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「北爪さんは『claire』を絶対聴くべき!」という同僚の熱弁

花澤香菜を最初に認識したのは、「まりほり」と同じく新房監督&シャフトが制作した「化物語」だったと思います。そのときは花澤さんや彼女が演じる千石撫子に惹かれたわけでもないのですが(ガハラさん推しだったし)、ただ、撫子がラップする名曲“恋愛サーキュレーション”のキュートな破壊力には相当なインパクトを受けました。その後、いくつか彼女が演じたキャラを見る(聴く?)につけ、次第にエンジェルボイスとも称されるその声には抗しがたい魅力があることに気づいていったのです。

そして2013年にファーストアルバム『claire』がリリースされるわけですが、声優としては好きだったものの、正直なところ歌手活動にはさほど興味はありませんでした。ところが発売日直前、アニソンを愛してやまない同僚Mから「傑作です! 僕はお金がないので買うことは出来ないけど、北爪さんは絶対に聴くべきだ!」という、よくわからないながらも異様に熱のこもったプレゼンをされたのです。その気迫に押された僕は半信半疑のまま購入してみたのですが、たしかにMの言説に間違いはありませんでした。

花澤香菜 『claire』 アニプレックス(2013)

『claire』は、ROUND TABLEの北川勝利がサウンドプロデューサーを務めていることに加え、作詞作曲陣にカジヒデキや元ラヴ・タンバリンズの宮川弾、元Cymbalsの沖井礼二に矢野康博、クラムボンのミト、中塚武。さらにプレイヤーでも元Original Loveの宮田繁男やヒックスヴィルの中森泰弘など、いわゆる渋谷系~ポスト渋谷系のベテラン勢が多数参加しているのですが、アニソンビギナーの僕からすれば見知った名前が多くクレジットされているだけでもなんだか安心感がありました。「たまこ」の片岡さん然り、優れたクリエイターたちが次々とアニメ業界に参入していることは知ってはいたものの、一枚のアルバムとしてそれを実感したのは本作が初めてでした。

 

洋楽的要素が濃厚な良曲とウィスパーボイス

制作メンバーからも察することができるように、音楽性は60~70年代のソフトロックやガールポップ、ソウル、フレンチ、さらに80年代以降のギターポップなどをアップデートしたような洋楽的要素が濃厚。アニソンというワードでなんとなく想像してしまいそうな激しいロック調やエクストリームな楽曲が皆無なのは、花澤さんのやや線の細いウィスパーボイスに合わせてのことでしょう。ハッタリめいた派手さはないものの、ポップでテンダーにまとめられたサウンドからは、キャラソンではない〈花澤香菜というシンガー〉のパーソナルをそのまま具現化したような親しみやすさを感じます。

ポップマエストロたちが手を抜くことなく競い合うかのように良曲を提供しているので、楽曲のクオリティーもおしなべて高レベル。デビューアルバムなのにまるでベスト盤のような風格さえ漂いますが、全曲紹介というわけにもいかないので、ここでは2曲だけレコメンドしておきます。

ひとつは宮川弾の作詞作曲による“スタッカート”。明るくポジティブな詞曲がメインの本作において唯一の失恋ソングで、さほど目立ったフックもない地味といえば地味なバラードですが、これがとてもいい。花澤さんの歌声は清純さのなかに一抹の儚さを孕んでいるふうに感じるのだけど、決定的な悲しみの描写がなく淡い想いだけが宙に浮いたままのこの曲は、彼女のその仄かなセンチメントを見事に拾い上げているように思えるのです。

もう一曲は、3枚目の先行シングルでもある“happy endings”。

作編曲を手掛けた神前暁に関しては、前出した「化物語」を含む物語シリーズの楽曲(とくに“白金ディスコ”は絶品)や「THE IDOLM@STER」の主題歌“Ready”などの非凡なメロディーセンスによって、以前から気になる存在でした。この曲も、優雅なブラスセクションと流麗なストリングスに彩られたアレンジもさることながら、サビで開放されるメロディーの強烈な多幸感がとにかく胸躍らせるこみ上げチューン。そしてまたアニソンプロパーといってもいい神前氏の曲が、渋谷系アーティストたちのナンバーと並んで何の違和もなく収められていることも、このアルバムが明確なカラーで統一されていることの証左のようにも思えます。

花澤香菜は以降も優れたソロ・アルバムをリリースしていきますが、とくに〈ニューヨーク〉をコンセプトにした3枚目の『Blue Avenue』(2015年)は、エルボウ・ボーンズやスティーリー・ダンめいた楽曲や、ビリー・ジョエルインスパイアなまさかの一人多重ドゥーワップ“タップダンスの音が聴こえてきたら”など好ナンバー揃い。初々しい『claire』とは異なる大人っぽい彼女の一面が窺えるアルバムなので、併せて聴いて頂ければ幸いです。

花澤香菜 『Blue Avenue』 アニプレックス(2015)

 

以上、とりとめのない話にお付き合い頂きありがとうございました。次回はマニュエル・ゲッチングについて何かしら書いてみる予定です。

 


PROFILE: 北爪啓之
72年生まれ。99年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈っくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。好きな〈花澤香菜が演じたキャラ〉は黒猫。