
消費される商品としての音楽と、歌い継がれる歌
――なるほど。
加藤「いま曲を作るって基本的に商品を作ることなんだけど、“さくらんぼの実る頃”などが生まれた遠い時代、音楽が商品ではなかった頃もありました。ある人がその時その時を生き延びるため声を上げ、それを誰かが受け取って歌い継いできた、そういう曲が多いんですね。もちろん“百万本のバラ”のようにヒットソングになったものもありますが、ただの商品じゃなく言い知れぬ思いやメッセージが込められている曲もあります。音楽の中には、消費されるだけでは終わらない不思議な生き方をする歌もあるんです。一方で上手に作られ、消費される音楽ももちろん必要ですよ」
――そうですね。流行歌といいますか。
加藤「龍一さんと初めて対談した時、〈もし地球が破滅するとして、人類として残したい音楽をタイムカプセルに入れて宇宙に飛ばすなら、どんな音楽を入れたいですか?〉と話したことがありました。YMOの解散前でしたが、龍一さんは〈YMOは入れない〉と言ったんです(笑)。つまり、YMOの音楽はそういうものじゃない、人類のために作ったわけではなく、新しく音楽を作れるツールや玩具が出てきたから夢中になって作ったものだと。その時は瞬間的に思いついたのでしょうね、〈入れるなら“アリラン”とかかな?〉と言っていました」
――興味深いエピソードですね。
加藤「龍一さんと私は2枚アルバムを作ったんですけど(1982年作『愛はすべてを赦す』と1983年作『夢の人魚』)、1枚はドイツやポーランドの1920~1930年代の曲、もう1枚は日本の歌謡曲を取り上げたものですね。日本の音楽について私は徹底的に調べたのですが、美味しいものは大正時代から始まって昭和10年頃でぷっつりなくなるのね。龍一さんは〈“カチューシャの歌”がいい、シングルにしようよ〉と言っていました。“アリラン”の話もそうですが、時代や人々を繋いできた歌の命についての会話ができてよかったですね。
なので、コンテンポラリーな音楽の中には2つの目的があるのかもね。スタンダードとして残って、いつか人を支えていくものと、ある時代を象徴することに意味がある歌。だけど私は、音楽を消費されるものとして作ることに対する抵抗感が未だにあるんですね」
江﨑「それは僕もありますね」
加藤「そうですよね。なので、レコード会社の人に〈登紀子さん、コンサートの最後にとどめを刺すような曲ばかり作らないでよ〉とよく言われました(笑)。そうじゃなく、店先にぶら下がって目立つ売れるものを作ってくださいって。コンサートに行って、じっくり聴いて初めてわかるようなものはダメだって。
それで今回、ディスク2に散々そう言われた曲を入れたんです(笑)。私のコンサートで重要な切り札になってきた歌は、決してヒット曲ではない。その理由はわかりませんが」

――江﨑さんはいかがですか? 流行歌として消費される商品と、聴き継がれ歌い継がれていくものという音楽の2つの在り方について。
江﨑「僕は致命的なほど前者に関心がないんですよ」
――(笑)。でも、多くのヒット曲に携わってらっしゃいますよね。
江﨑「それは、そういうことに向き合って音楽を作っている人たちに対して、自分は何ができるかをちょっと引きで考え、どう支えるかを楽しみながらやっているんです」
加藤「YMOもそうですが、時代の空気を変えるヒット曲の役割は大きいのよね」
江﨑「そうですよね」
加藤「先頭を切って時代を動かす歌には、そういう役割があるんです。なかにし礼さんも〈自分が作った歌で世の中がガラガラと音を立てて回っていくことは、たまらなく楽しかった〉と言っていました。龍一さんもヒット曲を出しながら、一方で音楽が大好きすぎて、亡くなるまで作りつづけていましたよね。
私も60年間、音楽の両面を見ながら、最新の歌を受け止める部分と、次の世代に残していくメッセンジャー的な役割の両方をやってきました。長く歌ってきたからわかってきたこともあるし、それこそが長く歌ってこられた理由の一つかもしれない」
江﨑「僕も両面を見てきましたが、ソロ作品に関しては自分の中で聖域のように思っているんです。語り継がれる、長く呼吸ができる音楽をひたすらに溜めていきたい、ただその思いだけで作っています。でもそれ以外の作品は、瞬間最大風速を求めていますね」
加藤「仕掛けていく音楽もなくっちゃね」
江﨑「そうですね。ただ、必ずしも音楽だけで瞬間最大風速を出さなくていいとも思えてきました。映画や舞台の音楽を作ったり、他の業種や表現ジャンルと手を組んだりすることで世の中に伝わるエネルギーを持てる、ホームランを打てることがあるので、いまの関心はそこにありますね」