小さい頃は夏休みが永遠に続くような気がしたのに、最近では1年があっという間だ。仲の良かった友達とだって、ずっと一緒にはいられない――昨年デビュー25周年を迎えたグラスゴーのギター・ポップ・バンド、ティーンエイジ・ファンクラブ(以下:TFC)にも、2010年の前作『Shadows』の完成後、いくつかの変化が訪れた。ノーマン・ブレイク(ヴォーカル/ギター)はカナダに移住し、ジェラルド・ラブ(ヴォーカル/ベース)はライトシップス名義でのソロ・アルバムをリリース。レイモンド・マッギンリー(ヴォーカル/ギター)もスノウグースというバンドに参加するなど、メンバー全員が、お互いの人生を歩きはじめたように思えたのだ。けれども、彼らは帰ってきた。それぞれの宿題を終えて集まったTFCの新作『Here』には、バンド史上最大の6年間というインターヴァルがあるにもかかわらず、夏休み明けのクラスのように、少しだけ大人になった仲間たちの、いつもと変わらない笑顔と歌声が溢れている。学校を卒業することはできても、ロックンロールを卒業することは難しい。永遠のティーンエイジャーたちの〈現在地〉について、すっかりミドルエイジを迎えたノーマン・ブレイクが答えてくれた。

★曽我部恵一がTFCを語るインタヴュー

TEENAGE FANCLUB Here PeMa/Hostess(2016)

 

音楽の作り方は何も変わっていない

――こんにちは。いまはグラスゴーにいるんですか?

「そうだよ。いまは住んでいないから、久々に歩いてみると気分がいい。散歩を楽しんでるんだ。良い街だからね」

――あなたは2009年に奥さんの生まれたカナダに引っ越していますが、奥さんと出会ったのは『Grand Prix』がリリースされた95年頃だったと聞きました。どうしてまた2009年になって、カナダに引っ越すことになったのでしょう?

「僕たちには20歳になる娘がいるんだけど、彼女にカナダの伝統や文化を経験してほしくて、引っ越すことにしたんだ。自分たちにとっても、良い気分転換になると思ったしね。ずっと同じ景色のなかで生活し続けていくよりは刺激になるし」

『Grand Prix』収録曲“Sparky's Dream”
 

――あなたの娘さんもお年頃ですが、TFCについてはどう思っているのでしょう?

「娘は、あと数週間で21になるよ。どう思っているのか訊いたことはないけど、友達の前で父親のバンドの話をするのは恥ずかしいみたいだね(笑)。でも、好きではあるみたいだよ。彼女は日本の文化が好きだから、日本に連れて行きたいんだ」

――そういえば、彼女の名前が映画「ウィッカーマン」に登場する行方不明の少女に由来しているというのは本当ですか?

※異端宗教を扱った、70年代を代表するカルト・スリラー映画。最近では、レディオヘッド“Burn The Witch”のミュージック・ビデオが同作にオマージュを捧げる内容ということで話題を集めた

「うん、その映画のキャラクターから名前を取ったのは本当。ローワンっていう植物の名前でもあるんだ。70年代初期の映画で、すごく特徴のある素晴らしい映画なんだよ。僕も妻も好きなんだ」

――そして、6年ぶりの新作を届けてくれてありがとうございます!

「そうそう。6年もかかってしまったんだよな(笑)。レコードの制作自体は2012年に始めたんだ。当初のアイデアは、どこかに行って、アルバムをサッとレコーディングすることだった。で、おわかりの通り、そうはいかなかったというわけ(笑)。フランスに素晴らしいスタジオを見つけて、3週間かけて音のほぼ全体をレコーディングしたんだ。バッキング・トラックも、オーヴァー・ダブもそこでレコーディングした。でも、肝心のヴォーカルと歌詞を完全に仕上げることができなかったんだ」

――それで?

