〈新しいセックス〉の可能性さえ見出すようになる。前述のように、当局はそれを危険視するが、アーティストとはつねにそうした危険な存在であり、テンサーは〈怒りや反乱の体現者〉なのだ。

 かなり以前のものだが、クローネンバーグの次の発言に彼の最新作を読み解くヒントがあるのではないか。「僕の考えでは、最高の科学者というのは、最高の作家や芸術家と同様に、創造的でかつどこか常軌を逸していると思う。医者や科学者に共感するところが大きいし、映画の登場人物としてもよく用いている。……別の見方をすれば、人は誰でも狂気の科学者で、人生はその実験室なんだよ。いかにして一生を過ごし、問題を解決し、狂気や混沌を追いやっていくかについて、常に実験を重ねているんだ」(クリス・ロドリー編「クロ―ネンバーグ・オン・クローネンバーグ」)

 パフォーマンス・アートとは、何らかの作品(work)を後に残すことを目的とした制作(work)ではなく、それ自体が〈作品〉であろうとする営みであり、それが終わると跡形もなく消え去ることを運命づけられる行為(action)である。〈(作品を)作ること〉ではなく、〈その場その瞬間を(作品として)生きること〉を目指す芸術……。先のクローネンバーグの発言では、〈行為〉=パフォーマンス・アートの次元において、科学者や医者が芸術家と同列であるとされる。科学者の実験や医者の手術は〈作品〉を生み出さないが、それ自体がアート(技術=芸術)である。本作での手術はカメラを回す観客の前で実施されるが、医術と芸術はもともと同じ次元にあるのだ。

©2022 SPF (CRIMES) PRODUCTIONS INC. AND ARGONAUTS CRIMES PRODUCTIONS S.A.

©2022 SPF (CRIMES) PRODUCTIONS INC. AND ARGONAUTS CRIMES PRODUCTIONS S.A.

 こうして僕らのそれぞれの人生は、いわば〈実験室〉になる。生きることを実験と見なすという、クローネンバーグの信条が本作ほど明確に伝わる映画もない。昨今の生成AIをめぐる議論は、道具としての機械を人間がうまく使いこなせるか、といった域にまだ終始していて退屈であり、クローネンバーグの映画ははるかに先を行っている。人間の身体はそもそも機械であり、僕らはサイボーグではないかという、より新しく根源的な問いが本作によって提起される。〈実験室〉としての人生を生き、〈新しいセックス〉を――なるほど身体が変化すれば、セックスや快楽もそれに伴い変貌を遂げるだろう――発明すること……。あなたにそんな人生を生きる覚悟があるかどうかはともかく、そうした事態の到来への準備も兼ねて、今はこの危険なまでに実験的で官能的、知的な傑作に身を投じておくことをお勧めしたい。

 


MOVIE INFORMATION
映画「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」

監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:ヴィゴ・モーテンセン/レア・セドゥ/クリステン・スチュワート
原題:Crimes of the Future
字幕翻訳:岡田理枝
配給:クロックワークス/STAR CHANNEL MOVIES
(2022年/カナダ・ギリシャ/DCP5.1ch/アメリカンビスタ/英語/108分/PG12)
©2022 SPF (CRIMES) PRODUCTIONS INC. AND ARGONAUTS CRIMES PRODUCTIONS S.A.
2023年8月18日(金)より新宿バルト9ほか全国公開
https://cotfmovie.com/