
HYBRID HISTORY
来歴とディスコグラフィで改めて辿る、『From Zero』に至るまでのリンキン・パーク
ワーナーの重役でもあった業界のエグゼクティヴで、このバンドを発掘したジェフリー・ブルーは、2020年に「One Step Closer, From Xero To #1; Becoming Linkin Park」という書籍を上梓している。まさにリンキン・パークというバンドが0から1(位)になる局面を見守ってきた人ならではの一冊というわけだが、ニュー・アルバムの名が『From Zero』だと明かされた際に、この書籍のタイトルを思い出した人も多かったのではないだろうか。
リンキン・パークが文字通りのゼロだった時代……そのストーリーはカリフォルニア州アグーラヒルズにあるアグーラ高校でマイク・シノダ(ヴォーカル/キーボード/ギター)、ブラッド・デルソン(ギター)、ロブ・ボードン(ドラムス)が出会ったところから始まる。3人は卒業後も真剣に音楽を続けていくことを志し、ゼロというバンドを始動。マイクと美大で出会ったジョー・ハーン(ターンテーブル)、ブラッドのルームメイトだったデイヴ“フェニックス”ファレル(ベース)、マーク・ウェイクフィールド(ヴォーカル)を招き入れ、6人編成で活動を開始したのが96年のことだ。翌年にはマイクのベッドルームでレコーディングを始め、4曲入りのデモ作品『Xero』を完成。そこからライヴ活動をスタートするのと並行して、UCLAで学びながらゾンバ・ミュージックでインターンをしていたブラッドはA&R部門で副社長だったジェフリー・ブルーにバンドを売り込んでもいる。ただ、助言は得られるもその段階で契約には至らず、先が見えない2年間を過ごしてバンド内の緊張が高まった結果、マークが脱退。フェニックスも高校時代から組んでいたテイスティ・スナックスの活動に専念するために離脱した。
後任のヴォーカリスト探しに時間を費やしたゼロに、ジェフリーの推薦もあってグレイ・デイズで活動していたアリゾナ出身のチェスター・ベニントンが加入したのは99年3月。彼とマイクの相性の良さに確信を得たバンドは、ゼロからハイブリッド・セオリーへ改名し、5月には早くも『Hybrid Theory EP』を完成した。その後ワーナーに移っていたジェフリー・ブルーを通じてようやくメジャー契約を結ぶに至っている。ただ、ハイブリッドというユニットとの混同を避けるために再改名することになり、サンタモニカのリンカーン公園にちなんでリンキン・パークを名乗ることになった。

こうして彼らは2000年に『Hybrid Theory』でメジャー・デビューを果たす(レコーディング期間やリリース直前に出入りを繰り返したフェニックスは演奏には参加していない)。後から振り返ってみれば当時は〈ラップ・メタル〉〈ニュー・メタル〉の勢いが衰えはじめた時期とされがちだが、当時の感覚では(評論的なロック・ファンに嫌われている)リンプ・ビズキットが絶頂を極めていて、リンキン・パークの登場もシーンの新顔を望むラウド・ロック・リスナーの需要にぴったりはまるものだった。その後もバンドの代表曲となっていく“One Step Closer”を皮切りに“Crawling”“Papercuts”“In The End”が連続ヒットし、アルバムは全米2位を記録。翌2001年までに全米で500万枚近くを売り上げてベストセラーとなった同作は、現在までに全世界で3200万枚のセールスを叩き出している。
グランジ以降のメタルにヒップホップやインダストリアル、エレクトロニックの要素も組み合わせ、美麗なメロディーとハードなラップ、激しいスクリームで表現した彼らのフォーマットは、規格外の成功を受けて届いた2作目『Meteora』(2003年)でもよりヘヴィーな形へと発展。易々と全米1位を獲得し、UKなど海外でもチャートを制した。ここにきて彼らは姿を変えつつあるモダン・ロック・シーンで頂点へと登り詰めたのだった。
その後はレーベルとの確執もあって本隊のリリースはやや間が空くものの、折り合いをつけてワーナーと再契約。ここでバンドの在り方を改めて見つめ直したからこそ、以降の彼らは『Hybrid Theory』や『Meteora』の焼き直しに手を染めることなく、常に大胆な変化を約束するバンドとして認識されていくことになるのだった。リック・ルービンをプロデューサーに迎えた2007年の3作目『Minutes To Midnight』ではハードなギターやミクスチャー・サウンドを後退させ、U2と比較されるほどの雄大なメロディーとサウンドを奏でるスケールの大きいロック・バンドへと変貌(日本を含む世界30か国以上でNo.1を記録)。この姿勢は引き続きルービンと組んだ2010年の『A Thousand Suns』でも継続され、ある種のエクスペリメンタルなサウンド・コラージュを凝らしたエレクトロニックなスタイルを披露した。さらに2012年の5作目『Living Things』では過去4作の要素を組み合わせるような形でバンドの輪郭を再定義。そして、マイクとブラッド主導でセルフ・プロデュースした2014年の6作目『The Hunting Party』ではヘヴィーでアグレッシヴなバンド・サウンドに回帰するなど、成功したアーティストならではの創造的な贅沢を続けていくのだった(なお、その間の2013年にチェスターはストーン・テンプル・パイロッツのヴォーカルを務めている)。

そこからの揺り戻しとして、2017年の『One More Light』は、いままでになくメインストリーム志向のポップ・サウンドへと大胆に舵を切る。よく考えると、ここまでの大胆な変化をデビューから繰り返してきたのも凄いし、そうした変化への挑戦にずっと同じメンバーで取り組み続けてこられたのも奇跡のように思える。挑戦的ながらも批評的/商業的に成功を収めた同作のリリースから2か月後、チェスターはこの世を去った。以降のワールド・ツアーは日本公演を含めてキャンセルされ、6月に終えた公演から曲を選んだライヴ・アルバム『One More Light Live』が後にリリースされている。
チェスターのトリビュート・ライヴを終えるとリンキン・パークはそのまま活動を停止。翌2018年にマイク・シノダは初のソロ・アルバムを発表しているが、後に明かされたところによれば、マイクとジョー、フェニックス、ブラッドの4人はバンドの継続を模索して水面下で曲作りを始めていたそうだ(ロブはこの段階で不在だった)。2019年に彼らはエミリー・アームストロング(ヴォーカル)と初めて会い、並行してコリン・ブリテン(ドラムス)を含むミュージシャンたちと制作を開始した。2人が秘密裏に加入したのは2023年。そして、変わり続けることを恐れないバンドの姿勢は、これ以上ない変化を伴って『From Zero』に実を結ぶことになる。 *亜蘭済士
左から、チェスター在籍時のストーン・テンプル・パイロッツの2013年のEP『High Rise』(Play Pen)、リンキン・パークのライヴ盤『One More Light Live』(Machine Shop/Warner)、チェスターが客演したマーク・モートンの2019年作『Anesthetic』(Spinefarm)
マイク・シノダの参加作品を一部紹介。
左から、マーティン・ギャリックスの編集盤『The Martin Garrix Experience』(ソニー)、スティーヴ・アオキの2020年作『Neon Future IV』(Ultra)、サー・スライの2021年作『The Rise & Fall Of Loverboy』(Interscope)
左から、マイクがプロデュース参加したパリスの2023年作『Evergreen』(Hopeless)、マイク&コリンがプロデュース参加したグランドサンの2023年作『I Love You, I'm Trying』(Fueled By Ramen)、フィーヴァー333の2024年作『Darker White』(Century Media)