foto Luca Carrà,©RaiTrade

いよいよ開催近づく! 作曲者と主演者が作品への想いを語る

サルヴァトーレ・シャリーノ
「私の作品が日本語で語られる体験に興味をそそられます」

 今秋、神奈川県民ホールで上演される、サルヴァトーレ・シャリーノ作曲「ローエングリン」。前号では、この公演で指揮を務める杉山洋一氏にお話を伺ったが、今回は作曲者本人であるシャリーノ氏に(杉山氏を介して)インタヴューした。

――「ローエングリン」といえば、ワーグナーのオペラが有名ですが、ワーグナーのオペラを意識して作曲されたのでしょうか?

 「わたしは、冷やかし程度でしか、ワーグナーには踏み込んでいないつもりです。〈冷やかし〉は悪い意味ではなく、ワーグナーを変容させてみた、という感じでしょうか。つまりパロディーです」

――シャリーノさんが台本のもととしたのは、まさにワーグナーのパロディーとも言える、フランスの劇作家ラフォルグのものですね。

 「わたしは、40ページ程度のかなり長いラフォルグの原文から、特に物語の本質にかかわる会話や、主人公とその他の登場人物との間で交わされる、どこかかみ合わない会話を取り出し、ほんの2ページ程度にまで削り、凝縮させました」

――そして登場人物も、ヒロインのエルザただ一人に凝縮されています。

 「エルザはひどく神経質で、自分自身によって、そして他者によって傷つけられる犠牲者です。彼女はひどい精神錯乱に苦しみ、現実との境界がとても曖昧になっています。彼女が生きていると信じているのは、彼女の幻想が産みだした世界であり、そこでこのオペラが展開されます。彼女の中で人格が分裂すると同時に、わたしたちも彼女の空想の世界へ導かれます。

 そして、エルザ以外の登場人物も、実は彼女自身であり、文字通り二重写しの姿です。こうして、実に独特な舞台が生まれることになりました」

――そのエルザ役には、〈歌手〉ではなく〈女優〉を指定していますが……。

 「当時わたしは、他の人たちと違う、自分独自の声の使い方を模索していました。テキストそのものを語らせるところから始めてみようと考え、女優を想定して作曲しました。

 幕切れ近く、エルザが精神を患っているとつまびらかになるところで、彼女のパートにごく短い旋律があらわれます。しっかりと歌われるものではなく、軽く口ずさまれる、とても素朴なものです。

 こうして最後に、それまで彼女が発し続けていた、野獣さながらの前言語的な声と、意味を持った言葉をつむぐ声との強い結びつきがしっかりと見えるようになりました。これはなかなか独特で効果的な解決法だったと思います」

――男声3人による〈合唱〉パートも、かなり異様に思えます。

 「このオペラの合唱パートの意味合いは、通常のオペラの合唱とは全く異なります。何かに息が吹き込まれ、むくむく動き始めようとする現象そのものとでも言いましょうか。その声が奇妙で不気味に感じられるのは、その声によって、わたしたちもエルザの狂気の世界に引き込まれることになるからです。

 この怪しげな音には何の意味もありません。ところが彼女にとってこの音は、今まさに誰かと交わしている会話そのもので、結婚の誓いなのです。合唱の声とともに音楽が膨れあがり、突然巨大な姿に変貌して、彼女を見下ろすかのようです。

 合唱の声は、シラブルごとに音が区切られ、単語としてはほとんど認識不能です。ちょうど、何かを話し始めようと発語する瞬間、ウッと口をつぐんでしまうような感じでしょうか」

――最後に、日本の観客へのメッセージをお願いします。

 「今回の日本公演を一番楽しみにしているのは、なにを隠そう、このわたし自身なのです! 公演そのものにはもちろん、わたしの作品が日本語で語られるということがどんな体験なのか、とても興味をそそられます。

 西欧の観客と比べ、日本のみなさんはずっと繊細なはずです。このオペラに通底する、日本的で細やかな感性を、みなさんに体感してもらえることを期待しています。
その場に立ち会えないのがとても残念ですが、せめて、記録を見られればと思います」