ベン・シドランといえば、ジャズやソウル、ロックにファンクやフュージョンなどを自在に行き来するボーダーレスな感性の持ち主であり、〈ドクター・ジャズ〉の愛称でも知られる知性派、そして誰よりも〈クール〉という言葉が似合う洒脱なミュージシャンとして認知されている。そんな彼が創造的自由と理想を追い求めて90年に設立し、以降10数年間に数々の名作を世に送り出したレーベル〈GO JAZZ〉の10タイトルがこの度再発された。当時よりもジャズがずっと自由になり、アーバンなポップスがメジャー/インディー問わずトレンド化している現在は、ベン・シドランの早すぎた才能を再発見するのに格好のタイミングであるはずだ。新時代のジャズ・ガイド〈Jazz The New Chapter〉で旋風を巻き起こし、今回の再発でも2タイトルでライナーノーツを手掛けた音楽評論家の柳樂光隆が、彼の先見性と今日的な魅力を解き明かす。
ベン・シドランってどんな人?
様々な文脈を横断してみせたキャリアを振り返る
特に若いリスナーにとって、ベン・シドランは馴染みの薄い名前かもしれない。まずはGO JAZZに至るまでのキャリアを柳樂氏に紹介してもらおう。
「ベン・シドランっていろんな切り口がある人なんですよ。僕が初めて聴いたアルバムは『Don't Let Go』(74年)。ジャケットも可愛いんだけど、収録曲の“Hey Hey Baby”がMCソラーの“Victime De La Mode”(91年)という曲でサンプリングされているんですよね。90年代はヒップホップのサンプリング・ネタがどんどんCD化されて、そこからみんな掘っていった。そういう世代にとってベン・シドランは馴染みやすかったんです。ヘタウマじゃないけど、歌声にも味がある人で。ボブ・ドロウやデイヴ・フリッシュバーグ、(今回のGO JAZZ再発にも含まれる)ジョージィ・フェイムやモーズ・アリスン辺りに通じる魅力がある。それってモッズに連なる系譜でもあって、(スタイル・カウンシルを結成した)ポール・ウェラーにも通じる感性だったともいえるのかも」
90年代に入って、ベン・シドランはフリーソウルの文脈で再評価されている。昨年にも橋本徹氏監修のリイシュー・シリーズ〈Free Soul Collection 1000〉で、『Don't Let Go』など3タイトルが復刻されたばかりだ。
「それまでサンプリング・ネタといえばファンクの強烈なドラム・ブレイクみたいなのが主流だったけど、そうじゃない小粋でオシャレな曲をサンプリングしたものの人気が出始めて。ボブ・ドロウにも“Three Is A Magic Number”というデ・ラ・ソウルの元ネタ曲がありますけど、90年代に東京の人はそっちに反応して、ベン・シドランとかボブ・ドロウを熱狂的に聴いていた。フリーソウルの世界でも“Hey Hey Baby”を契機に人気が出たわけだけど、この曲のドラムは今回の(GO JAZZ)再発盤のなかでも叩いているクライド・スタブルフィールド。ジェームス・ブラウンのバンドにもいた人で、だからファンクまでいかないけど、割とがっつりブラック・ミュージックっぽい。リズム&ブルースの洗練されたやつみたいな」
改めて経歴を遡ると、ベン・シドランはウィスコンシン大学時代にスティーヴ・ミラーやボズ・スキャッグスと出会い、鍵盤奏者としてスティーヴ・ミラー・バンドに加入。さらにジェシ・デイヴィスやジーン・クラークらの作品に参加するなど、先に60年代後半からロック・シーンで偉大な足跡を残している。また、67年にはイギリスに渡ってサセックス大学で学び哲学博士号を取得しているが、この頃に名プロデューサーのグリン・ジョンズらとも親交を深めたという。
「ジェシ・デイヴィスやジーン・クラークも、カントリーとかシンガー・ソングライター(以下SSW)的な作風ですよね。(72年作『I Lead A Life』を皮切りに)70年代のベン・シドランはブルー・サムから何枚もアルバムを出しているんだけど、その時期の作品はそういうSSWっぽいテイストに、ジャズやソウルも入っているというか。まだジャズに振りきれてなくて、その狭間な感覚が思い切りフリーソウルしてたんですよね。(GO JAZZ再発に含まれる)フィル・アップチャーチという、ニューソウルの名盤に参加しているギタリストも当時はブルー・サムからリリースしていて。後にサンプリング・ネタにもなる、ソウルっぽいアルバムをいっぱい出しているレーベルだった。この時期にもう一つ特筆すべきは、ジョン・ヘンドリックス『Tell Me The Truth』(75年)のプロデュース。このアルバムもアリスタから出ていて、クラブ・ジャズの時代にU.F.O.が収録曲の“I’ll Bet You Thought I’d Never Find You”をカヴァーしたり、ピチカート・ファイヴの小西康陽さんもこの作品の曲をよくDJでかけてました」
