フル・アルバムのリリースこそなかったものの、Yogee New Wavesの2015年は極めて起伏に富んだ1年だったと言えるだろう。春にギタリストの松田光弘が脱退し、夏には〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015〉や〈SWEET LOVE SHOWER 2015〉など多数の大型イヴェントに出演。その一方で、秋にはヴォーカリストの角舘健悟が喉を患って〈Sunset is Coming TOUR〉の名古屋・得三公演が急遽キャンセルとなるというアクシデントにも見舞われたりもした。しかし、12月には新作EP『SUNSET TOWN e.p.』がリリースされ、渋谷WWWでのリリース・パーティーはソールドアウトと大成功に終わった――ここではそんなヨギーの濃密な1年間について、角舘、ベースの矢澤直紀、ドラムスの前田哲司というメンバー全員に、時系列でたっぷりと語ってもらった。

 


 

January

――2014年末から2015年にかけてのバンドのムードはどんなものでしたか?

角舘健悟(ヴォーカル/ギター)「ガンガンだったよね」

前田哲司(ドラムス)「イケイケゴーゴーでしたよ」

角舘「どんな奴でもかかってこいよという雰囲気だったかもね。けどいま考えたら、若気の至りだったなあって思う」

前田「メンバーも脂が乗ってきて、ライヴもグルーヴが出てきて、ほんとに無敵感があった」

角舘「『PARAISO』の曲が完全に身体に染み渡ってて、もうやるっていうよりも〈匂わせる〉に近い感じでライヴができてた。この時期は悪いライヴがなかったよね」

前田「そうだね、ここらへんの時期は終わったあとの反省会もなかったよな」

角舘「すぐ〈乾杯!〉という感じ。〈イエー、おつかれー! ちょー楽しかったねー!〉というバイキングみたいなテンションだった(笑)」


2014年12月23日、東京・新宿MARZでのライヴ映像

 

――2015年はこういう年にしようといった話はされてたんですか?

角舘「いや、してないですね。もうこの勢いのまま飛び続けるほうが俺らにとっていちばん良いとわかってたかな」

――1月30日から2月1日までHomecomingsの〈GHOST WORLD TOUR〉にゲスト出演されてました。

角舘「はじめて同世代のバンドとツアーを回ったんですよ」

前田「最初は名古屋で、そのあと大阪、岡山と3日連続でした。(矢澤)直紀くんはここは行けなかったんだよね」

角舘「そうそう、直紀くんよりイケメンの奴がサポート・ベースに入って(笑)」

矢澤直紀(ベース)「俺らの誰よりもイケメンだったでしょ(笑)。だから1月はあんまりバンドに参加してない」

前田「このツアーは楽しかったなー。まず1日目に誰よりも良いライヴをしたように思います」

角舘「お互いに関東としてのプライド、関西としてのプライドがあったんじゃないかな」

前田「ホムカミも影響を受けたのか、最終日の岡山では良いライヴしてたよな」

角舘「2日目の大阪のライヴのあととか、あいつら反省会してなかなか打ち上げに来なかったよね。凄くいいと思った」

――このツアーがヨギ―に与えた影響はありますか?

角舘「2014年から同世代のバンドが同時多発的に出てきたんです。そのなかでもホムカミとはずっと仲良くしてた。だから、このツアーに誘われて嬉しかったけど、そこまで特別視してたわけではないかな。自分たちの首に噛みついてくる奴らのほうが、俺らは同世代として欲しいと思ってた」

――この1年で首に噛みついてきたバンドはいますか?

