★Pt.1 挑戦し続ける6人の侍、リンキン・パーク―新種の〈ポップ体験〉示す新作インタヴュー&批評精神に溢れた軌跡を振り返る

★Pt.2 リンキン・パークの過去作を徹底解説&ジェイ・ZやノトーリアスBIGへの偏愛見せてきたマイク・シノダのヒップホップ観


THAT,S THE WAY WE UNITE!
ミクスチャー人気の途絶えない日本において、リンキン・パークはどう愛されてきたのか?

 世界的には2002年頃から下降線を辿っていったニュー・メタルの波。しかし、〈ミクスチャー〉という独自の呼称を生んだ日本において、それは当てはまらない。例えば国民的な人気を誇るRADWIMPSも出自はミクスチャーである。で、遡ること90年代後半。BACK DROP BOMBや山嵐、宇頭巻ら和製ラップ・メタル/ラップコア・バンドが同時多発的に登場し、とりわけDragon AshやRIZEによって〈ミクスチャー〉という言葉が世間に広く浸透していくなか、2003年にはORANGE RANGEがメジャー・デビュー。いま名前を挙げたグループすべてが現在もバリバリ活動している事実だって、よくよく考えれば凄いことだし、リンプ・ビズキット直系のCRAZY N' SANEをはじめ、しっかりと下の世代が育っている様子も頼もしい限りだ。

 日本国内における初期のミクスチャー・シーンは、コーンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの系譜にあるヘヴィーでダーティーな音が主流だった。そうしたアンダーグラウンドな空気感を変えたきっかけとして、リンキン・パークが我が国のアーティストに与えた影響は大きかったと思われる。というのも、ONE OK ROCKやUVERworld、SPYAIRほか、ラップ・メタル的なサウンドでキャリアをスタートさせたバンドが徐々にその色合いを薄め、リンキンの足取りを辿るように壮大で少々メランコリックなサウンドへシフトし、一段上の成功を手にしていくのだから。なかでも、リンキン作品を手掛けるドン・ギルモアにプロデュースを依頼したMAN WITH A MISSIONは、微笑ましいほど直球のチルドレンぶりを見せている。また、バラードで名を馳せたHYの存在も忘れちゃいけない。ではなぜ欧米のニュー・メタル・ブームを支えたグループのなかでも、格別にリンキンは日本で安定した人気を得ることができたのか。その理由のひとつに、彼らのメロディー志向の強さが挙げられるんじゃないかと、フォロワーの顔ぶれを眺めていて感じた。 *山口哲生

ドン・ギルモアがプロデュースしたMAN WITH A MISSIONの“Seven Deadly Sins”