「アメリカン・グラフィティ」に始まる我が青春とドゥーワップ個人史
連載の第1回でも取り上げましたが、僕の洋楽リスナーとしての原点は映画「アメリカン・グラフィティ」のサントラです。そこには1950年代~1960年代初頭のさまざまな米国大衆音楽が収録されていたのですが、なかでもとりわけ心を惹かれたのがドゥーワップでした。
たとえば、僕は中学3年のときに〈自分のお気に入り曲ベスト10〉というアホなチャートを毎週ノートに更新していたのですが、そこで常に上位をキープしていたのが「アメグラ」
かようにして「アメグラ」でドゥーワップの洗礼を受けたものの、悲しいことに地方都市のレコード屋やレンタルショップではドゥーワップなど取り扱っているわけもありません。ただ当時、鈴木雅之がパーソナリティーを務めていた「NISSAN OLDIES SQUARE」というラジオ番組では頻繁にドゥーワップが流れていたので、それをエアチェックするのが毎週の楽しみでした。一度だけリクエストハガキを送った記憶もありますが、ラジオに投書したのはあれが最初で最後だし、当然ながら採用もされませんでした。
山下達郎がドゥーワップをカバーしたアルバム『ON THE STREET CORNER』も、たしかその番組で紹介されたのがきっかけで聴いたように思います。同世代で達郎経由でドゥーワップを知ったリスナーは多いでしょうが、ドゥーワップから達郎に辿りついた人はあまりいないんじゃないでしょうか。
同じ頃、なにかの雑誌でチェッカーズのメンバーたちがドゥーワップについて語っている記事があって、藤井尚之が〈コースターズの“That Is Rock And Roll”はキング・カーティスのサックスがカッコいい〉
高校に入ると、地元では買えないドゥーワップのレコードを求めて年1、2回は東京へ出かけるようになったのですが、あの発言を思い出し買ったアナログのシールドの封をそっと開いて鼻を近づけてみると、たしかに一瞬だけ得もいわれぬ香しい匂いがするではありませんか。僕はその舶来的で刹那的なグッドスメルを嗅ぎたいがために、レコードはなるべく輸入盤の新品を買うにようになったのでした。
なお、トップ画像にあげているフラミンゴスのLP『Flamingo Serenade』もその頃に購入したものです。当時、つげ義春も好きなくせにわたせせいぞうも好きだった僕は、漫画「ハートカクテル」の中でサラ・ヴォーンの“I’m In The Mood For Love”という歌がBGMで流れているシーンを見て、ロマンティックなタイトルのその未知なる曲がどうしても聴きたくなってしまったのです。
いまと違ってサブスクどころかネットすらない時代なので探すのにだいぶ苦労しましたが、『Flamingo Serenade』にカバーが収録されているのを発見したときは思わず小躍りしてしまったのでした。
そしてフラミンゴスは僕が生でライブを体験した唯一のレジェンドドゥーワップグループでもあります。2010年1月にまさかの初来日を果たしたのですが、いまは亡き父そして母と一緒に品川での公演を観に行きました。あの感動はそうそう忘れられるものではありません。
最後に余談を一つ、タワーレコード新宿店で働いていた頃なのでもう20年以上前のこと。某再発レーベルから『Doo Wop Survival Kit』とかいうドデカい救急箱型のCDボックスがリリースされました。内容はたしかCDが数枚と携帯ラジオや絆創膏のような災害グッズのセットで、当時1万数千円もする代物でした。こんな意味不明な高額ボックスを誰が買うのだろうかと(ちょっと欲しかったけど)思っていたのですが、案の定、1年近く売れ残ったままでした。ところがある日忽然と売り場から消えていたので驚いてしまったのですが、じつは当時の店長だった嶺脇さん(タワレコ代表取締役社長)が購入したと聞いて〈やっぱりあの人は少しおかしい〉と妙に感心したことを、この原稿を書きながら思い出したのでした。
今回はほとんど触れられなかったホワイト・ドゥーワップや日本のドゥーワップに関しても、いずれ特集を組めたらなと思っています。
PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。