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ボブ・ディランと意気投合、伝説の地下室セッション

年長者のリヴォンをリーダーに据え、リヴォン&ザ・ホークスとして活動する傍ら、ロビーは人脈を広げるべく様々なレコーディングセッションに熱心に顔を出すようになる。あるときジョン・ハモンドの仲介で知り合ったアルバート・グロスマンから事務所に呼び出されると、そこに待っていたのは彼がマネジメントを手掛けるボブ・ディラン。

2人は意気投合し、ディランはライブでエレクトリックなサウンドに挑戦すべく、ロビーをリードギタリストとして誘う。ロビーはホークスの面々との関係を考慮し、リヴォンをドラマーに据えることを条件にこの話を承諾。2人はニューヨークとロサンゼルスでのライブに参加、ディランは手応えを感じ、翌月から始まるツアーに今度はホークス全員を雇い入れることにした。

数千人規模の会場での演奏は初めてのことで、これはホークスにとって大きな経験になったが、ディランのエレクトリック化に対する観客の拒否反応は激しく、ブーイングに耐えかねたリヴォンがツアー途中に離脱、ホークスを脱退してしまう。結局リヴォンがバンドに戻るまでは2年近くを要し、その間にメンバーの関係性が変わってしまったことは想像に難くない。

ボブ・ディランの1998年作『Bob Dylan Live 1966, The “Royal Albert Hall” Concert: The Bootleg Series Vol. 4』収録曲“Like A Rolling Stone”。演奏はホークス

代わりのドラマーを迎えてツアーは続行されるものの、翌1966年の夏、今度はディランがバイク事故で負傷し、ツアーの続行が不可能に。仕事を失ったホークスの面々は、当時ディランが住んでいたウッドストックへ。〈ビッグ・ピンク〉と呼ばれるピンク色の壁の一軒家を借り、そこで共同生活をしながら、ディランを交えて地下室でレコーディングセッションを繰り返す日々を送る。

ここで録音されたデモテープは音楽出版社に送られ、アセテート盤によって音楽関係者の耳に届くことに。カントリーやゴスペル、リズム&ブルースを基盤にしたディランの新曲群は驚きと称賛を持って迎えられ、バーズやピーター・ポール&マリーがこぞって録音、アメリカンロックの新たな礎となる。1975年には『地下室(ザ・ベースメント・テープス)』として初めて公式リリース、2014年にはディランのブートレッグ・シリーズの一環として136曲がリリースされ、徐々にセッションの全貌が明らかになっている。

BOB DYLAN, THE BAND 『The Basement Tapes』 Columbia(1975)

BOB DYLAN, THE BAND 『The Basement Tapes Complete: The Bootleg Series Vol. 11』 Columbia/ソニー(2014)

ボブ・ディラン&ザ・バンドの1975年作『The Basement Tapes Complete』収録曲“You Ain’t Goin’ Nowhere” 
ボブ・ディラン&ザ・バンドの2014年作『The Basement Tapes Complete』トレーラー

 


参考文献
バーニー・ホスキンズ(1994年)「流れ者のブルース ザ・バンド」大栄出版
ロビー・ロバートソン(2018年)「ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春」DU BOOKS
リヴォン・ヘルム(1998年)「ザ・バンド 軌跡」音楽之友社
ポール・マイヤーズ(2011年)「トッド・ラングレンのスタジオ黄金狂時代 魔法使いの創作技術」スペースシャワーネットワーク
クライブ・デイビス(1983年)「アメリカ、レコード界の内幕―元CBS社長クライブ・デイビスの告発」スイングジャーナル社
ミュージックライフ・クラブ(2020年)〈ザ・バンドのロビー・ロバートソン、故リヴォン・ヘルムとの確執について語る〉 https://www.musiclifeclub.com/news/20200526_04.html