坂本龍一が死去したと複数のメディアが本日4月2日、報じている。
「スポニチアネックス」によると、坂本龍一は3月28日に都内の病院で亡くなったという。71歳だった。
坂本は、2014年に中咽頭がんであることが発覚。その後寛解したが、2020年に直腸がんと診断され、がんは両肺などにも転移、ステージ4であることを「新潮」の連載〈ぼくはあと何回、満月を見るだろう〉の初回で公表していた。
2023年3月には、東京・明治神宮外苑の再開発の見直しを求めて小池百合子東京都知事らに手紙を送っており、これについて3月29日に配信された共同通信の書面インタビューで〈音楽制作も難しいほど気力・体力ともに減衰しています〉と明かしていた。
坂本は1952年、東京生まれ。3歳でピアノを習いはじめ、70年に東京藝術大学の音楽学部作曲科に入学、同大学院に進んだ。
75年にスタジオミュージシャンとしてプロ活動を始め、78年に細野晴臣の誘いで高橋幸宏とともにYELLOW MAGIC ORCHESTRA(YMO)を結成した。さらに同年、初のソロアルバム『千のナイフ』のリリースもしている。
YMOで世界的な成功を収め、お茶の間で知られる存在になった一方、ソロ活動も並行して行い、『B-2 UNIT』(80年)、『音楽図鑑』(84年)といった現代音楽・電子音楽・ポップミュージックなどを横断する革新的な作品を発表した。
82年には忌野清志郎(RCサクセション)との共作・共演シングル“い・け・な・いルージュマジック”がヒット。83年には大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に出演するとともに音楽も担当して高く評価され、国内で若者のカリスマとして名を馳せる。そして同年、YMOは〈散開〉した。
87年にはベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「ラストエンペラー」に出演、音楽をデイヴィッド・バーン(トーキング・ヘッズ)、蘇聡とともに担当した。同作でグラミー賞の映画・テレビサウンドトラック部門、ゴールデングローブ賞の作曲賞、アカデミー賞の作曲賞などを日本人として初めて受賞し、映画音楽の作家として国際的に知られるようになる。
90年代に入ると、99年に製薬会社三共(当時)のリゲインのCMに使用された“energy flow”と同曲を収録したシングル『ウラBTTB』が大ヒット。ソロピアノやいわゆる〈癒しの音楽〉のブームを巻き起こした。
2000年代には、2006年にレーベル〈commmons〉をエイベックスと共同設立し、以降の足場とした。
坂本は、2022年12月に配信ライブ〈Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022〉を行っている。同公演は1日に数曲ずつ演奏・収録して編集されたもので、〈ライブでコンサートをやりきる体力がな〉く、〈この形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない〉としていた。
2023年1月17日には、ニューアルバム『12』をリリースしたばかりだった。同作が坂本の遺作になった。
作曲家として、ピアニストとして、プロデューサーとして、映画音楽作家として、YMOの一員としてなど、坂本が遺した音楽とその功績、影響は言い尽くせないほど大きい。また、政治活動や環境問題、エネルギー問題への積極的な関わりや発言など、いち市民として声を上げ、行動しつづけた人物だった。
いまはまだ、教授の死の衝撃を受け止めるだけで精一杯だ。病状は伝えられていたとはいえ、同じYMOのメンバーだった高橋幸宏に続いてこの世を去ったことへの動揺が大きい。
坂本龍一の冥福を祈り、深い哀悼の意を表する。