©Thierry LeGoues

今世紀最高のアーティストの一人にして、Aの衝撃と情熱は記録にも記憶にも残る。〈サマソニ〉のヘッドライナーとして12年ぶりの来日を控えるなか、タイムリーなベスト・アルバムを入口にしてそのタイムレスな魅力に触れてみよう!

 オフ・ブロードウェイからブロードウェイへの昇格を経て現在大ヒットを記録しているミュージカル「Hell’s Kitchen」。第77回トニー賞で13部門にノミネートされ、2部門を受賞したこの舞台はアリシア・キーズの半生をベースにしたもので、アリシア本人も創作に関わっている。こうして半生が振り返られるほどの存在となった彼女は、2000年代前半、同時期にソロとして活動を始めたビヨンセと共に21世紀初頭のR&Bシーンをリード。自分で曲を書いてピアノを弾く、古風だが新しい感覚を備えたシンガー・ソングライターとして注目を浴びた。現在までにグラミー賞17冠、シングル4曲とアルバム5枚が全米チャート1位に輝き、全世界累計アルバム・セールスは6,500万枚。そうした記録も凄いが、何より記憶に残る曲を残してきた人である。加えて、俳優としての活動、黒人コミュニティの問題や女性の権利を訴える代弁者、人道支援などを行うアクティヴィスト、新事業を展開するアントレプレナーなど、音楽にとどまらない多彩な顔を持つ。

 そんなアリシアが〈SUMMER SONIC 2025〉のヘッドライナーとして来日する。来日公演は12年ぶりだが、〈サマソニ〉への出演は2008年以来17年ぶり。単独公演も行われる。17年前は“No One”の大ヒットで20代後半の若手としてポップ・シーンの最前線を走る存在だったが、今回はレジェンドとなっての来日だ。そして、来日を記念した16曲入りのベスト盤『The Best Of Alicia Keys』も日本独自にリリースされる。キャリア初となるベスト・アルバム。2024年にはアッシャーによるスーパーボウルのハーフタイムショーにサプライズ出演したアリシアだが、そこで披露したデュエットによる2004年の大ヒット“My Boo”も同ベストに収録されている。

ALICIA KEYS 『ベスト・オブ・アリシア・キーズ ソニー(2025)

 

NYから生まれた才能

 情熱的なヴォーカルと美しく鳴り響くピアノ。デビュー・シングルにして6週連続全米1位となった“Fallin’”(2001年)にその魅力は集約されている。また、ジェイ・Z曲への客演ながらエモーション溢れる歌でアリシアらしさ全開となったのが、2009年に5週連続全米1位を記録した“Empire State Of Mind“。フランク・シナトラが歌った“New York, New York”やビリー・ジョエルの“New York State Of Mind”などと並ぶNYのアンセムだ。もちろんこれを歌うアリシアは生粋のニューヨーカー。大都会のコンクリート・ジャングルを舞台にオーガニックなR&Bを歌うアリシア自身のアンセムのようにも受け取れた。

 1981年1月25日、NYにてアリシア・オージェロ・クックとして生を享けたアリシア。幼少期を過ごしたのは、ミュージカルのタイトルにもなったNYはマンハッタンのヘルズ・キッチン地区。タイムズスクエアやブロードウェイの劇場街にも近いエンターテインメントの中心地だ。そこにあった市営アパートで、イタリア系の血を引く母テレサのもとシングルマザーの家庭で育った。父クレイグは黒人で、両親はアリシアが2歳の時に別居。経済的に恵まれているとは言えない環境だったが、6歳の時に譲り受けたピアノを弾き、パフォーマンス・アートの学校に通う中で音楽活動を始めている。ティーンになる頃には、後に彼女のマネージメントを手掛けるジェフ・ロビンソンと出会い、ハーレムやブロンクスで活動。15歳でコロムビアと契約した。その後、飛び級でコロンビア大学に進学しているが、音楽活動との両立が難しく、在学は短期間だったようだ。

 レーベルとの縁もあって、96年にはジャーメイン・デュプリが企画したソー・ソー・デフのクリスマス・アルバム『12 Soulful Nights Of Christmas』に参加。そこに収録されたロドニー・ジャーキンズ制作の“Little Drummer Girl”がアリシアにとっての初録音となる。続いて映画「メン・イン・ブラック」(97年)のサントラにマーヴィン・ゲイのムードを引用した”Dah Dee Dah (Sexy Thing)”という曲で参加。これはメアリーJ・ブライジを意識したヒップホップ・ソウルだった。が、自身もペンを交えていたとはいえ、後の音楽性からするとアリシアのめざす路線ではなかったのだろう。

 こうしてコロムビアを離れた彼女に目をつけたのがクライヴ・デイヴィスだった。アリスタのトップを退任したばかりの彼が新設したJレコーズの所属となったアリシアは、2001年4月に“Fallin’”でシングル・デビュー。同年6月にはデビュー・アルバム『Songs In A Minor』を発表する。かねてからの制作パートナーでプライヴェートでも仲を深めていたケリー“クルーシャル”ブラザーズを影のブレーンとしたアルバムは、14歳の時に書いた“Butterflyz”も含めて10代の音楽活動の集大成とも言える内容だった。冒頭の“Piano & I”ではベートーベンの「月光」を弾いてクラシック音楽の素養を持つピアニストであることをアピール。続く“Girlfriend”ではジャーメイン・デュプリのもとでオール・ダーティ・バスタードの曲を引用してヒップホップ世代であることを伝える。さらに、プリンスのカヴァーやアイザック・ヘイズを起用した曲でクラシック・ソウルへの愛を示すなど、音楽的なバックグラウンドも明らかにしていた。同年9月には地元NYで同時多発テロ事件(911)が発生するが、〈Aマイナー〉を謳った通り哀感の滲むアルバムは図らずも世の気分と合致した。