JODECIDAL HOTLINE
多岐に渡って繰り広げられた、メンバーたちの課外活動を振り返る
それぞれの領域で才能を発揮してきたメンバーたちの活動を簡単に振り返っておこう。まず、グループのデビュー前からアップタウン関連の作品で裏方として名を売ってきたのがディヴァンテ・スウィングだ。ジェフ・レッドやアルB・シュア!、クリストファー・ウィリアムズ、そしてメアリーJ・ブライジらの90年代初頭作ではその名をたびたび見つけることができる。その後はスウィング・モブの舎弟たちも従えて外部プロデュースを増やし、アッシャーの初ヒット“Can U Get Wit It”を筆頭に、チェンジング・フェイセズやアル・グリーン、トニー・トンプソンらを次々に手掛け、一時はR・ケリーに比肩する名プロデューサーとして一世を風靡した。95年には“Gin & Juice”でソロ・デビューも飾り、2パックやダニー・ボーイらデス・ロウ仕事に傾倒していく反面、注力してきたスウィング・モブ関連の仕事は公式にはほぼ世に出ず。ジョデシィの開店休業とシンクロして裏方業も失速していった。2000年代初頭にはアンドレ・ハレルの縁と思しきリバティ・シティFLAや、レジット、レイJらを手掛けて変わらぬ男声との相性の良さを見せたものの、その後はほぼ隠遁状態に……。マイティ・クラウズ・オブ・ジョイを手掛けてからもすでに5年が経っていただけに、覇気のあるジョデシィ新作での仕事ぶりは朗報だと言えよう。
また、T・ボズ(TLC)との交際で知られたダルヴィンも単にイケメン担当では終わらず。サントラ『Above The Rim』におけるジュウェル“It's Not Deep Enough”をはじめ、兄の後を追って90年代半ばにはアーロン・ホールやボビー・ブラウンらの楽曲に携わっている。なお、ジョジョと立ち上げたプロダクションでは、後にバッド・ボーイで活躍するスティーヴィーJをフックアップしてもいた。
一方のヘイリー兄弟は、サントラ『New York Undercover』(95年)に提供した“Beautiful”を皮切りにデュオ活動を開始、ギャング・スター“Royalty”などに寄与。ベイビーフェイス兄弟との5人組=マイルストーンでの“I Care 'Bout You”も懐かしい。
ただ、それに先駆けて、サントラ『Jason's Lyric』収録のソロ曲“If You Think You're Lonely Now”を披露していたのがK-Ciだ。ウィル・スミスのヒット“Will 2K”に代表される熱烈なシャウトを買われた彼は、従兄弟のカルヴァン・リチャードソンやデイヴ・ホリスター、ケリー・プライス、さらにアーロン・ホールらの曲に単独で招かれ、2006年には初のソロ・アルバム『My Book』を発表するに至っている。
そんな兄に対してジョジョは、デュオ作でも発揮したソングライター/プロデューサーとしての才能を発揮。仕事量は多くないが、なかでも当時交際していたシーシー・ペニストンの“Before I Lay(You Drive Me Crazy)”(96年)はジョデシィ作法の香る好曲だった。グループ復活と共に4人個別の活躍にもまた期待したいものだ。