フォトグラファー、平間至はいったい濱口祐自のどこに惹かれるのか? 彼は言う。濱口には「どこか(グレン・)グールドを思わせる演奏力と生と死の間に立っているかのような音楽性」があると(2月に東京・ニコンプラザ新宿で行われた〈濱口祐自と那智勝浦〉展での平間のコメントより)。平間に感銘を与えたのは、濱口が心身共に擦り切れる寸前まで自身を追い込んで作り上げた渾身の一枚『竹林パワーの夢』。牧歌的な雰囲気のなかに胸が締め付けられるような寂寥感が漂うこの処女作の向こうに、彼は彼岸と此岸の境界線をみたのかもしれない。確か、最初に彼がSNSで濱口について発言したのは2014年初頭だった。メジャー・デビューを果たす数か月前のことだ。最近はほとんど濱口とグールドしか聴いていない、といった内容の呟きはすごく印象に残った。
両者の初対面はそれから半年ほど経ったあと。先日惜しまれながら閉店した東京・西麻布の〈音楽実験室 新世界〉でのライヴのときだった。実際に会話してみてアルバムとはまた違う濱口の人間臭さに魅了された彼は、のちに那智勝浦を2回も訪れることになる。その体験がどれほど有意義だったのかをひとりでも多くの人に伝えねば、という思いから、旅の報告会となる〈仮想ツアーパンフレット撮影完了報告イベント『濱口祐自トークライブ!』〉を2016年2月11日、三宿にある〈平間写真館TOKYO〉にて開催した。勝浦で撮影された濱口の写真(全国ツアー・パンフ用のフォト・セッションを想定して撮られたもの)の上映、平間と濱口の旅トーク、そして濱口のライヴ・パフォーマンスなどで構成されたイヴェントで、告知したすぐに定員に達してしまうほど注目を集めた。
2015年1月にオープンした〈平間写真館TOKYO〉は、彼の地元、宮城県塩竃市にある〈ひらま写真館〉のTOKYO支店というべき施設。館主はもちろん平間至本人だ。祖父の平間甲子が開業し、父の平間新が引き継いだこの写真館は、街の文化サロンとして地元の人たちに愛されたという(2003年に休業)。これまでずっと写真館の存在が人生の一部として根付いていた平間さんにとって、この写真館を開くことはある種、宿命づけられたものだったのかもしれない(東日本大震災をきっかけに写真の存在価値を再認識したことも実現への後押しとなったそう)。時間を積み重ねながらこれからこのスタジオはさまざまな人の記憶の一部になっていくのだろうな……なんてことを考えつつ地下への階段を下りていくと、ふっと〈浜〉の匂いが鼻をかすめた。思わず頭のなかで〈ピ~ヒョロロ〉と、とんびの鳴き声が響く。なに、このいきなりの勝浦感。
その正体は、クロカワカジキを加工した生ハムだった。パッケージの封を開けて受付でせっせと盛り付けに励んでいる人の姿が目に入る。ユウジさんの盟友、荒尾典男さんではないか。このイヴェントのために上京した彼は到着して休む間もなく作業に取り掛かっていた。勝浦を宣伝してくれるイヴェントに俺が駆けつけなくてどうする? 背中からはそんな気概のようなものがゆらゆらと立ち上っている。ほかにもみかんやらお客さんにふるまうために用意された勝浦の物産品が所狭しと並べられていて、なかなかカラフル。いっしょに来られた那智勝浦町観光協会の村井さん、岡崎さんが羽織る大漁旗柄の法被も鮮やかだ。テーブルに並んでいるのは勝浦産のものばかりではない。塩竃の名産、笹かまぼこもテーブルの一角でしっかりと存在感を放っている。今回平間さんの友人である塩竃の観光協会の方も来場しており、さっそく名刺交換している。というように、会場では開始前から三宿港町コネクションといったものが出来上がっていた。
