ARCHE of DIR EN GREY
3年ぶりのニュー・アルバムに映し出されるDIR EN GREYの根源とは……
各々が同じような方向を見てた
「過去の自分たちと新しい自分たちを、いい具合に混ぜ合わせることができたんじゃないかな、と思っていて。僕ら、アルバムによって結構違うじゃないですか。でも、どの時代が好きだった人にも響く要素があるんじゃないかと思うし、これまで聴いたことがなかった人たちにとっても、ある意味、とっつきやすいところがあるんじゃないかと思う」(京、ヴォーカル)。
『DUM SPIRO SPERO』以来、実に3年4か月ぶりとなるフル・アルバムを完成させたDIR EN GREY。シングルやミニ・アルバムのリリース、度重なるツアーを経てきているだけに、それほどの時間が経過しているという事実に改めて驚かされる。同時に感じさせられるのは、作品を重ねていくごとに深まっていた自身の深層を探るかのような作業が、ここにきて少しばかり違う方向を向きはじめたのではないかということだ。冒頭に引用した京の発言からも窺えるように、『ARCHE』と題されたこの新作には、ある種の懐かしささえ感じさせる側面がある。とはいえ、ありがちな音楽的原点回帰というのとも異なり、いま現在の彼らにしか体現し得ないものが確実に詰まっているのだ。ちなみにこの表題が意味するのは〈根源〉。それについて踏まえながら、京は次のように発言を続けている。
「ちゃんと先を見ながら、もう一回自分たちのいい部分を見直して、うまくいまのDIR EN GREYなりに変換できたらいいなという気持ちがあって。タイトルについても、そういう想いからこの言葉に辿り着いたんですけど、ある意味それがこのアルバムのすべてかもしれない。みんなから出来てくる曲が、自然にそういうものになってたんです。だから各々、次の方向について考えるうえで同じようなところを見てたのかな、と。曲によっては、自分のなかで懐かしい感じがする部分があるのに、それが逆に新しかったり。例えば自分でも、〈これは何か『VULGAR』(2003年作)っぽいな〉と思わされる曲があったりするんですよ。ただ、それだけで終わってたら駄目だけど、ちゃんとそれを新しいものに変換できてるなと思えたんです。もちろんもっと掘り下げていくっていう選択肢もあったけど、極端な話、自分らにしか本当に理解できないものを作ってもどうなのかな、というのもあった。果たしてそれが新しいのかな、という疑問もあったし。自分のなかでは、『DUM SPIRO SPERO』でそういう作業をやりきった感があったので」(京)。
近年のDIR EN GREYは、複雑に構築されたひと筋縄ではいかない楽曲の完成度と、映像や照明効果を駆使したライヴにおける徹底的な世界観の体現をもって支持と評価をいっそう高めてきた。そうした意味において『UROBOROS』や『DUM SPIRO SPERO』、それに伴うさまざまな活動は彼らに多くのものをもたらしてきたといえる。そして、それを通じて徹底的な実験と探求、咀嚼と消化を経てきたという自負がいま現在の彼らにはある。京の口からこぼれた〈やりきった〉という言葉が意味するのは、〈もうそれ以上進めない〉という諦めではなく、〈これでまた新しいどこかに向かえる〉という喜びなのだ。同様のことを、他のメンバーたちも異口同音に発している。