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“あの素晴しい愛をもう一度”のヒット、吉田拓郎や泉谷しげるのプロデュース

この時期の加藤和彦は、作詞家として活動していたフォークル時代の盟友・北山修と共に作曲家としても名曲の数々を残している。代表曲として挙げるべきは1971年の“あの素晴しい愛をもう一度”だろう。もともとはフォークデュオのシモンズのデビュー曲として用意されたが、結局は〈加藤和彦と北山修〉名義で2人で歌うことになった曲だ。朗らかなメロディと12弦ギターの音色、リズミカルな曲調は、シモンズが憧れたサイモン&ガーファンクルの“The Boxer”からの影響からもあったという。

VARIOUS ARTISTS 『The Works Of TONOBAN ~加藤和彦作品集~』 ユニバ―サル(2024)

この頃の加藤和彦の動きは目覚ましい。前述した“あの素晴しい愛をもう一度”が1971年4月にリリースされスマッシュヒット。10月にはソロアルバム『スーパー・ガス』をリリース。一方で1971年11月にリリースされた吉田拓郎のアルバム『人間なんて』にディレクター/アレンジャーとして参加し“結婚しようよ”などを手掛けている。1972年には泉谷しげる“春夏秋冬”をプロデュースしブレイクに導いている。

加藤和彦 『スーパー・ガス』 東芝音楽工業/Capitol(1971)

吉田拓郎 『人間なんて』 エレック(1971)

 

サディスティック・ミカ・バンドの特異なごった煮サウンドと英国での成功

ソロアーティストとして、作曲家として、そしてフォークの新たなスターを手掛けたプロデューサーとして、きっと引く手あまたの存在だったはずだ。けれど加藤和彦はそこで成し遂げたこと、フォークの文脈も早々に〈脱ぎ捨てる〉。1971年11月に、結婚したばかりの加藤ミカ(現:福井ミカ)、角田ひろ(現:つのだ☆ひろ)とサディスティック・ミカ・バンドを結成。高中正義がメンバーとして参加し、1972年6月にシングル“サイクリング・ブギ”でデビューする。

サディスティック・ミカ・バンドの影響源にあったのはT・レックスなどロンドンで当時の流行の最先端にあったグラムロック。“サイクリング・ブギ”は畳み掛けるようなリズムとヌケのいいコーラスを持つロックンロールだ。1973年のアルバム『SADISTIC MIKA BAND』収録の“快傑シルヴァー・チャイルド”も格好いい。メンバーとなった高橋幸宏のドラム、小原礼のベースのグルーヴを活かしたサイケデリックファンクだ。

サディスティック・ミカ・バンド 『SADISTIC MIKA BAND』 東芝音楽工業/DOUGHNUT(1973)

そして何より金字塔と言えるのが1974年のアルバム『黒船』だろう。プロデュースはビートルズやセックス・ピストルズやピンク・フロイドなどそうそうたる面々を手掛けたクリス・トーマス。同時代性という意味で言うならば、プロコル・ハルムやロキシー・ミュージックのプロデューサーだったことも大きい。

サディスティック・ミカ・バンド 『黒船』 東芝EMI/DOUGHNUT(1974)

代表曲を挙げるならばやはり“タイムマシンにおねがい”。ただ、キャッチーなメロディが印象的なこの曲以外にも“塀までひとっとび”や“黒船(嘉永6年6月2日)”など、ファンク〜サイケデリックロック〜プログレッシブロックがごった煮になったバンドサウンドは今聴いても興奮する。

その後にロキシー・ミュージックの全英ツアーに参加、BBCの音楽番組に出演とイギリスでも成功を収めたことを含めても、70年代の日本の音楽シーンにおいて、サディスティック・ミカ・バンドは本当に特異な存在だったと思う。若い世代に〈まずはこの一枚から〉と勧めるなら、やはり『黒船』だ。映画を観た個人的な印象としても、当時のサディスティック・ミカ・バンドのライブシーンに最も興奮した。

ただ、加藤和彦はサディスティック・ミカ・バンドでの偉業も、やはり早々に〈脱ぎ捨てる〉。ミカとの離婚もあり、1975年11月にサードアルバム『HOT! MENU』を発表後、バンドは解散する。

サディスティック・ミカ・バンド 『HOT! MENU』 東芝EMI/DOUGHNUT(1975)