角舘「噛みついてきたってワードはちょっと乱暴だけど、同じレーベルのnever young beachD.A.N.、あとはSuchmos。彼らの音楽はもうグッドだよね」

 never young beachの2015年作『YASHINOKI HOUSE』収録曲“どうでもいいけど”

 

February

――踊ってばかりの国曽我部恵一と共演した2月7日の東京・恵比寿ガーデンプレイスでのアコースティック・イヴェント〈GOOD VIBRATIONS vol.2〉と同日の夜に開催された川崎の〈BAYCAMP 201502〉は、ダブルヘッダーでライヴを敢行という強行スケジュールでした。

前田「〈BAYCAMP 201502〉が深夜というか明け方の出番だったから移動できたんだよね」

矢澤「ヨギーは週末しかライヴができないから、土日でなにか良いイヴェントがあったらとりあえず出るというスタンスでやってるんです」

前田「曽我部さんの弾き語りがあまりに気持ち良くて、そのまま一緒に打ち上げまで行って、それから〈BAYCAMP〉に行った」

矢澤「憧れていた人たちと(一緒に)ライヴをできるようになってきたのが、この頃のような気がします」

角舘「そうだね。大好きな曽我部さんにやっと会えた、みたいな」

前田「しかも、びっくりするくらい褒めてくれたんだよね」

角舘「歌として褒めてくれる感じがあったよね。俺らがメロディーを紡ぐ感じに共感してくれた気がした」

――27日にはSECOND ROYALから”Fantasic Show”の7インチ・シングルがリリースされました。

角舘「俺はすごくレコードが好きだから、セカロイ(SECOND ROYAL)から話が来たときは2つ返事で〈出す〉と言いましたね。変な話、他のレーベルからでもOK出してたと思う」

前田「セカロイの(リリース)条件が新曲だったんだよね」

――1年を通して見ると『PARAISO』でも『SUNSET TOWN e.p.』でもなく、ここにこそバッチリはまったシングル曲だなと思いました。

前田「うん、確かに」

角舘「『PARAISO』はチルウェイヴやサイケ、レゲエやダブに着目して作ったんですよ」

前田「だったね。制作当時はチルウェイヴをめちゃくちゃ聴いたもんね」

角舘「で、『PARAISO』のあとに僕のなかで山下達郎さんブームが来るんですよ。前から好きだったんですけど。車の中でずっと聴いたり。“SOLID SLIDER”とか。この曲のここをやってみようとかそういう話じゃなくて、普通に良いよねとなった」

前田「“Fantasic Show”はみっちゃん(松田光弘)のリフがキーになった。あの感じは『PARAISO』までのヨギーにはなかった。でもリズム隊の2人もブラック・ミュージックはもともとすごく好きだから、ああやっとこういうのをやっていいんだと(笑)」

矢澤「ついに健悟からOK出たなって。のちにそうなるとわかったんだけど、この曲はみっちゃんの参加した最後の作品でもあるからね。この頃のあいつの不安とかも入ってる曲なんだろうなと思う」

――昨今のディスコ再評価みたいな流れともハマりましたよね。リスナーの反応はいかがでしたか?

角舘「シンプルにヨギ―のライヴで踊れるということに気付いてくれた人が多かったね」

――もともとヨギ―のライヴ自体は踊れるものだったけれど、それをいちばんわかりやすい切り口で示したのが“Fantasic Show”で、この曲を出すことで他の曲のグル―ヴィーな面も伝わりやすくなったのかもしれません。

前田「あるかもしれない。リハでも最初にこの曲をやるんですよ。いまのヨギ―のサウンドを作るうえでプロトタイプになってる曲」

 

March

――6日に東京・渋谷WWWにて森は生きているとnever young beach、DJで田中宗一郎を招いての“Fantasic Show”のリリース・パーティーが開催されました

前田「3月頭にみっちゃんの脱退が決まって」

角舘「その直後だよね。俺は気が気じゃなくて、この日のライヴの内容はまったく覚えてない。残ってるのは最低のライヴをしたことだけ」

矢澤「良くなかったねえ」

前田「しかもネバヤンが結構良くてね。みんなちょっと不安みたいなのがあった。それはネバヤンに対してじゃなくて、将来への不安みたいな(笑)。それで上手くいかなかった」

角舘「俺は歌詞を間違えるわ、自分のグルーヴも出てないわ。どこを見ていいかもわかんないし、上の空が抜けなかった。そのあとタナソウさんにも〈全然良くなかった〉と言われるんですよね」

