
初作『Laughing Nerds & A Wallflower』(2015年)での鮮烈な登場から約1年、北海道・苫小牧を拠点に活動するNOT WONKが早くもセカンド・アルバム『This Ordinary』をリリースする。メロディック・パンクからハードコア・パンク/オルタナティヴ・ロックへ――青臭い疾走感をかなぐり捨て、より刺々しく重たいサウンドを纏った今作は、間違いなく前作を凌駕するセカンド・インパクトとなるだろう。ベースのフジとドラムスのアキムによる、タイトかつ緩急自在なリズム・アンサンブルの上で、加藤修平のギターはまるで若かりし頃のジョニー・グリーンウッドのごとくノイジーな音色で鮮やかな軌道を描く。1曲のなかで劇的なテンポ・チェンジを繰り返し、偏執狂的に表情を変えていく『This Ordinary』は、加藤の力強さと深みを増した歌声も相まって、どこかレディオヘッド『The Bends』(95年)を2016年にヴァージョン・アップしたような印象さえ受ける。
なぜNOT WONKは1年間でかくも急激な変化/進化を遂げたのか。その謎に迫るべく、Mikikiではメンバー3人へのインタヴューを行った。全国各地でライヴを重ねながら、演奏力とアティチュードを逞しく磨き上げていき、その結果として予想を超える音楽的な発展に向かった彼らの足どりは、若者たちの青春物語としても比類なき魅力を放っているように思う。

広島県・福山市の高校生からライヴのオファーが来た
――前作『Laughing Nerds & A Wallflower』の際のインタヴューでは、加藤さんは〈誰かに向けて作った作品ではないけれど、高校のときの自分みたいな人が聴いてくれたら嬉しい〉と言っていましたね。実際にツアーを回り、全国各地のイヴェントに出るなかで、そういった人に届いた手応えはありましたか?
一同「ウネくんじゃない?」
加藤修平「そうだね。広島県に畝狹怜汰(うねばさみりょうた)くんという高校生の子がいて、彼から(KiliKiliVillaの)与田(太郎)さんに急に連絡が来たらしいんですよ。NOT WONKを企画に誘いたいんですと、名前も書かずに(笑)。で、与田さんがよくよく話を聞いていくと、広島県の福山市という僕が名前も知らなかった街に住んでいる高校生のウネくんが、地元でNOT WONKを観たいと言っているという話で。もうその時点で最高じゃないですか。そんなの行きますよと、去年の9月の関西ツアーのときに組み込んでもらった。その日の対バンにWALK ALONG JOHNって、見た目はONE OK ROCKのカヴァーをやってそうな高校生のブルーグラス・バンドがいたんです。彼らがMCで〈今日はメンバーが違うんです〉と言っていて、その理由を訊いたら、NOT WONKとの対バンに緊張しすぎて体調を崩したメンバーがいたそうで……」
アキム「ヴォーカルの子が歌おうとしたら吐きそうになちゃったみたいで(笑)」
加藤「僕らがそんな存在になるなんて思ってないし、あり得ないじゃないですか。そんなことが広島の小さい街で起こっているなんて、想像もしていなかったし、〈何これ〉という感じでしたね。イヴェントには高校生もたくさん観にきてくれて」
――いきなり良い話ですね。前作をリリースしてからの1年間に、全国各地で数々のライヴをこなしてきたと思うんですが、特にバンドが成長したと思う点は?
アキム「単純に演奏が上手くなったと思う。やっている感覚はファーストのときとあんまり変わらないですね。そのときに良いと思うものをやっているだけで」
フジ「僕はなんか……」
加藤「足が開くようになった?」
一同「ハハハハ(笑)!」
フジ「前は3人でがんばっている感じが強いバンドだったんですけど、最近は1人1人ががんばったうえで、結果的に3人が1つになっている感じがある」
加藤「地力が上がったというか、底上げされた感じはあります。毎週ライヴをして、毎週のように飛行機に乗って東京行ったり、朝帰ってそのまま学校や仕事に行ったりしているなかで、尋常じゃなくタフさが付いてきた。そのタフさにおいてだけは、負けるバンドがあんまりいないように思う。いまは変なことで音を上げないし。それがライヴの力強さにも出ている。音にしてもスタイルにしても、最近はタフなものに惹かれる瞬間が多いです」
――去年は代官山UNITや渋谷のWWWとか、大きな会場でNOT WONKのライヴを観られる機会が多かったんですけど、実に堂々とパフォーマンスをされていました。ライヴをやるうえで会場の大小に左右されることはない?
