(C)Naoki Hashimoto

 

「音楽は5歳でやりたいと思った」CONCERNED GENERATIONの新星

 1989年7月生まれの尾崎裕哉は2歳の時に父親をなくしている。生前の記憶は皆無に等しい。数多の音源集や映像記録等を「唯一の父親との接点」として触れてきた。「(母親から)与えられたというよりは、むしろ自分から聴くようにして。14歳まではずっと聴き続けて、全部歌えるようになった。じゃあ、自分が創る音楽に関してもかなり影響を受けているかといえば、今の段階では薄れているかなとも思いますね」。5歳から米国暮らし。母親が操る愛車内のBGMが日本(語)との接点だった。「aikoとか宇多田ヒカルとか、あとはマドンナもよくかかってましたね。そこらへんが意外と一番、自分の音楽に影響を与えているのではないかと思います。アメリカは僕の“礎”ですが、コトバ選びという点では日本人のほうが感覚が近いし」。14歳で「少し父親(の世界)から離れてみようか」と思った。同じ頃、寮で隣室の台湾系米国人がAC/DCのタブ譜をくれた。その雷撃を浴び、ギターソロの習得に溺れた。「AC/DCの《ブラック・イン・ブラック》を脳内再生できるまでに弾きまくって(笑)、今でもソロを口ずさめる。ピアノの練習は先生が苦手で続かなかったけれども、ギターソロを追う作業だけは飽きなかった。根っからのギター小僧なんだなと思います」。

 尾崎豊的なJAPANESE R&Rには「あまり興味がない」「他の人にやってもらいたい」と冷ややかだ。が、いざ自分で曲を創ろうかと向かう時、父親の詩的呪縛が立ちはだかる。「大体の事はもう父親が歌ってしまっている、《I LOVE YOU》とか《Oh My Little Girl》とか。誰かに歌いかけたいような気持ちも“もう、あるじゃん”“俺の代わりに歌ってくれてるじゃん”と(笑)。じゃあ、なんで俺は音楽やるの!?ってなりますよね」。一方、14歳の“旅立ち”からブルースの世界を探求し続けて、一人のロールモデルと邂逅する。「辿り着いたというか、よりコンテンポラリーな存在がジョン・メイヤーだった。彼は最初こそ凄くポップに登場し、よりブルースとの融合を目指してグラミー賞を獲り、今ではカントリーみたいなことをやっている。そういう自在なあり方を尊敬しているし、自分も音楽は雑食だし、飽きっぽい性格だから(笑)。昔はある意味で尾崎豊を目指していましたが、それに代わる大きな存在ができたという点で出逢いは大きかったですね」。では、自己詞の主題はなんだろう?「たとえば、時間の流れに対するノスタルジーみたいなものは一つあって。時間って前にしか進まないし、こうやって誰かと対話したり、一緒にいた時間も、卒業や環境の変化があるともう戻らない。それまでに感じた喜びや哀しみも毎秒遠ざかっていって、記憶の中で無くなってしまう。それは昇華なのかもしれないし、悟っての諦めてかもしれないけれども、そこを忘れないために音楽を創っているんですけどね、僕の場合は」。

(C)Naoki Hashimoto
 

 尾崎裕哉が尊敬する“3J”がいる。John WoodJohn Mayer、そしてJiro shirasu。「principleのある日本人になりたいな、と思ってますから。白洲次郎は高等な英語を使うし、俺が一番好きなのは“You are the fountain of my inspiration and the climax of my ideals.”(きみは僕のひらめきの源泉であり、理想の究極だ)という、白洲正子さん宛の手紙に綴ったプロポーズの言葉なんですね。スゲエな、詩人だなと思った。彼は日本で初めてTシャツとジーンズを穿きこなしたり…まるで尾崎豊のイメージですが、その随分前からですからね(笑)」。筋の通った佇まい、それも尾崎豊が醸し出した面影の一つだが、尾崎裕哉の澄んだ歌声が“DNAの驚愕”と語られる根底に流れているのも、そんな姿勢の潔さだろう。「ビルボードクラシックスの内容ですか? 今っぽい部分ではエド・シーラン的な事は凄くやりたい。エレクトロニカっぽくてもトロイ・シヴァンとかの方向にはまだふり切りたくないので。もう少しJ-POPサウンドとの親和性を持ちつつ新しさのあるような、それが洋楽っぽいと言われるならばそれも良しというね」。新しい歌の誕生を期待しよう。

 


INFORMATION

尾崎 裕哉 プレミアムコンサート 
―「始まりの歌」―

○9/4(日)昼公演:14:00開演 夜公演(追加公演):18:00開演 ※両公演ともSOLD OUT
会場:よみうり大手町ホール
出演:尾崎裕哉 トオミヨウ(p) ビルボードクラシックス弦楽クァルテット
主催・企画制作:ビルボードジャパン
協力:アイソトープ
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