琉球古典音楽の今
明治以降の西洋偏重のおかげで、日本の古典音楽はすごく敷居が高いものだと多くの人が思うようになってしまった。古典音楽の録音は、その世界のトップによる演奏を「保存」する意味合いが強くなった。その後、箏・三味線・尺八などの世界では、若手も含めた演奏家が様々な録音を発表するようになったが、沖縄古典音楽では、演奏家は育っているものの、録音のヴァリエーションはまだそれほど多くはない。
そんな中、様々な角度と斬新な企画で沖縄音楽を紹介しているリスペクト・レコードが、沖縄古典音楽のアルバムをサラッとリリースした(いつもながらこのフットワークの軽さには脱帽だ)。そこに参加したのが沖縄古典音楽の中でも野村流の師範を務めている野原廣信。押しも押されもせぬベテランだが、さらに上には人間国宝を頂く世界。リリースまでに軋轢がなかったのだろうか。
「正直、仲間や先輩からは、賛否両論いろいろな意見がありました。でもこのアルバムは初めて古典を聞くような人、初心者でも入りやすいようなものを目指しましたし、そういった工夫もしています。例えば普通の琉球古典の演奏には入らない笛を入れたところです」
さらにこアルバムにはもう一つのメッセージが込められているという。
「命ど宝どう~何よりも命、そして平和が大切という精神ですね。それを反映した歌を選んだのです」
古典音楽の歌詞はほとんど8・8・8・6字のスタイルなのだが、この短い30字の中に深いメッセージが込められているのだという。
「仲風節(二揚)では、お互い真心を持って話し合えばわかりあえると歌います。今は国外でテロも頻発しています。でもそれを諌めるメッセージをこの歌はもっています。また、子持節では、子を亡くした浜千鳥に、やはり子を亡くした母親が思いを添わせる様が歌われますが、これはこの前沖縄で起きた事件に通じる。このように何百年前の歌が今でも通用するんです」
そう言われても、肝心な歌の内容がわからない、というのが現代人の感想だろう。
「聞きながら歌詞カードを見るといいですよ。今回は全曲日本語訳を付けていますから。そうすると理解しやすくなります。まあここは制作側の配慮なのです」
古典を代表する曲《かぎやで風》はいまでも婚礼、出産、新築祝い等、あらゆる祝いの席で歌われているという。それも種類によって様々な歌詞があるから、どんなものでも対応できる。生活に歌が息づいているわけだ。それは即ち心の余裕があることだと思う。伝統の音色に耳を傾け、それにあやかりたい。