2007年の設立以来、ポスト・クラシカルを牽引し続けるUKのレーベル、イレースド・テープスは2016年も見逃せないリリースを続けている。そのうちの一つが、ウッドキッドと二ルス・フラームによるコラボ作『Ellis』だ。ウッドキッドはケイティ・ペリー“Teenage Dream”やラナ・デル・レイ“Born To Die”などのミュージック・ビデオ製作や、ファレル・ウィリアムズのアート・ディレクターを担当しているフランス人映像作家、ルアン・ルモワンヌによる音楽プロジェクト。片やニルス・フラームは、ご存知ポスト・クラシカルの旗手として斬新なアプローチを盛り込みながら、世界的な活躍を続けるベルリン出身のピアニストである。
そんな2人が携わった『Ellis』は、ショート・フィルム「The Ghost Of Ellis Island」のために製作された作品であり、主演を務めたロバート・デ・ニーロの語りとニルスが弾くハルモニウムが、ピアノとヴァイオリン、鐘の音と共にゆっくりと空間を浸していく。坂本龍一がアルヴァ・ノトやブライス・デスナー(ナショナル)と共に作り上げた映画「レヴェナント:蘇えりし者」のサントラ(2016年)に顕著だが、クラシックと映画音楽の関係は近年新たなフェイズに突入しており、この『Ellis』も注目すべき音楽作品に数えられるべきだろう。今回は、現代音楽やECMの諸作も影響源に挙げている元・森は生きているの岡田拓郎に、本作に秘められたストーリーと音楽的な魅力を解説してもらった。 *Mikiki編集部
詩的な音響技法に支えられた、希望と嘆きの島のストーリー
メロディーと言うには、あまりに断片的な旋律の破片を奏でるピアノやエレクトロニクスを軸にした『Ellis』。一見エリック・サティやハロルド・バッドを彷彿とさせる、アンビエント作品とも言えそうなところだが、エレクトロニカ以降の音響技法が、このエリス島を彷徨う亡霊のためのサウンドトラックとして、音楽が情報や物語を想起させる詩的な表現の一端を大きく担っているところが、このアルバムの特徴であろうか。
本アルバムは老朽化の進むエリス島病院の保存活動の一環としてJRが制作、ロバート・デ・ニーロ主演のショート・フィルム「The Ghost Of Ellis Island」のための作品だ。デ・ニーロは移民としてやってきたものの、最後まで入国が叶わず、そのままエリス島で幽霊になった人物を演じている。ちなみに、フランシス・フォード・コッポラ監督の映画「ゴッドファーザー PART II」の前半シーンでは、シチリアからNYへと渡る際に、エリス島の移民局を通る少年が現れる。大人になりマフィアのボスとなったヴィトー・コルレオーネ。言わずもがな、彼を演じたのはロバート・デ・ニーロだ。そして彼もまた、大西洋を渡った欧州の血筋がルーツである。
19世紀の終わりからおよそ半世紀の間、エリス島は大西洋を渡って〈夢の国アメリカ〉をめざしてヨーロッパからやってきた、多くの移民たちの窓口となった。移民局はアッパー・ニューヨーク湾に位置するため、長い船旅もいよいよ終盤、希望に満ちた大陸を目にし、湾を滑りながら岸辺へと近付く船からは、自由の女神像を見渡すことができた。エリス島が移民局として機能する間に、およそ1,700万人の人々がここを通過している。新たな土地で、新たな人生の一歩を踏み出そうという人々にとって、エリス島は〈希望の島〉であった。しかし、100%が入国できたわけではなく、身元がはっきりとしない者、入国後とりあえずの生活をするための所持金を持たない者は、本国へ送り返された。病気や精神疾患の疑いのある者、妊娠をしていた女性も入国は認められず、長期間エリス島内の病院で治療が行われ、ここでは3000人以上の移民が本土に足を踏み入れることなく息を引き取ったという。ここは〈嘆きの島〉でもあったのだ。
時間という概念を見失う、彷徨える亡霊のためのサウンドトラック
フランス人芸術家のJRは、政治的な圧力であったり、経済的な困難など、社会的な問題を抱えた地域に住む人々の眼差し、時におどけてみせた表情などの顔写真を巨大プリントし、町中の外壁や乗り物に貼り付けた作品を制作してきた。イスラエルとパレスチナを隔てるヨルダン川の岸辺に特大プリントで展示された「Face To Face」や、ジェンダーの問題をテーマに世界各国を回った「Women Are Heroes」などの作品を見てみれば、時に感情的なメッセージを汲んだ言葉よりも、芸術作品が持ち得る詩情のようなもののほうが、人間の持つ感覚に強烈な精神的体験をもたらしうることを実感させられる。
淡々とした口調でみずからの体験を語る、彷徨える亡霊のためのサウンドトラックは、インディー・ポップ世代のセンスと、欧州圏のオーセンティックなクラシックや教会音楽の感覚を併せ持ち、EU版スフィアン・スティーヴンスとも思わず形容したくなる歌モノ作品『The Golden Age』(2013年)などで知られるウッドキッドと、アコースティックからエレクトロニクスまで自在に使いこなし、新世代らしい自由な発想でポスト・クラシカル~実験音楽の可能性を探り続けるニルス・フラームの共同名義となっている。
“Winter Morning I”は、少しずつ変化を遂げるものの、さほど印象を変えることなく淡々と紡がれるピアノの断片的な旋律感を軸にしながら展開される9分ほどの楽曲。JRが制作したショート・フィルムの意図に則った形で形成された、作品にリンクする映像的な旋律と言ってほぼ差し支えないと思うが、アップライト・ピアノのハンマーが弦を叩く微かな音、埃っぽく、ウェットな部屋鳴りまで収音した音響もまた、視覚や嗅覚を静かに刺激する役割を担っているように感じる。朽ちた廃墟にポツリと忘れられた楽器が、旋律というよりは〈響き〉と言ったほうがしっくりくる音楽を奏ではじめれば、幽玄なノスタルジアとある時点で時を止めてしまったような諦念や虚無感にも似た感覚を覚えずにはいられない。アンビエントであったピアノも徐々にテンポが生まれ出し、電子音や鮮やかなストリングスが彩りを与えて終盤へ向けて鼓舞していく様は、過酷な現状から脱却するために望んだ〈夢の国〉への入国がとうとう叶わなかった男が、とうに諦めているにもかかわらず、精神だけが現在も彷徨っている様子とリンクする。加速したストリングスとピアノの音色が深いリヴァーブのなか、フワリと何もない部屋へと吸い込まれていくラストはあまりに切ない。
デ・ニーロの語りも収録された“Winter Morning II (With Robert De Niro)”は、鐘の音で幕を開ける。しかし、その無機質な音色は時刻を告げるでもなく、この〈希望の島〉が持つ忘れ去られた過去へと時間を巻き戻すように、あるいは時間という概念を捨て去ってしまい、一切の感情を拒絶してしまったかのように残酷に響く。そして次に現れる、フラームの奏でる低音の強調されたハルモニウムの音色は、船舶の汽笛を思わせるだろう。ここで、いつの間にか視界はセピア色を帯びてくる。その後、現れては消え、現れては消えを反復し続ける2つのコードに基づくハルモニウムの中高音のハーモニー、船舶の汽笛を思わせる低音のドローン、微かなホワイトノイズ、そして冒頭に登場した鐘の音がだんだんと時間の感覚を曖昧にしていく。ネジを逆巻きにしたオルゴールのような物語がその間も淡々と語られていくのだが、最後の鐘が鳴り響けば、自分自身が、ふとスピーカーを前に音楽を聴いていたことを思い出す。