今回のGO JAZZ再発ではライナーノーツが全タイトル一新されており、そのうちの一つ、ベン・シドラン『Bop City』の解説で、執筆者の行方均氏は1976年に聴いたベン・シドランの音楽について「ロックでもフュージョンでもなく、といっていわゆるジャズではない。しかしロック出身のジャズ・ファンの耳にはこの上なく魅力的なものだった」と述懐している。
「リアルタイムのジャズ・リスナーには中途半端に思われてしまったのかもしれないけど、はっぴいえんど辺りのファンや、アメリカの音楽でもセンスのいいハイブリッドな線を好んで聴いていた人たち、パイドパイパーハウスとかでレコードを買っていたような人たちが、70年代からベン・シドランを聴いていたんだと思う。AORまではいかない、ちょうどいい塩梅なんですよね。ジャクソン・ブラウンだとちょっと重いけど、弟のセヴリン・ブラウンだとしっくりくるみたいな匙加減で。ベン・シドランはそのあと70年代中頃になるとアリスタからアルバムを出していて、その時期はもっとAORやフュージョン。有名なのが『Live At Montreux 』(78年)で、マイケル・ブレッカーみたいなフュージョンの大物も参加している。めちゃくちゃ凄い演奏にベン・シドランのヘタウマっぽい歌が乗っかって、それが結構いい感じなんですよ」
「それにベン・シドランは、自分で本も執筆したブラック・ミュージックの研究者でもあって。ジャズやリズム&ブルース、ソウルにかなり造詣が深かった。だから古い曲を引っ張り出してきたり、フレーズを引用したり、曲のなかでミュージシャンの名前をひたすら羅列してみたり、誰かにオマージュを捧げてみたり。そういう通好みな仕掛けもたくさん用意していて。多くの再発でリスナーのリテラシーが上がっていた渋谷系の時代に再発見されるのにふさわしい才能だったし、そもそも本人が遥かに早い段階から渋谷系の方法論を先取りしていたともいえますよね。よくドナルド・フェイゲンとも比較されてますけど、ジャズに憧れるロック・ミュージシャンのフェイゲンと、ロックやソウルを取り入れられるジャズ・ミュージシャンのベンは、ちょうどベクトルが逆の存在だといえるでしょうね。そんな感じで80年代以降もアルバムを出し続けて、90年代の最初にGO JAZZを設立します」
時代を先取りした感性と、仲間に当てた粋なスポットライト
ベン・シドランとGO JAZZの歩んだ10年間
今回の再発10タイトルで最初に取り上げるべきは、レーベルの第1弾作品でもあるベン・シドラン『Cool Paradise』(90年)だろう。同作の解説で橋本徹氏も指摘しているように、トライブ・コールド・クエスト“Can I Kick It?”より半歩早くルー・リード“Walk On The Wild Side”を引用した“Lip Service”をはじめ充実の内容で、シルキーなアレンジと小洒落たムードは2015年の気分とも絶妙にマッチしている。
「最近、サラ・ガザレクという女性ジャズ・シンガーが来日していて。物凄くうまいヴォーカリストなんだけどSSWっぽい曲が好きで、デビュー作でジョニ・ミッチェルをカヴァーしていたり、ブロッサム・ディアリーを丸々一枚オマージュしたアルバムを作ったりしているんです。そんな彼女がずっとレパートリーにしてるのが、ビートルズの“Blackbird”と、ジャズ・スタンダード“Bye Bye Blackbird”のメドレー。そこに別ヴァージョンではニック・ドレイクの曲をやったりもしていて、それも今っぽい。“Bye Bye Blackbird”ってチェット・ベイカーも含めてたくさんのジャズメンが取り上げている曲だけど、こういうSSWのフォーキーな感じにもハマるんですよ。『Cool Paradise』はこの時点でそういう曲を取り上げているのも凄い。あと、ベン・シドランは圧倒的にポップですよね。ベニー・シングスやウーター・ハメルと並列して聴けるし、ビリー・ジョエルからギルバート・オサリバン、最近のジェイミー・カラムに連なるピアノ・ポップスの系譜にもいるというか、個人的には近い感覚で接しています」
ベン・シドランが同様の審美眼と感性を光らせているのが、81年作の『Old Songs For The New Depression』。
「今回の再発では一番古いもので、元々は(GO JAZZでなく)アイランド/アンティリーズから出ていたアルバム。当時の日本では『New Wave Bebop』というタイトルでリリースされていて、どちらのタイトルからも明らかなとおり、古い曲を蘇らせようというコンセプトの作品です。ただ、当時マイルス・デイヴィスのバンドで脚光を浴びていたマーカス・ミラーが参加していたりするのもあって、古い曲を演奏しても古臭い感じがまったくない。前向きなオールドタイミーという感じ」
