橋本愛
この世にはないような空間を
サルヴァトーレ・シャリーノ「ローエングリン」をめぐって
女優、橋本愛がたったひとりで舞台に立つ。神奈川県民ホール開館50周年記念オペラ Vol.2 サルヴァトーレ・シャリーノ作曲「ローエングリン」がそれだ。え、オペラ?! 「ローエングリン」はもちろんワーグナーのオペラだが、本作はフランスの詩人ジュール・ラフォルグがそのパロディとして書いた短編を、さらにイタリアの作曲家シャリーノがヒロインのエルザを主人公(というか唯一の登場人物)として大胆に再構成してみせた作品だ。
この作品は〈オペラを超越したもの〉と表現するべきかなと思っているんです、と橋本は笑う。もともとはラジオドラマとして構想されたという本作だが、過去の上演のもようを見ると、ステージ上の女性があらぬところを見つめながらさまざまな人の声音から鳥の鳴き声、物音に至るまでを声で表現するという、かなりぶっとんだ作品になっている。
「この作品にはセリフを覚えるのとはまた別の、ことばを使わない難しさがすごくあるんです。 私の演じるエルザも、その人が本当にエルザなのかどうかわからないし、どんな性なのか、少女かおばあちゃんかもわからない。そこは見ている方が自由に解釈できるような余白をもって演じたいと思います」
演じる側にもかなりチャレンジングな作品だが、橋本はなぜこの作品をやろうと思ったのだろう。
「私、自分が挑戦したことのないことに対して、怖いと思えば思うほどやることにしてるんです。この作品もすごく怖かったので、これはやるべきだと思いました。今回私を推薦してくださった演出の吉開菜央さんには、以前からダンスのレッスンをお願いしていたので、自分の身体表現の面でも成長できると思ったし、単純にすごく面白そうだと思いました」
エルザは狂気の淵をさまよい、不在のものと対話し、また憑依される。
「もともと声の表現は好きで、鳥や獣のように聞こえる声を出すのはすごく楽しいです。今回声の表現をディレクションしてくださる山崎阿弥さんの表現がものすごくて……。それを同じレベルで体現するのは難しいとしても、学べるものは自分の中に取り入れていきたいですね。
本当にそこに森があったり動物がいたりするような、見えないものを可視化させるような……そういう表現ができればいいなって、理想だけは高くもってる感じです。ステージ上でただ声を出して体を動かしてみせるのではなく、どこかこの世にはないような空間を生み出したいし、そんな神秘的な作品ができたらいいですね」
橋本は、過去の作品をそのまま演じることは自分の信念に反するという。
「遡った時代の風景が描かれたものをやる上で、現代を反射せずに演じても意味がないと思うんです。女性が被抑圧的であったり、神格化することで人権を奪うことになることなど、現代と重なる部分は多くあります。今回のエルザも、まだ幼い時節に世間から裁かれ、孤独をさまようことになります。私が今この世界に何が必要と思うかを反射させて演じることで、出てくるものも変わってくるし、それは伝わってしまうものだと思っているので」
面白いことに、橋本は当初この作品をハッピーエンドだと思っていたが、作者のシャリーノには「完璧な悲劇だ」といわれたのだそうだ。どんなところが〈ハッピー〉だと感じたのだろう。
「私、この作品の最後のエルザの歌から、すごく希望を感じたんですよ。あの歌はちょっとものすごいなと思っていて……光が見えたんですよね、聴いているときに。でも、シャリーノさんのいうようにその光こそ悲劇だとしたら。これからエルザの深淵に潜り、その悲劇を見つめていきたいと思います」
そんな橋本愛がどんな舞台を作り上げるのか、心から期待したい。
INFORMATION
神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズVol.2
サルヴァトーレ・シャリーノ作曲「ローエングリン」
2024年10月5日(土)神奈川県民ホール 大ホール
開場/開演:16:30/17:00
2024年10月6日(日)神奈川県民ホール 大ホール
開場/開演:13:30/14:00
■曲目
「瓦礫のある風景」(2022年)[日本初演]<約20分>
初演:2022年11月3日 ヴィリニュス(リトアニア)
作曲:サルヴァトーレ・シャリーノ
指揮:杉山 洋一
「ローエングリン」(1982-84年)
[日本初演/日本語訳上演 *一部原語上演]<約45分>
Lohengrin(1982-84)Azione invisibile per solista, strumenti e voci
原作:ジュール・ラフォルグ
音楽・台本:サルヴァトーレ・シャリーノ
修辞:大崎 清夏
演出:吉開 菜央・山崎 阿弥
初演:1984年9月15日 カタンツァーロ(イタリア)(初版初演:ミラノ1983年1月15日)
作品構成:プロローグ、第1~4場、エピローグ
指揮:杉山 洋一
出演:エルザ役:橋本 愛
■演奏(●=「ローエングリン」◆=「瓦礫のある風景」)
成田達輝 ●◆(ヴァイオリン/コンサートマスター) /百留敬雄 ●(ヴァイオリン)/東条慧 ●(ヴィオラ)/笹沼樹 ●◆(チェロ) /加藤雄太 ●◆(コントラバス)/齋藤志野 ●◆(フルート)/山本 英 ●(フルート)/鷹栖美恵子 ●◆(オーボエ)/田中香織 ●◆(クラリネット)/マルコス・ペレス・ミランダ ●(クラリネット)/鈴木一成 ●(フリューゲル・ホルン)/岡野公孝 ●(フリューゲル・ホルン)/福川伸陽 ●(ホルン)/守岡未央 ●(トランペット)/古賀光 ●(トロンボーン)/新野将之 ●◆(パーカッション)/金沢青児 ●(テナー)/松平敬 ●(バリトン)/新見準平 ●(バス)/山田剛史 ◆(ピアノ)/藤元高輝 ◆(ギター)
ローエングリン特設サイト:https://www.kanagawa-kenminhall.com/lohengrin/
Salvatore Sciarrino
1947年、イタリア・シチリア島、パレルモ生まれ。音楽学校に通わずに独学で12歳から作曲を始める。彼の音楽は異なる聴き方や感情的認識を促す独自の要素を持ち、40年以上にわたり驚異的な創造的発展を遂げてきた。ザルツブルク音楽賞(2006)やヴェネツィア・ビエンナーレから生涯功労賞の金獅子賞(2016)を受賞するなど、その功績は多く認められている。
Ai Hashimoto
1996年1月12日生まれ、熊本県出身。2010年「Give and Go」で映画初出演初主演。2013年に映画「桐島、部活やめるってよ」などで数々の映画賞を受賞。同年NHK連続テレビ小説「あまちゃん」に出演し幅広い年齢から認知された。歌手としての活動も行なっており、〈THE FIRST TAKE〉にて“木綿のハンカチーフ”を歌唱し話題になり、『筒美京平トリビュート』に参加した。