自身のルーツを丹念に掘り起こしながら、独自性の探究と〈お遊び〉を繰り返した70年代。触れれば彼とわかる〈ナイアガラ・サウンド〉を完成させ、ジャパニーズ・ポップスの金字塔を打ち立てた80年代。沈黙の続いた90年代、2000年代……そして2013年冬。〈十二月の旅人〉が北へと還ったあの日から2年以上の時を経て、永遠の別れを告げたはずの彼から便りが届いた。32年ぶりの〈ニュー・アルバム〉を契機に、その旅路を振り返る
★Pt.1 コラム〈大滝詠一の足跡〉はこちら
★Pt.2 ディスクガイド〈大滝詠一を知るための10枚〉、コラム〈ナイアガラ・サウンドの原典〉はこちら
★Pt.3 ディスクガイド〈耳で聴いたピープル・トゥリー〉、コラム〈オマージュから見る大滝詠一の残したイメージ〉〈作家としても眩いスポットを浴びた〈ロンバケ〉以降の大滝詠一〉はこちら
大滝詠一、ふたたび
例年、彼が記録してきた銀盤が新装され、届けられる日となっている3月21日。
しかし、今年の便りはいつもと違う。僕らはここで〈あの頃〉の彼の歌声と初めて出会う!
歌手・大滝詠一の最盛期
夢でもし逢えたら素敵なことだと考えていた作品が現実に登場した。32年ぶりとなる大滝詠一のニュー・アルバム『DEBUT AGAIN』。その内容を知り、ベッドから転げ落ちた人も少なくないだろう。並んでいるのは、主に80年代に大ヒットした提供曲の本人歌唱版。これは快挙であり奇跡だ。思えば、78年発表の裏ベスト盤『DEBUT』も近い構造を持つ作品だったが、なんたって今回はトータル500万枚以上のセールスを誇る大滝作品が揃ってる。華やかさは比べものにならない。まぁ、2014年発表のオールタイム・ベスト『Best Always』で本人歌唱版“夢で逢えたら”が蔵出しされた際、〈ひょっとしたらほかにも?〉という予感が働いたのは事実。しかし、まさか一枚のアルバムとして成立するだけの楽曲が用意されるなんて。何度も頬をつねってみたくなる。
スタッフも存在を知らなかったというこの音源たちは、大滝の歌声が持つさまざまな魅力を浮かび上がらせてくれる。ひょっとして提供者に聴かせるためのガイド・ヴォーカルなのでは?という疑問を抱くかもしれないが、どれもあらかじめ世に送り出されることを念頭に置きつつ制作されたに違いないクォリティーを有しており、あくまでも完成品と呼べるもの。が、いつどうやって録音されたのかデータは不明。歌入れ作業には何人たりとも立ち合いを許さず、夕鶴のように人知れず行っていたのだから。ただ、ほとんどがオリジナル制作直後に歌入れされたことは間違いなさそうだ。
収録曲の大半は、長らく最新作であり続けた『EACH TIME』の発表前後に作られている。この84年作は、ヴォーカリスト・大滝詠一の最高傑作といえる名盤で、しっとりと濡れていて少し翳りを浮かべた歌声はいまも変わらず艶やかな輝きを放っている。個人的な話をさせてもらうと、わが人生におけるナイアガラ初体験が『EACH TIME』だった。よし、これから必死に追いかけるぞ!と盛り上がるこちらの気持ちをよそに、歌手・大滝詠一の活動は減速していく。新作の予定も浮かんでは消えていき、癒えることのない渇望感を抱えたまま大人になってしまった。いまでも恨みがましい気持ちは残ったままだ。が、『DEBUT AGAIN』はそんな気持ちをゆっくりと和らげてくれる。
艶っぽいけどどこか乾いていて、滑らかで情感豊かな響き。『EACH TIME』と確実に地続きだと感じさせる歌声の数々。30代を過ぎてより本物の歌を歌いはじめた大滝の脂の乗ったパフォーマンスがここにある。端正な顔立ちをしたクルーナー・ヴォーカルは、透明感があって清々しくて実にふくよか。大人の落ち着きや色っぽさを感じさせるその香りが鼻をくすぐる。昨今のシティー・ポップ文脈で語られるフォロワーが真似できないのはこういうところだとつくづく思うけれど、それはさておき、こんな深い味わいが詰まった作品だからこそ〈顔〉がくっきりと見えるべき。今回のアルバム・ジャケットの話である。存命だったら本人が登場することはなかっただろうと思わなくもないが、すでに定着しているオリジナル・シンガーのイメージを薄めてくれる働きもあることは書いておきたい。
