
ありがとう ごめんなさい 言えないきみが好きさ
――“きみはもうひとりじゃない”の制作経緯を改めてお伺いさせてください。顔合わせをした際、加藤さんはすでに歌詞を書き上げられていたそうですね。
加藤「江﨑さんのことはテレビで拝見していたので、オファーを頂いた時はすごく嬉くて。Hana Hopeさんとも繋がりもあったので、みなさんと打ち合わせをする前はドキドキするくらい楽しみでした(笑)。
江﨑さんから曲が届いて、それを聴きながら新聞を開いたら〈ありがとう、ごめんなさいが言える子どもに育てたい〉というメッセージが載った広告が目に入ったんですね。それが決定的で、私はカチンときて〈嫌だな〉と思ったんです。なので、その文言をひっくり返してみたらメロディの冒頭にぴったりハマり、歌詞を書きはじめたら打ち合わせの時までに出来上がっちゃった(笑)。メロディを聴けば、作曲家がどんな曲にしたいかは大体わかりますから。
いま起こっている戦争に心を揺さぶられている人に対する言葉が最後に欲しいです、というのは江﨑さんとの打ち合わせで聞いたリクエストでした」
――江﨑さんは加藤さんの音楽とどのように出会ったのでしょうか?
江﨑「それこそ、自分にとって一番の入り口は『紅の豚』でした。あの映画を見て以来、加藤さんの曲は聴かせていただいており、デビューから60年のカタログの積み重ねがすごいなと思っていましたね。
Hanaさん側から作曲を依頼された時、長く愛される曲を作りたいと思ったんです。当時、童謡や唱歌に興味があったので、長い時間をかけて噛み砕きたいと思える曲を作りたくて。例えば10数年後に振り返った時、合唱コンクールで歌っていた曲はいい歌詞だったなって、いま強く思います。
そういう質量がある作品を作りたいと思った時、真っ先に思い浮かんだのが“時には昔の話を”で、それは子どもの頃に耳にした加藤さんの歌詞を噛みしめる瞬間が多かったからですね。なので、ぜひご一緒したいなと思ったのがきっかけでした」
――顔合わせの時点ですでに書き上がっていた歌詞を渡された時、どう感じましたか?
江﨑「びっくりして、仕事術を学びましたね(笑)。自分で書いたメロディなので、頂いた歌詞を読んでいると頭の中でメロディが流れるのですが、あまりにもハマりがよく、こんなにフィットする歌詞が最初から書けるなんて、と驚きました。不思議な引力がありますよね」
加藤「それこそ、しゃべっている感じなんですよね。元々、メロディが会話のような流れでした」
江﨑「ありがとうございます。戦争については、当時ちょうど世界情勢が不安定になっている背景があって。この時代に作る音楽なので、そのことは含めたかったんです」
加藤「ここまで戦争が長く続くとは思わなかったよね。時代が変わっても遠いところに思いを馳せることは大事だと思います。当時は特にコロナ禍だったので、一人ぼっちで途方に暮れ、しょうがなく空を見ていることが多くて。それと、その後に(高橋)幸宏さんと(坂本)龍一さんが亡くなったり、いろんなことが重なったので強烈な思い出がありますね」
――お2人が亡くなったのは2023年の1月と3月でしたね。

100年前、「紅の豚」の時代に思いを馳せて
加藤「それと、『紅の豚』の舞台が約100年前なんです。第一次世界大戦が終わり、二度と戦争をしたくないという空気があり、大国に小国が支配されるのはまっぴらだということで帝政ロシアも潰れ、アドリア海の周りのあちこちで小さな国がたくさん独立した賑やかな時代なのね。宮崎(駿)さんは、そういう国々がそのまま自由でいて戦争をしなかったら面白かったはずだ、と思ってあの映画を作ったと思います。
もちろんその後、第二次大戦が起こったことを思うと谷間の時代なんだけど、私が歌ってきた“さくらんぼの実る頃”や“百万本のバラ”はそういった100年ほどの歴史をバックグラウンドに含んだ歌たちです。なので“きみはもうひとりじゃない”の詞を書いたのは、人類はこんなに頑張っていいこともいっぱいしてきたのに、また躓いちゃったのね、と時間や歴史の幅を感じる時期でした。
詞を作りながら、若い人たちは出会うことにすぐ答えを出さなきゃいけないサイズ感で生きちゃっているから、わからなさを抱えて途方に暮れながら空を見ることも大事にしてほしいな、とも思っていました。耳を澄ますと空の上から声が聞こえてこない?と伝えたかったんです。いま言った100年の内、私は81年も生きていますもんね(笑)。色々なことの始まりと終わりを見てきました」