この上ない輝きと燃え立つような音色、自由奔放な魅力に満ちているアルゲリッチの音楽

 スイス南部の風光明媚な都市、ルガーノで毎年4月から6月にかけて開催されているルガーノ音楽祭。これはマルタ・アルゲリッチが主催するプロジェクトがメインをなし、世界各地から著名な演奏家、才能のある新人が一堂に会し、アルゲリッチとの共演を行う。

 もちろん、アルゲリッチが参加しないコンサートもあるが、それらに関してもアルゲリッチが企画・構成に参画し、室内楽と器楽の両面で多彩な曲目が組まれる。

MARTHA ARGERICH ラフマニノフ:連弾、2台ピアノのための作品集 ~ルガーノ・フェスティヴァルの記録 Warner Classics(2014)

 アルゲリッチは1965年、世界最高峰のコンクールと称されるショパン国際ピアノ・コンクールに参加し、見事優勝の栄冠を手にした。このときは極度の不眠症にかかり、楽屋に医者を呼ぶほど衰弱していたが、演奏はこの上ない輝きと燃え立つような音色、自由奔放さに満ち、特にスケルツォ第3番が出色だった。

 翌年、ニューヨークのカーネギー・ホールでデビュー・リサイタルを行い、絶賛を博す。そのころから録音も開始され、ショパン、リストシューマンなどを次々に収録していくが、レパートリーは限られていた。70年代半ばからデュオ活動に力を入れるようになり、ソロからしばらく遠ざかる。彼女のソロを聴きたいファンはそれを待望したが、長年アルゲリッチはソロ作品には別れを告げていた。彼女は非常に繊細な神経の持ち主。そして完璧主義者である。ソロを演奏する孤独感と緊張感に耐え切れず、気の合う仲間との室内楽に楽しみを見出していった。

 アルゲリッチは素のままで勝負する人だ。目立つアクセサリーをつけたところを見たことがない。ステージ衣裳はもちろん、ふだんでも洋服は黒が多い。それなのに不思議な華やかさがある。彼女はあれこれ飾ることをしなくても、自分がありのままで勝負できることを十分に心得ている。そんな彼女を前にすると、なぜか黒水仙、黒バラ、黒百合という幻想的で濃厚な花が脳裏に浮かぶ。妖艶で芳醇な香りを放つ貴重な花、まさにピッタリだ。

 音楽にも飾りはない。楽譜から読み取ったものを素のままに表現する。室内楽の共演者が口々にアルゲリッチと演奏すると気分が高揚して、自分の音楽が熱くなっていくのがわかる、音楽する喜びが頂点まで達してしまうと評する所以だ。そしてアルゲリッチは次々と共演者を変えるのに、一度彼女と組んだ人はほとんど他の人と組まないのも不思議。ここにも彼女の魔性的な魅力が感じられる。

 こうまで男性を引き付け、虜にしてしまうものはいったい何なのだろうか。一度でも演奏を耳にしたことのある人なら、強靭なパワーに満たされていながらも実にデリケートで、限りない女らしさに包まれている音楽だと気付くはずである。

 アルゲリッチのピアノを聴くとき、心がいいようのない幸福感に満たされるのは、いわゆる努力によって積み重ねられたという痕跡がまったく見られない自然体の演奏だからだろう。けっして崩したり余分な手を加えたりせず、瞬間のひらめきに満ち、すばらしくコントロールされた指から発散される音楽で、すみずみまで強烈な個性が息づいている。しかし、この個性は彼女の鋭い感性が作品から読み取ったものだから、だれもアルゲリッチのようには弾けないのである。

【参考動画】マルタ・アルゲリッチのパフォーマンス

 

 今回、再発されるルガーノ音楽祭のライヴや名盤と称される録音は、アルゲリッチの真の天才性が発揮されたものばかり。いずれの作品もこの上ない輝きと燃え立つような音色、自由奔放な魅力に満ちあふれ、音楽する喜びが音からリアルに伝わってくる。疾走するようなテンポ、天に飛翔していくようなリズム、情熱的な旋律のうたいまわし、深々とした打鍵など、その音楽にはあふれんばかりの熱きパッションが息づいている。

 アルゲリッチの演奏を聴く―それは作曲家が作品に託した喜怒哀楽の感情を音から受け取ること。各々の録音から、彼女のはげしく熱く深い音楽への愛がほとばしり出る。

 

LIVE INFORMATION

第17回「別府アルゲリッチ音楽祭」

日程:5/9(土)~18(月)
会場:ビーコンプラザ(別府市) iichiko総合文化センター(大分市)他
出演:マルタ・アルゲリッチ(p)ミッシャ・マイスキー(vc) 紀尾井シンフォニエッタ東京
www.argerich-mf.jp/