スコットランドはグラスゴーが生んだ至宝、ティーンエイジ・ファンクラブ(以下:TFC)が前作『Shadows』(2010年)から実に6年ぶりの新作『Here』をリリースした。アルバム・ジャケットのドローイングが象徴するように、何一つギミックのないシンプルでストレートなバンド・サウンドと、ノーマン・ブレイク(ヴォーカル/ギター)、ジェラルド・ラブ(ヴォーカル/ベース)、レイモンド・マッギンリー(ヴォーカル/ギター)という3人のソングライターによる、素朴で美しいメロディーとハーモニー。学生時代から通っている馴染みの定食屋のように、いつだって変わらぬエヴァーグリーンな楽曲を届けてくれる彼らは、この混沌とした世の中においてかけがえのない存在だ。
今回Mikikiでは、かねてからTFCらグラスゴー・インディーへの愛情を公言していたサニーデイ・サービスの曽我部恵一を招いてインタヴューを実施。TFCの2000年作『Howdy!』の日本盤では推薦コメントを寄せていた彼に、TFCの魅力をたっぷりと語ってもらった。
心の奥底に虚無感と温かさが同居している感じ
――曽我部さんが初めてTFCを聴いたのはいつですか?
「『A Catholic Education』をリアルタイムで聴いたのが最初だから、たぶん90年ですね。高校を卒業して、岡山の予備校に通っていた頃かな。音楽雑誌のレヴューで、〈歪んだギター・サウンドだけどハード・ロックやパンクじゃなく、透明感を持っていて、ダイナソーJrに近い〉と紹介されていて。加えてジャケットのアートワークで、これは絶対好きだなと確信しました」
――僕は曽我部さんとほぼ同世代ですけど、当時はインターネットもなかったし、PCやスマホで試聴なんて当然できなかったから、とにかく雑誌などの文字情報を頼りにレコ屋へ通ってジャケ買いしていましたよね。初めて『A Catholic Education』を聴いたときの印象はどうでした?
「いや、もうたまらなかったですね(笑)。テンポも気持ち良いし、歌のキーが低いのも良かった。僕はまだバンドをやっていなくて、完全にリスナー感覚で聴いていました」
――当時は他にどんな音楽を聴いていたんですか?
「89年にストーン・ローゼズのファースト(『The Stone Roses』)が出て、その頃からリアルタイムの音楽を聴くようになりましたね。僕のなかではそのあたりに線引きがあって、それ以前の、例えばジーザス&メリー・チェインなんかとはちょっと違うんですよね。ストーン・ローゼズ以降のバンドは、もうちょっと肩の力が抜けてるというか、アマチュアっぽくて好きだったんです」
――グラスゴーの音楽には当時から何か特別なものがありましたよね。
「ありましたね。ポストカード※がリリースしていたアズテック・カメラやオレンジ・ジュース、ジョセフKあたりの、いわゆるネオアコも大好きでしたし、スコットランド出身でいえば、トラッシュキャン・シナトラズやフレンズ・アゲインなんかも聴いていました。そのなかでTFCは、突然変異の音楽に感じたんですよ。例えば“Heavy Metal”という曲は、スコットランドの学生っぽいメンタリティーをあえて否定しているようだったし……」
※80年前後に活動していたインディー・レーベル。〈The Sound of Young Scotland〉をモットーにリリースしていた
「TFCは53rd & 3rd※のボーイ・ヘアドレッサーズが前身バンドだから、どちらかといえばアノラック周辺にいたのかな。いわゆるロンドンのパンクとは違う、独特のパンク魂がありましたよね。そういう意味では、90年代後半に登場するデルガドスやモグワイ、アラブ・ストラップといったケミカル・アンダーグラウンド周辺のバンドも、同じグラスゴーだけどポストカード周辺とはちょっと違う。まあ、辿っていくと繋がったりするんでしょうけど」
※パステルズのスティーヴン・パステルが関わっていたインディー・レーベル。80年代を通じてBMXバンディッツやヴァセリンズをリリース
――なんと言うか、TFCには〈虚無感〉のようなものが漂っていましたよね。特に“Everything Flows”あたりの曲には。さらにニール・ヤングを思わせるような、アメリカっぽい感じもあった。
「うん。でも、ニルヴァーナやダイナソーJrの持つ虚無感とはやっぱり違っていた。なんなんですかね(笑)。曲の良さはもちろんですけど、心の奥底に虚無感と温かさが同居している感じ。ルーズな爆音ギターでも、どこかで優しさや切なさみたいなものを感じますよね」
普通のスコットランドのおじさんたちが鳴らす、普通の音楽
――それからクリエイション※に移籍して、91年の『Bandwagonesque』で一躍有名になりました。
※プライマル・スクリームやオアシスを輩出したことで知られる伝説的なインディー・レーベル。
「でもね、このアルバムが出たときは正直びっくりしたんですよ。前作よりもメタリックかつポップで商業的になっていたから。ああ、そういうふうに行くんだなって。もちろん、アルバム冒頭の“The Concept”あたりを聴くとやっぱりテンション上がるし、良いアルバムだとは思うんですけどね。でも結局『A Catholic Education』を聴いちゃう(笑)。ただ、『Bandwagonesque』と同じ時期にレコーディングされたEP『God Knows It's True』の曲は好きです。アルバムには未収録でしたね」
――振り返ると、91年にクリエイションはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』と、プライマル・スクリームの『Screamadelica』、それから『Bandwagonesque』をリリースして、レーベルとしては最初の黄金期を迎えました。そこで、シーンが大きく動き出したのを感じたんですよね。
「確かに」
――当時、UKインディー・シーンのアマチュアっぽさにイライラしていた音楽評論家たちは、『Screamadelica』や『Loveless』を過小評価していたんですけど、そういう辛口の人たちも『Bandwagonesque』は認めていました。それは、ドン・フレミング※がプロデュースをしていたからだと思うんです。
※ソニック・ユース『Goo』(90年)やダイナソーJr『Green Mind』(91年)、ポウジーズ『Frosting On The Beater』(93年)といった作品で知られるアメリカ人プロデューサー
「ちょっとニルヴァーナみたいな位置付けでしたよね」
――そうなんです。ただ、ブリットポップの影響もあったのか、続く『Thirteen』(93年)と『Grand Prix』(95年)で、ものすごくポップになった。個人的にはちょっと甘すぎるかなとも思っていたんですけど、『Songs From Northern Britain』(97年)ではグッとレイドバックしていて驚いた記憶があります。個人的には、あのアルバムが『Bandwagonesque』の次に好きですね。
「うんうん。僕もそういう感じで聴いていたし、たぶんそういうことなんでしょうね。『Thirteen』と『Grand Prix』は、アメリカでの成功も視野に入れていたのかも。でも人柄や風貌はロックスター的じゃない。いや、もちろんロックスターなんだけど、ミック・ジャガーみたいな感じじゃないもんね」
――ですよね(笑)。『A Catholic Education』以外ではどのアルバムが好きですか?
「僕も『Songs From Northern Britain』かな。結局のところ、あそこに結実した気がしますね。普通のスコットランドのおじさんたちが鳴らす、普通の音楽。地に足の着いたロックというか」