シアトルの伝説、マザー・ラヴ・ボーンを知っているか?

 今年5月に〈Dark Matter Tour〉を完走し、7月には27年在籍したドラマーのマット・キャメロン脱退を報告したばかりのパール・ジャム。90年の秋にムーキー・ブレイロックの名で誕生してから結成35周年の節目を迎える彼らだが、そもそもこの巨大なバンドの起点にマザー・ラヴ・ボーン(以下MLB)という前身の悲劇的な終点があったのは知られた事実だろう。90年3月にフロントマンのアンドリュー・ウッドを失って活動を終えたMLBは、単に〈パール・ジャムの前史〉では片付けられない、グランジ胎動期のシアトルにおける重要な存在だった。

 その前史にもさらなる前史があり、もともとグリーン・リヴァーとしてサブ・ポップにアルバムも残していたジェフ・アメン(ベース)、ストーン・ゴッサード(ギター)、ブルース・フェアウェザー(ギター)の3名に、元マルファンクシャンのアンドリュー・ウッド(ヴォーカル/ピアノ)、元10ミニッツ・ワーニングのグレッグ・ギルモア(ドラムス)が加わった5人組として、88年にMLBは誕生している。マルファンクシャンとグリーン・リヴァーはローカルの伝説的なコンピ『Deep Six』(86年)に名を連ねたグランジの先駆的なバンドでもあって、MLBは当時の小規模なシーンにおける顔役が揃ったスーパーバンド的な存在だったのかもしれない。

 そんなMLBの個性を特徴づけていたのが、多くの詞曲を手掛けたフロントマンのアンドリュー・ウッドだ。14歳だった80年に兄のケヴィンとマルファンクシャンを組んだ彼は、後にグランジの流れを作り上げていく周囲の面々とは違ってグラム・ロックなど往年のスタイルの影響が濃く、マーク・ボランやジム・モリソンが引き合いに出されるようなロックスター志向もあってか、ティーンになる前から薬物に依存するライフスタイルだったという。

 ともかく注目のメンツによる新バンドとあって、MLBは盟友のサウンドガーデンやアリス・イン・チェインズらと肩を並べて足早に躍進していく。メジャーの争奪戦を経て88年にポリドールと契約し、89年3月にデビューEP『Shine』をリリース。これはサウンドガーデンのメジャー進出作『Louder Than Love』の半年前のことで(ニルヴァーナ『Bleach』の3か月前でもある)、シアトルの若者たちが表通りへ飛び出していく流れの最初の例となった。好況のまま89年の後半に彼らはテリー・デイトの制作で初のフル・アルバム『Apple』を完成。アンドリューが薬物の過剰摂取によって24歳の若さで急逝したのは、そのリリース予定日の数日前にあたる90年3月19日のことだった。

 延期を経て同年7月に届いた『Apple』に広がるのは、ロバート・プラントを思わせる歌唱と粗削りな演奏のダイナミックな融合だ。90年代的な情緒を陰鬱さではなくハード・ロック感覚の勢いで鳴らした内容は絶妙で、2022年にPitchforkが〈90年代のグランジ・アルバム25選〉に選出するなど、後年の評価が高いのも頷ける。このたび登場する日本独自盤『Apple + Shine』では、両作の初リマスター音源をカップリングした2枚組のSHM-CDという高音質の独自仕様も嬉しいところだ。

MOTHER LOVE BONE 『アップル+シャイン』 ユニバーサル(2025)

 MLB終了後、フェアウェザーはラヴ・バッテリーなどで活動し、ギルモアは10ミニッツ・ワーニングの再結成などに参加。一方でゴッサードとアメンはマイク・マクレディとエディ・ヴェダーらを迎えた新バンド=ムーキー・ブレイロックの準備を進める傍ら、サウンドガーデンのクリス・コーネルからアンドリュー追悼曲への参加を打診され、この試みはMLBの“Man Of Golden Words”の詞から名を取ったテンプル・オブ・ザ・ドッグとしてのアルバムへと結実した(サウンドガーデン時代のマット・キャメロンも参加)。もちろんムーキー・ブレイロックがパール・ジャムと改名して以降の活躍は説明不要だろう。グランジ/オルタナがメインストリームに躍り出る直前、35年前のシアトルの熱気を想像すると共に、そんな発火点で一瞬の光を放った先駆者の輝きを追体験したい。

関連盤を紹介。
左から、パール・ジャムの2024年作『Dark Matter』(Monkeywrench/Republic)、マルファンクシャンの2017年作『Monument』(Wammybox)