加藤「それは本当に関係ないですね。ナーヴァスになることもないし、デカければデカいほど楽しみになる」
アキム「大きい場所だと音が良いなぁと思うだけで、やることは変わらない」
加藤「ただ、やっぱりデカいところで、人がいっぱいいて、というのがいちばん良いよね」
――なるほど。大きな場所でやりたいというシンプルな欲求を持たれているのが、気持ち良いなと思います。
加藤「京都の〈BOROFESTA 2015〉で、odd eyesの(カベヤ)シュウトくんと話していて、odd eyesこそアンダーグラウンドでハードコアで、小さなライヴハウスが似合うバンドなんですけど、シュウトくんも〈そりゃデカイところでやりたいよな〉と言っていました。パンクは、スタジオやちょっと汚いライヴハウスのイメージが強くて、そういうところでしか勝負できない感がありますよね。いつもパンクのハコでライヴをやっているバンドが、ちょっと大きめのライヴハウスでやったときに、サウンド面で他のバンドより迫力がなかったり、バランスが悪かったり、普段の格好良さを出せないことが多い。その点においては、パンクは負けてしまっていることがほとんどだという気がしていて。シュウトくんとは、そういう弱点を持たないパンク・バンドができたら良いね、と言っていたんです。で、僕は〈はい!〉みたいな。まったくその通りだと思った」
――NOT WONKは〈負けたくない〉という気持ちが強いですよね。
加藤「そうですね。負けたくないっす。本当に〈今日はもうすみませんでした〉となったのは去年11月のLOSTAGEとのツーマンだけですね。あのときは逆立ちしても勝てなかった」
フジ「やる前まではちょっとは抗えるんじゃないかなと思ってたのにね」
加藤「若さや勢いでイケるんじゃないかと思ったんですけど、すべての点においてLOSTAGEが勝っていた」

優しくない音に向かっていった
――前作の2か月後にリリースされたTHE FULL TEENZとのスプリット・7インチ『Split』に収録された“On This Avenue”を含め、新作からの楽曲もライヴでたびたび披露していましたね。そこで新しい楽曲の手応えはありましたか?
加藤「僕はあったな。もともと僕はモッシュやダイヴが起こるバンドが好きなんですけど、1年間ライヴをしていて、だんだん自分たちはそうじゃないことに気付いていったんです。UNITやWWWみたいなちょっと大きいところでライヴをしたときは、モッシュはあまり起こらなかったんですよね。だからといって観ていた人が悪いと思っているわけじゃない、とわかるのに僕はすごく時間がかかっちゃって。でも自分に立ち返ってみたら、すごいバンドを観ているときに立ち尽くしちゃうことはある。さらにNOT WONKは、そういうタイプのバンドなんだということがわかってきた。最近は、お客さんを煽ったりするんじゃなくて、いかにこの3人の音をダイレクトにぶつけるか、というところに重きを置いて演奏している」
――スプリットに収録された“On This Avenue”はハードコアな楽曲でしたが、あの時点でもう今作のモードに切り替わってたのでしょうか?
加藤「そんな気はしますね。例えばファーストの“Bunco”にはちょっと荒々しさがあると思うんですけど、あれは前作でいちばん最後に出来た曲なんですよ。その頃からだんだんバンドのなかでポップさが減っていった。前作のレコーディングが終わった直後から“On This Avenue”に取り掛かったんですけど、あの曲に関してはすごく迷ったんです。そして、どうしようかと思っていろいろと試していくなかで、なんとなく次のアルバムに繋がるムードが生まれていった。ファースト・アルバムが自分のなかでは優しすぎた印象があったので、その反動で優しくないものに向かっていったのかもしれない」
フジ「ファーストの曲はすごくポップだったので、ベースのフレーズも明るく聴こえるように弾いたんですけど、セカンドの曲はもうルートだけ弾いていれば良いんじゃないかと思うくらいポップさがない。ただ、前作を録った頃も、リハスタではすごく歪んだ音を鳴らしていたんですけどね」
加藤「前作はレコーディング自体が初めての経験だったし、どういった音になるのかまったく予想がつかなかったんです」
フジ「でもセカンドはいつも出している音で録れた。僕的には、曲は変化したけどバンドとしてはそんなに変わった気はしないんですよね」
加藤「そのまんま録れたという感じ」
フジ「前は3人の音が混ざってない感じもあったんだけど、今回は3人で出している音がそのまま入っている」
加藤「そうだね。今作は一発録りなんですけど、その影響が出ていると思う」
――僕としては、今回のアルバムがポップじゃないとは思わないんですが、皆さんの言うポップなものを排除していく過程で、不安や迷いが生じた瞬間はなかったんですか?