会場がお客さんで満たされた頃には、磯の香りと柑橘系の香りが混じり合って一種エキゾティックなムードが醸成されていた平間写真館。エキゾといえば、この夜、ユウジさんの演奏が放つ匂いも相当なものだった。プロジェクターで映し出される風景に合わせて弾いた〈夜は暗く〉のとことんブルージーな響き。何やら写真のなかの勝浦がどこか遠国の海沿いにあるひなびたブルース・タウンのように見えてきた。そこで生まれ育った不思議な樹木がいま目の前でギターを抱えながら暗がりのなか蒼白く浮かんでいる……こんな妄想を掻き立てられたのも、やはりみかんとカジキが混じり合った幻惑的な香りが鼻孔を刺激していたせいだ。いずれにせよ、潮風の含有率がいつもより高めだった“Amazing Grace”をはじめ、通常のライヴとは異なる空気が流れていたのは確か。とはいえチューニング中のMCは、いつもの濱口祐自節が大炸裂。この日は東京に向かう新幹線で移動販売員から受けたぞんざいな仕打ちを、身振り手振りを付けながら再現VTRふうに事細かく説明、観客の苦笑いを誘っていた(荒尾さんも腕組みしながら苦笑い)。たとえどこであろうとも、濱口祐自は濱口祐自以外の何者でもないのである。
ふたりのトークはライヴの後に始まった。もはや気心の知れたふたり。醸し出す雰囲気もほんわかしていてイイ感じ。
「僕が最初にユウジさんを知ったのは、InterFMで放送されていた〈Barakan Morning〉に久保田麻琴さんと出演されたとき。僕と久保田さんは20年来の知り合いで、ハワイをはじめいっしょに世界中を旅しているんです。〈あ、麻琴さんが出ている〉と思って聴きはじめたら、生披露したギターがもうすごく素晴らしくて」。
ぜんぜん大したことないんやけどのう、と謙遜するユウジさん。ラジオの生出演があったのは2014年1月7日。ちなみにオンエアの翌日、渋谷のサラヴァ東京に出演した際には、当ライヴ・ハウスの最高動員記録を樹立している。
「当時僕は体調を崩していたんです。グレン・グールドが弾くバッハの〈ゴルドベルク変奏曲〉ばかり聴く日々を過ごしていて、刺激の強い音楽を身体が受け付けなかった。そんなときに聴いたユウジさんの音楽に、グールドとすごく近いものを感じて。グールドの演奏って雑なところがひとつもないというか、左手の低音のラインだけとっても完璧。ユウジさんのギターもベースラインだけとってもまさしく完璧で。まったく妥協を知らないところがとても似ている気がして」。
「神経質タイプってことやの。若い頃からそうやね。でも呑んでしまうとあかんけどよ……ま、私生活についての話はええか(笑)。僕にはこの楽器を使ってこういう音色を出したいっていうこだわりが強くあるんやの。やっぱりギターはソフトタッチで弾くのがええの。弾き切ってしまったらあかん」。
「うん。それで麻琴さんにすぐ連絡したところ、送ってくれたのが再発されたばかりの『竹林パワーの夢』。それを聴いてすごく元気が出たんです」(平間)。
こんなギタリストを育んだ土地にはきっと不思議な治癒力があるに違いない。というような勘が働いたのだろう、本物の〈竹林パワーDream〉を得るために平間さんは勝浦をめざす(2015年の7月と11月の2回)。ところで彼が勝浦へ行くきっかけとなったことがもうひとつある。事務所のスタッフである永井さんの地元が偶然にも勝浦だった。で、のちに判明するのだが、なんとユウジさんは彼女の母親のことをよく知っていたのだ。お母さんはその昔、和歌山県カツオマグロ組合のマドンナだったようで(というのはみんなの推測)、ユウジさんは彼女が働く漁協組合に現れてはギターを弾いていたという(どういった理由でそうしていたのかについては不明)。意外な交友関係が判明して驚かされるいつものパターンがこんなところにも用意されていたというわけだ。
ユウジさんにギターを持たせたまま海へ入らせるというスパルタ撮影の件など、マジカル・ミステリー・カツウラ・ツアーの愉快なエピソードが続いていく。シャッターを切りながら、やはり平間さんも「ユウジさんの音楽は間違いなく勝浦の海や自然を体現している」という揺るぎない事実に気づいていったという。それに加えて、勝浦には故郷の塩竃と共通した匂いがあることを発見したようだ。塩竃と同じくマグロの水揚げが盛んな町。古き良き港町の風情を残す景色が彼の意識を刺激したのだろうか、ユウジさんにレンズを向けつつも意識はどこか遠くへ飛んでいっているような不思議な浮遊感覚がどの写真にも焼き付いている。
「生まれ育ったところやからひいき目になるけど、紀伊半島は自然には大変恵まれとるのう。海もさることながら、山も近い。背後に里山があって川もあるし魚もおるし、小さい頃はそういうところで遊んだよ。あと鳥もようけおるし。鳥についてはちょっとうるさいで。鳥は可愛いらしいね。野鳥が来るとキュンとなる」。
