イワンの馬鹿、あるいはイワンの嘘。

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 ストーリーがWalkする。映画の中でセリフがバウンスし、言葉が人に、シーンに、舞台に叩きつけられる。映画『バードマン』は、フェイクからリアルを紡ぎ、フィクションからリアリティをでっち上げる俳優の孤独な闘いを描く。副題の『無知がもたらす予期せぬ奇跡』は演劇を経験したことがない映画俳優が初の舞台で作り上げる奇跡を評する、劇中に登場する批評家の言葉だ。主人公リーガンは、かつてヒーロー映画『バードマン』三部作で主役を演じ大成功おさめた過去の名優である。バードマンを演じた俳優だったはずの彼は、人々の視線の中では今でもバードマン以外のなにものでもないという自身の妄想を断ち切るために、生身の俳優として生の舞台に立つ事を決意する。しかし演じる事、誰かになることでしか人の記憶に残らない俳優の捻れた状況は、迫真の演技を追求するひとりの狂った共演者の出現によっていっそう錯乱し、混乱していく。舞台の上で自死を演じる彼の役は、「本当に舞台の上で死んで見せる」演出を選択させるまでに彼を追い詰めていく。この映画は見ることの病/快楽・見せることの病/欲望についてのドキュメンタリーのようである。

 しかしこの映画をドライブさせているのは、映画が作り上げる世界の中に登場する劇中劇を伴奏する夢のようにうっとりしたアダージョなクラシック音楽と、登場人物の錯乱や不安を煽るように伴奏するドラムソロの音楽だ。からっからに乾いたドラムの音の、映像を刺すような、こするような音が俳優の動きにまとわりつく。人を叩くかのような鋭い言葉を、ドラムがグルーヴさせる。音楽を担当したドラマー、アントニオ・サンチェスは、カメラを手にストリートで映画を作ったヌーヴェルヴァーグの監督たちのように音楽をつけた。この映画の中でドラムのチューニングは解かれ、楽音は騒音へ霧消し、楽器は叩かれるオブジェと化す。そしてその音が、この映画に魔法をかけたのだと、改めて思う。そういえば物体に宿る精霊を解き放つには叩けば良いとささやいたのは、ある映画監督だった。

 

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン(2015)

監督・脚本:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
出演:マイケル・キートンザック・ガリフィアナキスエドワード・ノートン/他