加藤「なかったわけじゃ……これはフレーズとしてどうなんだろう? ハード・ロックみたいじゃない?とかはあったかな。この間レッド・ツェッペリンの“Immigrant Song”が流れていて、“Worthwhile”のイントロの演奏とすごく似ているなと思ったんです。昔だとそれは嫌だったかもしれないけど、いまはそれも良いなと思えるようになってきた」
――ファーストに比べるとメロディック・パンク的な要素は減って、ハードコアやオルタナに寄った作品ではあると思います。制作するにあたって参照点にしたようなバンドや作品はあったんですか?
加藤「今回もなかったんですよね。こういうバンドの音像にしたいというのはあるんですけど、それは普通に奇を衒ってない良い音なんですよ。僕がいちばん好きな音像はbloodthirsty butchersの『youth(青春)』(2013年)で、あそこで鳴っている音が世界一だと思う。生っぽいと言ったら陳腐なんですけど、目の前で演奏しているかのような音が鳴っていて。でも、僕らがあれをめざしてもハマらないと思う。人のバンドの音を自分に落とし込もうとして、そのままやっても上手くいくはずがない」
アキム「劣化版コピーになっちゃうよね」
加藤「今回は一発録りだったから、スネアの音量を上げたら一緒にギターも上がっちゃたり、もう被りがひどくて、アンプの横にもいろんなマイクが立っていたし、すごく変な音になっていると思うんです。あんまり聴いたことのないようなサウンドで、そこがすごく気に入っている」
――今作に生々しさは強く出てるように思います。ノイズの刺々しさや重たい低音には、クラウド・ナッシングスの『Attack On Memory』(2012年)や『Here And Nowhere Else』(2014年)に近い気がしました。
加藤「うんうん。要は全体的に歪んでいるんですよね、すべての音が歪んでいるような気さえしていて(笑)。それこそクラウド・ナッシングスの2作に近い気がします。ギターも無駄に重ねたりしてなくて、実はずっと1本なんですよね。曲に余裕が生まれているけど、ちゃっちくはなってないと思う。その感じは、ごくクラウド・ナッシングスっぽい。意識はしてなかったけど、好きだからそういう結果になったんじゃないかな」
――ほかにも結果的に似た音になったと思える作品はありますか?
