2枚の写真から浮かび上がる戦後沖縄史
特定の場所を撮影した過去と現在の写真を並べ、その地の変容と時間の経過を示す。そうした写真集は近年数多く出版されているが、なかにはインスタントな作りのものも少なくない。最初に書いてしまえば、沖縄を舞台とする本書はそうした〈類書〉とは明らかに一線を画している。
沖縄の場合、風景の変容とは決して経済発展だけがもたらしたものではない。島を焦土と化した沖縄戦、アメリカ統治下での復興、そして1972年の本土復帰。沖縄社会は風景のみならず、社会そのものがひっくり返ってしまうほどの転換を幾度となく経験してきた。
そうした転換は、それぞれの写真に劇的な形で現れている。たとえば、国際通りにも通じる那覇の平和通りは現在、サンダルを引っかけた観光客が行き交う観光地だが、67年前の同じ場所では、米軍の軍用地拡大のため土地を奪われた伊江島の農民が窮状を訴える乞食行進(ムンクーチャ)を行っていた。また、1964年の段階では星条旗が掲げられていた米陸軍司令部の丘では、現在星条旗と日の丸が風にたなびいている。さほど変化が見られない風景であっても、車道に目を向けると、そこには右側通行の車道をアメ車が走っている。いずれの写真であっても、そこには沖縄~アメリカ~日本を巡る複雑な関係が刻み込まれているのだ。
一方で、さほど風景が変わらない場所もある。たとえば、うるま市石川の佐次田ベーカリー(現・アラモード)。ただし、そこに「石川民間人収容所から始まった沖縄諮詢会や沖縄民政府など、戦後沖縄は石川から始まったと言っても間違いではないだろう」というキャプションが加えられることによって、一軒の洋菓子店を捉えた写真が異なる意味を持ってくる。
挟み込まれるコラムもまた、写真の背景にあるものを鮮明に浮かび上がらせる。個人史に引き寄せながら沖縄と日本とアメリカを語る川平朝清、アメリカ人として復帰後の沖縄を見続けてきたラブ・オーシュリのコラムは短いながらも名文である。
丁寧な編集と調査、そしてそれを支える問題意識。すべてに一切の緩みがなく、圧倒的だ。