英国の文豪シェイクスピアの継承と破壊から映画作家の創造的遺産相続の作法を学ぶ。
3人の娘たちを前に年老いた王が語り始める。私は権力の座を降り、国務などの仕事を若い世代に託すことで、あの世への旅立ちの準備を整えたいと思う。ついては、王国を三つに分け、お前たちに相続させるつもりだが、その前に、いかに父である私を敬い、愛しているか、それぞれの思いの丈を自分の言葉で表明してもらいたい。その言葉次第で自分を最も愛する者が誰であるかを判断したいのだ……。2人の姉が言葉巧みに父親を称え、喜ばせるのに対し、王にとって最愛の存在であったはずの末娘コーディリアはなぜか頑なに口を閉ざす。自分の父親への愛は言葉で説明し尽くせないほどに深く、いま姉たちが容易くそうしてみせたように、それを言葉に置き換えようとすればむしろ嘘になってしまう……。しかし、そうした娘の心情や態度を父は悲惨なまでにまったく理解できない。言葉の欠如をそのまま愛情の欠如と受け取り、怒りを爆発させるのだ。結局、世事に長けた2人の娘に領土と財産を譲り、心から自分を愛する末娘を追放さながらにフランス王に嫁入りさせることになる。ほどなくして2人の娘からぞんざいに扱われるようになった老人は、道化などのわずかな家来を連れて孤独に荒野を彷徨い、次第に正気を失うことになる……。
もちろん(?)、ジャン=リュック・ゴダールは、シェイクスピアの戯曲をそのまま律儀に〈映画化〉するわけではない。そもそも「ゴダールのリア王」(1987)については、それが製作されるに至った経緯に注目が集まりがちで、なるほどそれはいかがわしくも興味深いエピソードではある。チャック・ノリス主演の一連のキワモノ的なアクション映画で成功を収め、飛ぶ鳥を落とす勢いだった新興のキャノン・フィルムズが、映画会社としての品位を高めようと俎上に載せたのが、誰もが知る文豪とフランスの有名監督を組み合わせる企画であった。しかしキャノン・フィルムズは、ゴダールがどんな映画作家であるかを把握できていなかったようだ。結局、長い紆余曲折を経て何とか完成した「ゴダールのリア王」は興行的に失敗、製作者側の卓越化の野望も完全には達成できなかったようだ。日本でもこれまで上映やソフト化の機会にあまり恵まれてこなかったことから、曰くつきの作品も少なからずあるゴダールのフィルモグラフィのなかでも〈呪われた映画〉とのレッテルを張られることが多い。

では、ゴダールは「リア王」のどこに関心を抱き、エッセンスを抽出したのか。その中心に置かれるのが、戯曲で口にされる〈NOTHING〉あるいは〈NO THING〉である。周知のようにゴダール作品ではテロップによる文字の提示も重要な表現手段となるが、「ゴダールのリア王」においてキーワードのように頻出するのが、〈NOTHING/NO THING〉である。もちろん戯曲でもそれが重要な意味を帯びる以上、NOTHINGは、シェイクスピアとゴダールが何世紀もの時を隔てて互いに関心を共有できた貴重な言葉なのだ。自分への敬いや愛を言葉で説明しろという父の理不尽な要求に対し、コーディリアはNOTHING(何もない)と答えたのだった。しかし、それは〈私はあなたを愛していない〉という否定の言辞ではない。言葉にできないほどの深い敬いや愛が、NOTHINGと言語化されざるを得なかったのだ。そうした単に〈無〉(否定)なのではなく、〈無が存在する/存在する無〉(肯定)と意味づけされるかのようなニュアンスは日本語に見つけにくいものだが、英語を母語とするはずの父親にとっても理解できないようだ。彼にとってNOTHINGは否定や無でしかなく、そのことは、彼がすぐさま「Nothing will come of nothing」(何もなければ何も出てこないぞ)と娘を糾弾することから伺える。権力(=所有)を愛する王にとってNOTHINGはどこまでも〈無(価値)〉なのだ。
ゴダールはプロデューサーに次のように話ったという。「ぼくはシェイクスピアがどういう人かを知らない。それにこれは別の国語であるわけで、だから、別の国語が話されている別の岸辺に向かうことにするよ」(「ゴダール 全評論・全発言III」)。続けて映画作家は私たちも注目してきたnothingという言葉に短く触れ、本作でロケ地となったスイス・レマン湖畔が〈別の岸辺〉になるが、私たちとしては「ゴダールのリア王」を〈別の国語〉による映画と見なす言及に対し、本作が英語で撮られたゴダール作品であるという事実の確認以上の意味を帯びるものと注目したくなる。漠然とではあるが私はゴダールの仕事に孕まれる〈アングロサクソン的なもの〉に惹かれてきた。すぐに思い浮かぶのは、ローリング・ストーンズが“悪魔を憐れむ歌”をレコーディングする様子やロンドンでの黒人革命家の演説や奇妙な活動を描く「ワン・プラス・ワン」(1968)、自動車工場での長回しが延々と続く「ブリティッシュ・サウンズ」(1969)といった作品だが、すでにその寸前に撮られた「ウィークエンド」(1967)の森に突然〈エミリー・ブロンテ〉が現れ、字幕でもルイス・キャロルに言及される場面に鮮烈な印象を受けた記憶がある。