やっぱりメジロ講座は必須なんである。それはさておき、「紀伊半島でいちばん交通が不便だということを誇りに思う」ということを今夜も力説していたユウジさん。紀伊半島のディープ・サウス、勝浦は中央からもっとも遠くにあるからこそこんなに流れている空気が濃いのだ。常々そう主張する彼は、わが街勝浦が〈果て〉であり続けることを願ってやまない。
「いつも思うのは、なるべくセメント(コンクリート)を打ってほしくないってことかな。前に洪水が起きたんやけど……」。
東日本大震災があった2011年の夏、紀伊半島を襲った大水害のことだ。台風12号によって発生した記録的な豪雨は紀州一帯に甚大な被害をもたらし、多くの尊い人命が奪われている(ユウジさんの知人も亡くなっている)。なかでも那智川流域で発生した土石流による被害は凄まじく、市街地のあちこちに壮絶な爪跡を残すこととなる。
「あのとき山から巨岩が流れ着いて、周りの風景は一晩で大きく変わってしまった。ものすごく悲しい出来事やった。でも、本当はアレを直してしまったらあかんのよ。自然が生み出したものは自然のままにしておくべき。でも人間は愚かやから動かしてしまう。いったい誰があんな巨大なものを持ってこれる?」
次第に口調に熱が帯び始める。人間は自然に対してつねに謙虚であるべきだ、というのが口癖である濱口祐自ならではの自然論がここ三宿でも熱く展開されていく。
「なぜか知らんけど、僕が心からええと思う風景にかぎってなぶられて(触られて)破壊されてしまう。僕の気持ちがテレパシーかなんかで役所へ伝わってしまうんかい。逆作用やの。だからいまは、ええ風景を見たとしても、〈ええのう!〉って念じないことにしとる(笑)」。
「勝浦は東京とはまったく違った時間が流れていました」。この日そう語っていたのは、勝浦への旅の一員であり、イヴェント主催者のひとりであるニコンの森真次さんだ。彼もまた、時計の針を狂わせてしまう罪な男、濱口祐自の魅力に憑りつかれてしまったひとりである。その特殊な時間感覚を育んでいるのは間違いなく勝浦という街の空気にあるのだと、かの地を訪問してみて身をもって知ることができたようだ。同じく旅の同行者である佐藤倫子さんが撮ったメイキング写真にも、そんな驚きと発見がしっかりと焼き付けられていた。脇の谷にある年間26000円でかりているアジト(今年はギターやら何やらちゃんと片付けます、となぜかお客さんに謝っていた)、元ジャニーズ(川崎真世と同期)である濱口家の末弟、東也さんなどが映し出されていったのだが、ファインダーをのぞく佐藤さんの顔が微かにほころんでいるのが見えてくるような写真ばかりだった。
そして平間さんの写真について。個人的な話をさせてもらうと、今回のなかでいちばん気に入っているのは、1回目の訪問で撮られたユウジさんが海に浮かぶ岩に立つ1枚で、出会ってからというもの、この写真が持つ奇妙な切なさに惹かれ続けている。ふと連想してしまうのは、幼い頃に絵本で見たことがあるちっちゃな無人島(すらりと伸びた長い四肢のせいもあってギターを抱いて立つユウジさんがヤシの木に見える)。その島がこのまま波と共にどこかへと去っていくような、蜃気楼のように静かにゆっくりと消えていくような、そんな気がしてならない何とも不思議な写真なのである。〈濱口祐自どこへいく〉。勝手にそんなタイトルをつけて楽しませてもらっているのだが、濱口祐自の音楽を語るうえで欠かせない〈浮遊〉というニュアンスを見事に掴み取った秀逸な写真であると思う。
ライヴについてもう少し。“Dr.O's Rag”“浜辺の歌”“Great Dream From Heaven”など、郷愁を掻き立てずにおかないナンバーはこの日いっそう魅惑的な音色を放っていて、こちらの意識はどこか遠くへ思いっきり飛ばされることになった。“Rally'Round the Flag”など冬仕様の楽曲も多く、気分を随分ほっこりとさせてくれたことも付け加えておかねば。