加藤「実は9曲目の“Golden Age”は、レディオヘッドの“High & Dry”みたいにしたいという話だけはしていて」
――今年に入ってから、加藤さんのTwitterでちょくちょく“High & Dry”の名前があがってましたよね(笑)
high and dryのドラムの音みたいな感じにしたいな
— かとう (@Notwonk44444444) 2016年2月22日
加藤「レディオヘッドを聴き始めたのが本当に最近で、ずっと聴かず嫌いだったんです。いまも『The Bends』(95年)しか聴かないんですけど、“High & Dry”はすごく音がおもしろいですよね。キックの音なんて大太鼓みたいで、広い部屋で録っているような音がすごく良くて。そういう音にしたいなと思ったんです。まあ結果的にあんまり近くなってないですけど」
パンク・イズ・アティテュード? そんなわけないよ
――アイスエイジ周辺のコペンハーゲンが注目されたり、イギリスでもサヴェージズみたいなバンドが人気を集めていたり、パンク的なサウンド自体はインディー・シーンの潮流の1つになっているような気はしていて。
加藤「あー、やっぱりパンクというのがいまのキーワードになっているというか、パンク・バンドからしたらずっとキーワードなんですけど、ちょっと普遍化している気はしますね。ただ、なんか誰でもパンクと言えちゃう感じもあるな。パンクは言ったもん勝ちなところがあって、それはすごく嫌なんです」
――あー、〈○○はパンクだよな〉みたいな。
加藤「例えばPIZZA OF DEATHのバンドもパンクと言われるし、本当にポリティカルなバンドもパンクと言われますよね。こないだYogee New Wavesのインタヴューを読んでで、(角舘)健吾くんが〈僕らも根はパンクなんで〉と言っていて、別にdisるわけじゃないですけど、そんなわけあるかいと。ちょっとみんなナメていると思うんですよ。僕にとってのパンクは、もう畏怖の対象なんです。だから怖くて自分のことを〈パンク・バンド〉だなんて言えない」
フジ「真のパンクスというものがいるとして、その人が10だとしたら僕らは1にもならないという自覚がある」
アキム「パンクはこうあるべき、みたいな態度を示すのさえおこがましい」
加藤「でもさ、CDショップにJ-Punkコーナーがあって、そこにA PAGE OF PUNKやSEVENTEEN AGAiN、LESS THAN TVと一緒にWANIMAが置いてあったら、〈ん?〉と違和感あるよね」
――加藤さんがその並びにWANIMAを置けない理由は?
加藤「誤解しないでほしいのは、僕はWANIMAをすごく好きで、曲もめっちゃ良いと思うんですよ。PIZZA OF DEATHのバンドはほとんど聴いてこなかったんですけど、WANIMAは本当に良い。この間地元に来たんですけど、ライヴもすごく良くて、お客さんもめちゃくちゃ楽しそうで、こういうのすげえ良いじゃんと思った。でもパンクではないと思うんです」
フジ「車でめっちゃ聴いてますしね。加藤くん、〈WANIMA聴きてー〉とよく言っているし」
加藤「逆に、嫌いだけどパンクなバンドもいると思うんです。WANIMAはすごく好きだけどパンクじゃない、そういう存在。最近ファッション誌とかでもスケーター・ファッションが流行っているじゃないですか。シティー・ボーイズたちがそういう格好で、木製じゃなくてなんかちっこい奴でスケートしていますよね。それは別にパンク発祥じゃないと思うんですけど、そういうのもまとめてパンクと言っちゃっている部分があると思っていて、それについて僕はかなり疑問に思っているんです。パンク・イズ・アティテュード? そんなわけないよなって」
――パンクという言葉の解釈が多岐に渡っていくなかで、加藤さんがいまパンクという言葉を定義づけるとすれば?
加藤「パンクは、強くて嘘がなくて見栄を張らなくて、すごく優しくて……。広い民衆に歌った音楽だと思います。例えばセックス・ピストルズやクラッシュが活躍していた時代のイギリスでは、労働者階級は明日の食い扶持も見つからず困っていた。そういう人たちに訴えた音楽。社会が本当に苦しくなったとき、最後まで歌い続ける人のパンクが本物のパンクだと思う。僕はA PAGE OF PUNKがすごく好きで、『A Page of Punk』(2013年)のリリースに合わせた彼らのドキュメンタリー動画がYouTubeにあるんですけど、それがすごく良いんですよ。 A PAGE OF PUNKはライヴでも普通の格好だし、見た目もパンク・バンドっぽくないんですけど、彼らこそパンクだと思う。ほんとに〈自称パンク〉が多すぎなんですよ」

吉田ヨウヘイgroupの西田修大を憑依させた
――今回はファーストに比べると曲数は少ないですが、曲調やアレンジ、音の鳴りの面では多くの挑戦的な試みをしていて、むしろ前作以上にヴァラエティーに富んだ印象を受けます。
加藤「ファーストに収録されていた17曲は、僕がバンドを始めてから大学3年生までの約4年間くらいの総まとめ17曲なんですよ。“I KNOW“あたりは高校3年生のときの曲だし、あのアルバムは当時の僕ベストだった。今回はファーストを録り終わり、“On This Avenue”も録って、空っぽの状態で〈こっからどうする〉というか、もう一生曲が出来ないんじゃ……となったあとに、こういうのをやってみたいなと考えながら作った12曲なんです。そういう意味で今回のほうがおもしろい気がする」
アキム「曲ごとの印象が全然違う」
加藤「それぞれの曲で良い仕事をしていると思うんですよ」
フジ「全曲が変ですよね。変なところがあるというか」
――特に達成感のある曲はどれですか?