「Nothing will come of nothing」といった言い回しに潜むノンセンスなユーモア(狂気?)をゴダールは愛し、そうした〈アングロサクソン的なもの〉への関心を全面的に展開させたのが「ゴダールのリア王」ではなかったか。祖先の書いた戯曲を書き直しつつある本作の主人公シェイクスピア5世が林を彷徨うなかで妖精たちのグループと出会う場面はとても素敵で、前述の「ウィークエンド」を連想させる。あるいは本作でゴダール自身が怪演するプラギー教授なる役柄は、「リア王」で王に忠実でありながらも辛らつな批判も加える道化の翻案とでも呼ぶべき存在である。ゴダールにとって、イギリスは道化や妖精が跋扈するノンセンスの王国なのだ。しかし、そもそもゴダールの映画は、つねに〈別の国語〉で撮られていなかっただろうか。スイスとフランスを行き来しながらの生涯を通し、彼は映画言語(そしてフランス語)を不断に異国語化し、破壊したのではないか。破壊のための破壊ではない。本作も含め彼の映画で何度も繰り返された言い回しを使うと、燃え上がる炎は物事を終わらせると同時に甦らせもするのだ。コーディリアの抵抗は王国を破壊し、燃え上がらせる。しかし、それが見事な悲劇に結実する……。


年老いた王が娘たちを前に遺産相続の意向を告げる……「リア王」はそんな風に幕を開けるのだった。私たちはいまゴダールの遺産をいかに受け止めつつあるのか。たとえば、彼の遺作「シナリオ」が劇場公開されている。そのドキュメンタリー・パート「シナリオ:予告篇の構想」では、老いたゴダールが2名の協力者に「シナリオ」の構想を伝えており、その一言一句をも聞き漏らすまいとの態度で相続人は彼に接している。「ゴダールのリア王」でも何度か目にする〈イメージの本〉(お手製のスクラップブック?)が、映画の構想を伝えるためのゴダールの常套手段であったことが同作を通じて推測されるが、映画界の辺境を生き、ビデオやデジタル技術の導入を恐れなかった映画作家にとって、それでも〈書物〉が自身の映画の理念を体現するものであったのだろうか。イメージに別のイメージを繋ぐと、人はすぐさま語りから逃れられなくなる。しかし本の場合、ページをめくる行為が介入し、進んだり戻ったりが実感できる。映画はまだそれができていない……そんな同作での身振りも交えた発言を耳にするとき、晩年のゴダールの創作活動を支えた協力者でもあったニコル・ブルネーズの手で映画作家の死から数カ月後に刊行された「ジャン=リュック・ゴダール 思考するイメージ 行動するイメージ」もまたゴダールの〈遺作〉である。あるいは最近日本語に翻訳された「映画の隔たり」では、映画と政治のあいだの、〈隔たり〉をもとに、〈映画の政治学〉の可能性を探るジャック・ランシエールの思考において当然ゴダールが不可欠な参照点となる。ゴダールの死は前述の意味での破壊であり、終わるものからすべてが始まる。そんな遺産目録に「ゴダールのリア王」が新たな装いのもとに加わる。私たちはそれをいかに相続し、燃え上がらせるのか。
※「ゴダールのリア王」のBlu-rayは2025年12月5日(金)に発売が延期になりました
ジャン=リュック・ゴダール【1930-2022】(Jean-Luc Godard)
1930年12月3日、医師の父とフランスの裕福なブルジョワ家庭出身の母のもと、フランス・パリに生まれる。1948年、ソルボンヌ大学に進学した後、カルチエ・ラタンのシネマクラブに通いはじめ、シネマテークの常連となり、フランソワ・トリフォーやエリック・ロメールらと知り合う。1952年から「カイエ・デュ・シネマ」誌に映画評を書くようになり、1959年に「勝手にしやがれ」でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞。〈ヌーヴェル・ヴァーグ〉の一員として頭角を現す。以来、その作風は世界の映画人に大きな影響を与えてきた。2022年9月13日、91歳で死去。
寄稿者プロフィール
北小路隆志(きたこうじ・たかし)
映画批評家。京都芸術大学教授。新聞、雑誌、劇場パンフレットなどで映画批評を中心に執筆。著書に「王家的恋愛」、最近の共著に「エドワード・ヤン 再見/再考」、「アピチャッポン・ウィーラセクタン 光と記憶のアーティスト」、「ジャン=リュック・ゴダール(フィルムメーカー21)」、「青山真治クロニクルズ」などがある。
MOVIE INFORMATION
映画「シナリオ」「シナリオ:予告篇の構想」
フランスの巨匠ジャン=リュック・ゴダールが、2022年に居住していたスイスで安楽死する前日に撮影した映像も含まれる遺作。
監督・脚本・編集:ジャン=リュック・ゴダール
配給:ねこじゃらし
(2024年|フランス・日本|54分)
2025年9月5日(金)全国劇場上映開始
https://roadstead.io/ja/scenarios