「そのセッションのあと、僕はカナダに、他のメンバーはグラスゴーに帰って、また数か月後に集まろうということになった。そしたら、その数か月後が8か月後になってさ(笑)。理由はないんだけど、流れでそうなったんだ。で、8か月後に僕がグラスゴーに来て、ヴォーカルのパートをレコーディングした。レコーディングの流れはそんな感じだね。そのあとは冷静な判断をするために、ミックスするまでにあえてしばらくレコーディングしたものを寝かせた。その間に使いたいミキシング・デスクがあるスタジオをドイツに見つけて、そこでミックスしたんだ」

――いまおっしゃった通り、本作はレイモンドの自宅とフランスの片田舎でレコーディングされたそうですが、なぜまたフランスだったのでしょう?

「すごく美しかったし、グラスゴーの外でレコーディングしたほうがインスピレーションを受けるからさ。あと、僕たちはあまり機材を使うのが好きじゃないんだけど、あのスタジオには古いEMIデスクがあった。いま、あのデスクで機能するものは世界に3つしかないらしい。60年代後半から70年代前半くらいの間に作られたものなんだけど、あのデスクから作られるサウンドは、本当に素晴らしいんだ。スタジオには春に行ったから気候も良かったし、夜の7時にはレコーディングを終えて、美味しいワインとチーズを楽しんでいたよ(笑)。すごく良い雰囲気でリラックスできたし、田舎で周りに何もなかったから、制作にフォーカスできた。素晴らしい経験だったね」

――アルバム・タイトルである『Here』については、あなたが作曲した“Live In The Moment”の歌詞がその説明になっている気がするのですが、アートワークにはどんな意味が込められているのでしょう。奥さんの作品なんですよね?

「いや、あれは彼女が描いたわけではないんだよ。彼女があの絵を店で見つけてきたんだ。誰が描いたのかもわからないし、どこで描かれたのかもわからない。アートワークのアイデアを考えている時に、妻がその絵のあの部分を選んで、〈これはどう?〉と言ってきた。で、それを他のメンバーにも伝えたら、全員が何か音楽と繋がるものを感じて、絵のあの部分を使うことにしたのさ。あと、タイトルを考えたのも妻だよ。アルバムが自分を連れて行ってくれる場所、みたいな意味なんだ。歌詞とも繋がっているし、良いアイデアだと思ったんだよね。曲の多くが、世界だったり、いま自分たちが置かれている場所だったり、〈Here〉という場所に繋がるんだ。特定の場所ではなくて、自分が関係していた場所や、いま関係している場所、どの場所にもなりうるんだよ」

――奥さんはどんな人なんでしょう?

「彼女はキュレーターなんだ。物理学者でもあって、アートと自然科学を繋ぐ仕事をしている。すごくおもしろい仕事だと思うね。画家というわけではないんだけど、常にアートに関係しているんだ」

――前作『Shadows』のレコーディングは2008年に行われたわけで、本作はあなたがカナダに移住してから初めてのTFCのアルバムということになります。環境の変化は作品にどんな影響を与えましたか?

「前のアルバムのツアーはカナダに越してきてからだったんだけど、時差ボケがなくて良かったな(笑)。作品の影響に関しては、自分自身ではよくわからない。制作のプロセスもあまり変わらないし、カナダでレコーディングしたわけでもないからね。でも、音楽的に可能性が広がったのはあるかもしれない。アメリカがあまり遠くないから、アメリカのアーティスト……例えばヨ・ラ・テンゴジャド・フェアーと共演する機会があったし、カナダに住んでいるアーティストと共演する機会もあったから、その経験で音楽の可能性が広がった可能性はあるね。ヨ・ラ・テンゴとは友達にもなったし、そういう意味では以前より音の幅が広がったとは思う。でも、音楽の作り方は何も変わっていないよ。どこに住んでも自分自身の中身は変わらないのと同じさ」

『Shadows』収録曲“Baby Lee”