加藤「僕は最後の“Worthwhile”とその前の“I Give You As You Gave Me”かな。僕はメガ・シティ・フォーが古今東西のバンドのなかでいちばん好きなんですけど、それを忘れないために作った曲なんです。ライヴでやったときにSEVENTEEN AGAiNのヤブ(ユウタ)さんがメガ・シティ・フォーの新曲みたいだね、といちばんの称賛を伝えてくれて、すごく嬉しかったですね。“Golden Age”も4つでキックを打っていたり、裏打ちの曲もあったりと、これまでやってこなかったことをしている。ダンス・ミュージックを安孫子(真哉)さんや与田さんからいろいろと教えてもらって、昔の僕はEDMのイメージしかなかったんですけど、ストーン・ローゼズもダンス・ミュージックなんだと気付いて、なるほどなと。要は踊りの違いなんだなと思った。日本人は同じ振り付けで踊るけど、海外の人はもっと好き勝手に踊りますよね。そこの違いというか。KEYTALKのライヴでは振り付けもあるけど、あれは日本ならではの4つ打ち文化なんだろうな。セカンドでは、そうじゃないダンス・ミュージックに、ほんの少しだけ触れられたような気がする」
――SECOND ROYALのイヴェントや〈FREE THROW〉などDJ主体のクラブ・イヴェントに出演した経験も、皆さんのなかでダンス・ミュージックの定義を拡げる機会になったのかなと思いました。
アキム「それはありますね。やっぱりDJの皆さんは音楽に詳しいから、フロアにいると良い曲がいっぱいあることを再確認できて、知らない曲でもこんなに踊れて楽しいんだという発見があった。前に与田さんが〈踊ったことがない人は人を踊らせられない〉と言ってたんですけど、自分が踊る経験をしてきたことで、少しは踊らせられる演奏になってきたのかもしれない」
――そういう意味で、今作でいちばん驚くのは、やっぱり“Older Odor”の後半です。Aメロ、Bメロ、サビと一通り終わった2分半過ぎに、いきなり3分近くのファンキーなジャムが始まるという。加藤さんのフリーキーなギター・ソロも強烈で。
加藤「あれは明確に踊らせる狙いがありますね。初めてのリズムであり、ベースもキックに合わせた抜き差しをしていて、それもこれまでやったことがなかった。僕は吉田ヨウヘイgroup(以下、YYG)のライヴを観たのが、すごく衝撃だったんですよ。“Older Odor”のギター・ソロはYYGの西田(修大)さんを憑依させて弾きました(笑)。西田さんのギターには本当にびっくりしたんですよね。グルーヴ感も含めて、あそこはYYGパート」
――おもしろいのは、1曲のなかで2部構成になっていることで。後半のジャム・パートだけで1曲になりそうなのに、まとめたのはどうしてですか?
加藤「最初は裏打ちをやりたいと思ったんです。だから、イントロ部分は裏でリズムを取っている。サーカ・ウェイヴスのアルバム『Young Chasers』(2015年)に1曲だけ裏打ちの曲(“The Luck Has Gone”?)があって、あれを頭に置きつつ曲を作って、ちょっとエモっぽく歌おうとしたんです。で、Bメロはグリーン・デイに、サビではスミス・ウェスタンズになりたいと思った。でも、切り貼りだけじゃ意外に退屈だったんですよね、最後のワンパンチとして、これまでにやっていないことで、いまの僕らっぽいことをしたいと考えた。そこでバイト中に思い付いたドラム・パターンをスタジオに持っていって、ベースのキーを変えずにAメロと同じコード進行を使ったうえで、どこまで曲の印象を変えられるかをやってみたら、すごく上手く出来ちゃった」
――この曲に限らず、今作はAメロとBメロでテンポが急に変わるなど、1曲のなかでがらりと印象を変えるものが多い。それもライヴ感に繋がっていると思います。
加藤「それはかなりありますね。今回はクリックも使ってない。クリックを聴いて演奏すると曲が平坦になるんですよね。急に遅くなったり速くなったりする展開が多いと思うんですけど、それが自然なんです」
いちばんストレートなことをやりたい
――メンバーみんなが変だと言う作品にもかかわらず、タイトルは『This Ordinary』と名付けられています。今作をこの2文字に集約させた理由は?