「このアルバムはホーギー・カーマイケルというソングライターへのオマージュ作でもあるんですよね。ジャズ・リスナーはビリー・ホリデイとかサラ・ヴォーンみたいに強くて深いものが好きだから、古い世代ながらSSW的資質をもっていたホーギー・カーマイケルみたいな人を過小評価しがちなんですけど、そういう人にリスペクトを捧げるというのもベン・シドランの立ち位置を示している気がします。このアルバムに収録された“Making Whoopee”も古いスタンダード曲で、後にエルヴィス・コステロやノラ・ジョーンズも取り上げていますけど、それを81年の時点でやってたというセンスに驚きますよね。そういうSSW的な資質をもつジャズ・ミュージシャンって、ある時期を境にマデリン・ペルーとかメロディ・ガルドー、あるいはホセ・ジェイムズ辺りも含めてたくさん登場していますけど、当時のシーンでは珍しかった。都会的なセンスは(ノラも参加していた)ワンス・ブルーにも通じるところがあるし、先駆けみたいなところはありますね」
そもそも、GO JAZZはどのようなコンセプトで設立されたのか。
「(GO JAZZの)サイトを見てみると、アルバムだけじゃなくてイヴェントや写真もいろいろクレジットされていて。ただのレーベルというより、プロジェクトと呼ぶべきなのかもしれない。自分の惚れ込んだアーティストや、身近な仲間たちの作品をリリースしたいというモチベーションが強かったみたいですよね。ただ、そういう場合って友達同士の慣れ合いみたいになりがちだけど、彼の場合はそんな感じはなくて。リッキー・ピーターソンのように当時脂の乗ってた人、あとはビル・キャロザーズとかデヴィッド・ヘイゼルタインのように、アヴァンギャルドにも片足突っ込んだコンテンポラリー・ジャズの凄腕も起用していた。(レーベルを通じて)自分のアンテナに引っかかった人、本当に優れたミュージシャンと一緒に何かやりたかったんでしょうね」
そんな本気のセッション意欲が上質にパッケージングされているのが、95年作の『Mr. P’s Shuffle』。
「シカゴ・ジャズの巨匠ロスコー・ミッチェルや大ヴェテランのフランク・モーガンとか、参加メンバーがとんでもないんですよ。リチャード・デイヴィスはエリック・ドルフィーの名盤にも参加したベーシストだし、先ほども名前が出てきたフィル・アップチャーチやクライド・スタブルフィールドも名前を連ねている。そこに自分の息子、レオ・シドランも参加しているんですよね。ベン・シドランじゃないと集められない顔ぶれで、音のほうも古さと新しさが入り混じっている感じ。本人も80年代のバブリーな空気から戻ってきていて、オーガニックな演奏を取り戻しているんだけど、テクニックや音楽性はきちんとフュージョンを通過している。いろんな方面にトライする尖った人が、枯れすぎることもなく、いい感じに年齢を重ねてヒップなおじさんになったというか。そういう感じもいいんですよ」
「『Bop City』(83年)もいいアルバム。ビリー・ジョエルの『52nd Street(邦題:ニューヨーク52番街)』でサックスを吹いてるフィル・ウッズも参加していて、絵に描いたようなアーバン・サウンド。他のメンバーもステップス・アヘッドの面々、マイク・マイニエリやスティーヴ・カーン、ピーター・アースキンなど〈フュージョン・オールスターズ〉が集っていかにもゴージャス。その一方で、収録曲はマイルスやコルトレーンによる往年のナンバーを取り上げていて、それをフュージョンになりすぎないギリギリの線で演奏している。この作品もそうだけど、ステップス・アヘッドみたいなフュージョンの人たちが、その技術をキープしたままアコースティックな演奏やスウィングのリズムに回帰した時期があって。ウェザー・リポートだと『Night Passage』(80年)がそれで、そういう作品っていま改めて楽しめそうな気がしますね。ロバート・グラスパーの新作もそうですけど(参考記事:ロバート・グラスパーもOMSBの新しいファンに! 奇跡のセッションが実現したスペシャル対談)最先端の技術やセンスをオーセンティックなジャズのど真ん中にコミットさせたいって動きは、いつの時代もあるじゃないですか。80年代における〈そういう試み〉を実践していたといえなくもない」
ちなみにGO JAZZは既に活動終了しており、ベンは現在ナルディスというレーベルを運営している。今回のGO JAZZ再発では、ここまでに名前が挙がったジョージィ・フェイムやリッキー・ピーターソンなど、ベン・シドラン以外のアーティストの作品も6作復刻された(詳細はこちら)。いずれも隠れた名作と呼びたい聴き応えのあるラインナップだが、そのなかで柳樂氏のお薦めはレオ・シドランだ。
「息子もいいミュージシャンなんですよ。ラテンっぽいテイストもあったりして。フリーソウル的な感覚を継承しているし、お父さんに匹敵するくらいオシャレ。ジャケットもフランス版ブルーノートみたいな感じですし」
ベン・シドラン主宰、愛と正義の名レーベル「Go Jazz」。
早過ぎたその音楽を今だからこそ聴いて語る3時間
日時/会場:7月25日(土) 四谷・ジャズ喫茶いーぐる
開場/終了:15:30/18:30
出演:後藤雅洋(ジャズの巨人)、吉成伸幸(ロックの超人)、吉岡正晴(ソウルの鉄人)
(進行:行方均、坂本涼子)
会費:800円+1 drink order
問い合わせ:03-3357-9857(会場)
http://www.jazz-eagle.com/information.html