ナイアガラ・ムーン・ライズ・アゲイン
軽快なドラムのフィル・インから始まる“熱き心に”(オリジナルは85年:小林旭)でアルバムは幕が開く。イントロにシンセの煌びやかな音色が添えられたオリジナルと違い、いきなり疾走する感じが良い。また、歌声がアキラとは違った旅情を醸し出しているところも見逃せない。曲の舞台である〈北国〉があきらかに東北地方だと認識できる……とかなんとか考えてると、ウォール・オブ・サウンドの決定版“うれしい予感”(95年:渡辺満里奈)が登場。オリジナル通り女性キーで歌っていて、続く“快盗ルビイ”(88年:小泉今日子)も含め、フランク永井ばりのバリトン・ヴォイスが楽しめる。
全10曲中、女性への提供曲が6曲。強調しておきたいのは、「あまちゃん」によって脚光を浴びた薬師丸ひろ子、小泉今日子、松田聖子という80年代を代表する女性アイドルを結ぶ線として大滝詠一がいたという事実。それをさりげなく証明しているのも『DEBUT AGAIN』のセールス・ポイントかと。2013年の大晦日、〈紅白歌合戦〉のステージにおいて素晴らしい大団円を迎えたあまちゃんファミリーのなかに大滝詠一の姿が見えた気がして、涙が止まらなくなってしまったことを思い出しながら聴く“風立ちぬ”や“探偵物語”や“快盗ルビイ”。これらは各自でナイアガラ・アイドル・ヒストリーを紐解く際の重要な手掛かりになるだろう。
“Tシャツに口紅”(83年:ラッツ&スター)の素晴らしさがまた格別だ。動かない景色にほのかな彩りを与える温かい声色。仔犬が佇む夜明け前の浜辺がオリジナルよりもいっそう切なげに浮かび上がる最高のテイクだ。松本隆の世界を(歌によって)体現する者としてやっぱり大滝詠一を超える存在はいないと本気でそう思う。ストリングスだけを残したリミックス版“夢で逢えたら”が登場するラストも感動的だ。何が素敵なことってこのヴァージョン、間奏にある大滝のセリフが明瞭に聴こえてくるのだ。これがもう泣けて。思えば『Best Always』で彼が歌う“夢で逢えたら”を耳にして、彼はもうこの世にいないという実感がようやく沸いたものだった。でも不思議とこちらのヴァージョンは、彼はいつだって僕らの近くにいるって感覚をもたらしてくれる。いつも近くで僕らを照らしてくれているといった思いが沸々と湧いてくるのだ。ナイアガラ・ムーン・ライズ・アゲイン。
真の『Complete EACH TIME』完成!?
こんな王道感の強い大滝作品はなかったかもしれない。これはナイアガラ産メロディー・アルバムの最高峰にして究極の名曲選。映画「西部開拓史」の世界に似た雄大な“熱き心に”とマット・モンロー“Walk Away”のように壮大な“夏のリヴィエラ”(82年:森進一“冬のリヴィエラ”)が共存しているアルバムなのだから、全体のスケール感は言わずもがな。そして本作は『EACH TIME』の次なるアルバムとして捉えるのがやはり相応しい。シングルになるような目玉曲がなくて目鼻立ちがハッキリしないと作者から不憫に思われ続けた『EACH TIME』だが、“Tシャツに口紅”や“探偵物語”などと並べて真の〈Complete EACH TIME〉を組み立てるというドキドキするような遊びも可能となった。これは楽しい。
存命なら100%あり得なかった企画だけど、あり得ないほどの素晴らしさなのだから、ただただ貪り聴けばいい。何はともあれ、本作の登場は一生懸命に念じていれば願いは叶うということを教えてくれた。次は何を夢想しようか。例えば来年でリリース20周年となる“幸せな結末”のセッションをまとめたアルバムなんてどうだろう。あ、忘れるところだった、今回の初回限定盤には同曲のレコーディング時に行われた通称〈ナイアガラ・リハビリ・セッション〉から貴重な3トラックが収められているのだ。エルヴィス・プレスリーのメドレーにおける大滝のシャウトのカッコ良さったらちょっとないぞ。あぁ想像が止まらない。