加藤「僕らは常にすごく普遍的なことを歌っていると思うし、今回も歌っている内容はファーストとあんまり変わってない、年上が気に喰わない、年功序列はクソ、視野が狭いのはダメだとか。そういう気持ちにさせる出来事は、よく身の回りで起きるし、意外にすごく普遍的なことだと思うんですよね。その総称として『This Ordinary』にしたんです」
――ただ、前作と変わってないと言いつつ、音がハードになったことも相まって歌詞の内容はややシリアスな印象も受けます。青臭さやルサンチマンがなくなって、ストレートに怒りを発しているように思いました。
加藤「前のアルバムの歌詞は20歳の僕が作っていて、そこで歌われている経験は高校生のときのことだったりする。でも、この1年はすごく目まぐるしくて、気が付いたら自分も大学を卒業する頃になって、いまはなんとなく不安みたいなものがボソッとある気がするんです。これからの行く末やお金のこととか。それを突き詰めていくと、幸せの形みたいなところにまで考えが及んだ。幸せの形は人ぞれぞれだし、それぞれのスタイルで多岐に渡っているべきだと思う。それが周りと一緒であるかどうかなんてどうでも良くて、僕の思ったことが1つのスタイルだし、アキムやフジが思ったらそれも1つのスタイルだから、別に無理して交わらなくても良い。最近はそんなことを考えていました」
――なるほど。社会全体のこうあるべきみたいなムードや、不寛容な空気感に対して〈NO〉と発している作品のように感じたので、いまの発言はすごく納得しました。では、いまのNOT WONKがスタイルを決めていくうえで、こういうふうに活動したいと思える存在はいますか?
加藤「ファーストのときに同じ質問をされたときは、LOSTAGEと答えたんですよね。いまも彼らのスタイルをカッコイイと思っているのは変わってない。でもLOSTAGEはもっと多くの人が好きでもいいバンドだと思うんですよ。決してニッチなバンドじゃないと思う。僕らはKANA-BOONを好きな人も聴けるけど、パンクしか聴かない人も聴ける、中間というか、むしろいちばんストレートなことをやりたいという気持ちがある。僕は、KEYTALKやKANA-BOONが決してストレートだと思ってないし、そもそも好きなものや信じたいものが人それぞれである以上、ストレートだと思う方向も多種多様ですよね。でも、偏りや思い込みを取っ払ってフラットにJ-Rockやパンクを見たとき、その真ん中に位置するのは、J-Rockもパンクも含めて古今東西の音楽を良いものは良いと聴ける奴がやっている音楽だと思う。まだ〈その手があったか〉と思わせられるような、誰も行ったことのないところがあると思うから、僕らのスタイルのままでそこに辿り着きたい。スタイルを変えていろんなところに迎合することなく、このままのスタイルでみんなが行きたいところまで行く」
――いま加藤さんが話してくれた場所は、多くのバンドが行きたいところだと思うんですけど、大抵は志半ばで挫折してしまい、スタイルを変えてしまう気がする。NOT WONKが歩み続けるために、意識しておかなければいけないことはなんだと思います?
加藤「視野は絶対に広く持っている必要があると思っています。時間が経てば、知り合う人の数や僕らを知ってくれている人の数は増えていく。でも、いちばん最初に知ってくれた人や初期の頃から気にしてくれた人を見捨てちゃいけないという気持ちはずっとある。むしろ自分がそういう人たちに見捨てられたくない。もちろんやりたいことをやれば良いと思うし、それが上手くいかなかったら運が悪かっただけ。ただ、地続きなものとしてバンドが進んでいくのであれば、音楽産業に迎合することはないと思う。環境が変わったからと言って人が変わるわけではないから。いままで伸ばしてきた幹から、いろいろな枝が生えていくように多くの人と知り合って、バンドをやっていくこと。あとは、いろんな音楽を好きな良いリスナーでありたい。それがいちばん重要な気がしています」