東京を拠点に活動する4人組、Helsinki Lambda Clubがファースト・アルバム『ME to ME』をリリースする。Analogfishの下岡晃をプロデューサーに迎えた同作は、The Wisely Brothersの真舘晴子とKidori Kidoriのマッシュがゲスト参加。多彩なフックを持ったメロディーとひねりの効いた日本語詞、さらに小気味良いアンサンブルをスマートにまとめたギター・ロックの好盤に仕上がっている。2000年代前半にストロークスやリバティーンズらが牽引したロックンロール・リヴァイヴァルの遺伝子を受け継ぎながら、クラウド・ナッシングスやスミス・ウェスタンズら同時代のガレージ・パンク/インディー・ポップとも共振する『ME to ME』は、多くのリスナーを魅了するだろう。
そうした音楽性が支持を集めてか、いわゆるJ-Rockシーンで活動するバンドマンから、NOT WONKやCAR10らKiliKiliVilla周辺の新世代パンクスまで、さまざまな磁場の同世代たちからラヴコールを受けているHelsinki Lambda Clubを、プロデューサーを務めた下岡は〈ニューオルタナティヴ〉と形容した。今回Mikikiではフロントマンの橋本薫と下岡の対談を実施。『ME to ME』が映し出す、新たな気運を紐解く。
どこにも属せない、ハマる場所がない
――まずはお互いの第一印象から教えてください。
橋本薫(Helsinki Lambda Club)「僕は高校生のときにAnalogfishの『KISS』(2005年)を聴いて以来のファンなんです。普段聴く割合は洋楽のほうが多いんですけど、日本のロックでは、洋楽っぽい下地を持ちつつハッとするような日本語詞が乗っていて、グッとくるものが好きだったし、Analogfishの音楽はまさにそうした感覚を呼び起こすものでした。なので、最初の印象というか、そもそもが尊敬するアーティストだったので、初めてお会いしたときは緊張しすぎて(笑)」
――去年発表したミニ・アルバム『olutta』のリリース・パーティーにAnalogfishを誘って、そこで初共演されたんですよね。
橋本「(リリパは)本当に好きなバンドを呼んでやりたいと思っていて、面識はなかったんですけど、ダメ元で声を掛けてみたところ、なんと承諾をいただいて。初対面のときは、自分が想像していた通りの独特な雰囲気を纏っていたし、実際に話してみても物事をいろんな角度から見ていて、あたりまえに思われていることでも、自分の視点で〈本当にそうなのかな〉と立ち止まって考える人という印象を受けました」
下岡晃(Analogfish)「そう捉えてくれているなら、シメたものですね(笑)」
―― 下岡さんはヘルシンキの音楽にどんな印象を持たれましたか?
下岡「本当におもしろいなと思ったし、少し懐かしい感じもしました。いま若いバンドのなかでは珍しい雰囲気というか、自分が上京した頃の下北沢――SPARTA LOCALSやフジファブリック、髭なんかがいたときの感じを思い出して」
橋本「いま名前を挙げられたバンドについては、僕も高校生のときからリアルタイムでめちゃくちゃ聴いていました。自分が意図している/していないにかかわらず影響が出ている部分はあると思います」
―― そのあたりのバンドは、HomecomingsやYogee New Wavesなどもファンだと公言していたり、橋本さん世代には影響力が大きいと思うんですけど、ストレートに打ち出しているバンドは少ないですね。
橋本「そうですね。いてもいいと思うし、いるもんだと思って活動していたんですけど(笑)。僕らの音楽はひねくれポップとか言われますけど、別にそんなにひねくれている意識はないし、わりとストレートにやっているつもりだったんです。でも、意外に僕らみたいなバンドはいなかった。だからこそ、どんなバンドとも共演できるんだと思うんですけど、どこにも属せない、ガチっとハマる場所がない、という違和感は常に持っています」
下岡「最初にヘルシンキのライヴを観たとき、ちょっと意外に思ったんですよ」
―― それはどういう面でですか?
下岡「稲葉(航大/ベース)くんのパフォーマンスとか(笑)。あとライヴハウスの客層が想像していた感じとちょっと違ったな。もっといわゆる邦楽のロック・フェスとかに行っているような人たちが多いのかなと思っていたんですが、もっとオープンな雰囲気だったし、お洒落な女の子も多くてイイなと思いました」
どれだけ瑞々しさを捕えられるか
――それからアルバムの制作を共に行うまでの関係になったわけですが、なぜ橋本さんは今回のアルバムでプロデューサーを立てようと思ったんですか?
橋本「初のフル・アルバムだし、コンセプチュアルに固めるよりは、自分が良いと感じる要素をしっかりまとめたいと思っていたんです。それまではセルフ・プロデュースでやってきたんですけど、僕自身が音楽的な理論に精通しているわけじゃないし、上手く言語化できない、形にできないものを、もうちょっとちゃんと形にする必要を感じていたので、プロデューサーを立ててみようと。下岡さんとはライヴを経て繋がりも持てたし、プロデュースされたKETTLESの『AQUATIC!』(2016年)もすごく良かったし、何より音楽の好みも自分と近いと思ったので、お願いしました」
下岡「(ヘルシンキからオファーをもらったときに)自分がプロデュースできるとすれば、こういうバンドだろうなと思いました。ライヴや音源に触れる限り、もう自分たち自身でやりたいことは見えているバンドだと思ったし、演奏も上手だったしね。アイドルみたいな、まだ何にもないものに色を付けて売り出すプロデューサーにはなれないけど、このバンドならやれると思った」
――彼らにとってのファースト・アルバムという点は意識しました?
下岡「それはすごくしました。橋本くんやメンバーたちが持っている特有のノリを活かしたかったし、音楽的にカチッとしたものをめざすのでなく、どれだけ瑞々しさを捕えられるかということを意識して。“This is a pen.”なんかはヴォーカル録りもほぼ1テイクだったんじゃないかな。すごく薫くんらしいテイクになっていたし、そうした点をいちばん大事にしようと思っていました」
――ファースト・アルバムとして何かモデルとなった作品はありますか?
橋本「うーん、アルバムを通してというのはちょっと思い付かないですね。(下岡さんは)何かありました?」
下岡「僕は何にも」
――じゃあ質問の幅を拡げて、お2人にとって最高のファースト・アルバムと言えば?
下岡「それは、いっぱいある気がするな。でもいま最初に浮かんだのは、ウィ―ザーの〈ブルー・アルバム〉(94年作『Weezer』)」
橋本「確かに〈ブルー・アルバム〉のような、あからさまにギラギラしているわけじゃないけど、ファーストならではの衝動が滲み出ている面はこのアルバムにもあると思いますね。もっと音楽的に近い部分で言えば、リバティーンズのファースト『Up The Bracket』(2002年)だったり」
――橋本さんは以前ヴューのファースト・アルバム『Hats Off To The Buskers』(2007年)をお気に入りの1枚に挙げられていましたね。
橋本「あー、そうですね。ヴューは特にあるかもしれない。あのアルバムは音楽を楽しんでいる感が出ていると思うし、僕らの今回の作品についても音楽性じゃなくて感覚的な部分で、そういうところを詰め込みたいなと思っていましたね」