〈自分が帰るべき場所を音楽として奏でてくれる音楽だなと思った〉。雑誌「NO MUSIC, NO LIFE. YEARBOOK 2016」のインタヴューで平間さんは、濱口祐自の音楽についてこう語っている。長い間東京で仕事を続けてきたけれどもずっと地に足が付いていない感覚があって、なんだかここ東京に出稼ぎに来ているようなイメージなんだと、以前平間さんは僕に話してくれたことがある。いずれは塩竈に帰るという思いは決して消えることがなく、心は故郷の方角をつねに向いていた彼にとって、濱口音楽は帰り道を示す灯台のような存在なのかもしれない。それは彼だけに限らない。しあわせってなんだっけ?と問いかけてくる彼の音楽はいつだって僕の足元を照らし続けてくれている。本イヴェントのクロージング・ナンバーに選ばれた“しあわせ”は特にそういう優しさと温かさに溢れた曲だ。
今回は特別に平間さんが自前のベース・ギターでお相手することになった。開始直前に彼の思いつきで急遽実現することになったこのコラボだが、両者の呼吸がバッチリと重なり合い、なんとも心地良いグルーヴが紡がれることに。地位や名誉よりも自由を愛する男が綴る至極シンプルな幸福論。ユウジさんの朴訥とした歌声とお客さんのコーラス(歌詞が配られてみんなで合唱した)の絡みもアットホーム感に溢れていて、歌のあいだこちらはずっと、指笛吹きつつわが家へと向かういつかの夕暮れの光景を思い浮かべていた。まったくもって幸せな結末。あまりに素晴らしいはっぴいえんど。
質問コーナーで「次のアルバムはいつ?」とお客さんから訊かれ、次は我流録音でいきたいのう、と答えていたユウジさん。当面の目標としては、しっかり腰を落ち着けて音楽に向き合いたいということなのだろう。この先いったいどういう方向に進んでいくのか見当はつかないけれど、名も知らぬ遠き島より流れてきた椰子の実のようにこれまで同様、プカプカと漂い続けていくことだけは間違いなさそう。そういえばイヴェント終了後、ユウジさんを眺めながら平間さんがボソッとこんなことを呟いていた。
「ユウジさんって未確認飛行物体だよね」。
その一言がいま頭の中をぐるぐると旋回している。未確認飛行ギタリスト(UFG)、濱口祐自の遊泳飛行はこれからも続く。
LIVE INFORMATION
濱口祐自 Blues Voyage
日時:6月23日(木)18:00開場/19:30開演
※ステージの長さは各100分を予定しております
会場:神奈川・Motion Blue YOKOHAMA
ミュージックチャージ:
自由席 ¥4,000(税込)
BOX席 ¥16,000+シート・チャージ ¥4,000(4名様までご利用可能)
予約受付先:
モーション・ブルー・ヨコハマ(045-226-1919)※11:00~22:00
WEB予約(http://www.motionblue.co.jp)※公演当日の14:00まで
チケットぴあ(0570-02-9999)
イープラス(http://eplus.jp)※公演前日の18:00まで
ローソンチケット 店頭2日前まで(他3日前まで予約可)
※詳細はこちら
平間至&濱口祐自ミニトークライブ
日時:2016年5月19日(木)開演18:30(終演予定時刻 20:00)
会場:ニコンプラザ名古屋ショールーム
名古屋市東区東桜1-13-3 NHK名古屋放送センタービル2F
参加費:無料
平間至写真展「濱口祐自と那智勝浦」は5月20日まで開催中(営業時間10:30-18:30。最終日は15:00まで。日曜祝日は定休日)
お問合せ:ショールームスタッフまで、またはお電話で。ナビダイアル 0570-02-8080
PROFILE:濱口祐自
和歌山は那智勝浦出身のブルースマン。その〈異能のギタリスト〉ぶりを久保田麻琴に発見され、彼のプロデュースによるアルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』で2014年6月にメジャー・デビュー。同年10月に開催されたピーター・バラカンのオーガナイズによるフェス〈LIVE MAGIC!〉や、その翌月に放送されたテレビ朝日「題名のない音楽会」への出演も大きな反響を呼ぶなか、2015年にセカンド・アルバム『濱口祐自 ゴーイング・ホーム』を発表。詳しくはこちらをチェック!