前田「でも俺らも俺らでこの日の良くなかった理由は明白だったから、そんなに話し合うことでもないという感じだったな」

 

April

――この月はヨギ―のライヴが1本もなくて、角舘さんのソロでの演奏が活発化しました。

角舘「4月から大学院を休学したんです。学校という鎖が取れたことで動きやすくなった。単純にシンガー・ソングライター自体に憧れもあったし。身体一つで稼ぎに行けるのってすごくシンプルじゃないですか。肉を採りに行って売るみたいな。このときは卒業式でも結婚式でもなんでも行って歌うよというモードでしたね。それはいまも変わらなくて、ヨギ―が出られないイヴェントには僕が出て――という感じでやってるんです」

前田「この月に俺も就職して、新人研修があるから4月はヨギーのライヴはできないねという話になってたんです。そのぶん健ちゃん1人で、というのが増えた時期でしたね」

角舘「俺はここで完全に背負う覚悟ができた。俺が動けないとYogee New Wavesは死ぬと思ったから」

矢澤「健ちゃんのソロが多くなるのはプロモーション的にも良いですよね。俺ら(矢澤と前田)は限られた時間しかなくて、その限られたなかで120〜150%出すには、フロントマンが穴を埋めてくれるしかない。渉外的な部分も全部やってくれてるし、いまのヨギーは4月の健ちゃんのソロ活動があってこそだと思います。1か月何も動きがないと結構違ってくるから」

前田「見栄え的にもね。ライヴ面で言ったら、ここらへんから健悟のグルーヴがすごく変わってくる。その変化はバンド的に良い面も悪い面もあるんだけど」

――良くも悪くもというのを具体的に言えば?

前田「健悟が出したいノリというのがソロを見るとよりわかるじゃないですか。良い面は、そこに寄り添ってあげたいと思えるところ。でも逆にYogee New Wavesとして、そこをどこまでやっていいのか判断が難しくなるというのが悪い面ですね。それを全部やっちゃうと、Yogee New Wavesというより角舘健悟のソロに付いて行くバック・バンドになるし、そうはなりたくない。最近もそこは話したよね」

角舘「俺のソロをバンドで具現化したら、たぶんZAZEN BOYSみたいになると思うんですよ。急にテンポが速くなったり遅くなったりを繰り返したり」

前田「バンドとしての気持ち良さをどう見据えるか、みたいなところは意識するようになりました」

――結果的には、角舘さんがフットワーク軽くソロでやることによって常に動いているようにも見えるし、週末にしか活動できないことで、むしろバンドのライヴ自体のスペシャル感も高まった。良い着地点にいるのかなと思います。

角舘「いろいろな意味で、僕らは適応することの上手い若者たちではあるんですよ。どう問題を解決して、いまの状況をどう自分たちのために活かしていくのかを考えるのは上手」

前田「自然にこの流れになってたような気がするけど、いま思うと健悟がすげえ考えてやってくれていたことがわかるし、ありがたいなと思います」

――18日の〈レコード・ストア・デイ〉には『PARAISO』のアナログ盤がリリースされました

角舘「『PARAISO』はメンバー同士がお互いを癒すためのアルバムというか、俺は身内が楽しめる〈パライソ〉というものを作ったように思う。要するに、いち早く社会に出ていた直紀くんとか、そういう人が幸せになれる場所としてYogee New Wavesを作ろうと思ってたの。メンバーに〈旅行に行こうよ〉と言ってるみたいに俺は曲を作った。だから外よりも内側に向けたアルバム」

矢澤「Yogee New Wavesが、バンドとしてやっと一つの形になった作品だったんじゃないかな。音楽的な要素も人脈も、そのとき使えるものをすべて使い切って作った。出したときに今後もっとこうしていきたいというのはあったけど、心残りや悔いは一切なかった」

前田「若さとか熱量が全部落とし込まれてるよね」

矢澤「緻密というより、そのときの俺らが出せるものをがむしゃらに出して作ったアルバム」

『PARAISO』の収録曲“Hello Ethiopia”