美しくフューチャリスティックなビート・ミュージックをLAから発信してきた日本人プロデューサー、starRoがファースト・アルバム『Monday』を世に送り出す。氏の音がSoundCloud上で拡散し、新しい音を貪欲に探し求めるリスナーたちの衆目を集めはじめたのは2013年頃。そこから先鋭的なビート集団、Soulectionへの加入などを経てみるみる認知を広げ、2015年の初フィジカル作『Emotion』などいくつかのEPをリリースしながらワールドワイドな活躍を見せてきたわけで……この初フル作は多くのリスナーにとって文字通り、待望の一枚であるはずだ。
今回はそんな『Monday』を解き明かすべく、starRo氏へのロング・インタヴューを実施。氏のバックグラウンドはMikiki連載〈starRoのLos Angeles云々〉でもちょくちょく綴られてはいるが、改めて&じっくりと『Monday』に至るまでのストーリーを語ってもらった。
〈Low End Theory〉やジェイムズ・ブレイクの存在が想いを肯定してくれた
――starRoさんのサウンドは折衷的で、いろんな文脈が感じ取れるものですけど、音楽的なルーツはどのあたりになるんでしょうか。
「ひとつ選ぶとしたらジャズですね。親父がジャズのピアノをやっていて、お腹の中にいた時からジャズを聴いて育ってきました。親への反抗心があったのか、自分がジャズ・ミュージシャンになることはなかったですけど、僕の作る音楽のコードや音像、質感はジャズにすごく影響されていると思います」
――リスナーとしてもプレイヤーとしてもジャズからの影響が大きいですか?
「そうですね。音楽の入り口としては、父がかけていたレコード……ビル・エヴァンス、マイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックとか、60年代のものが多かったですね。あとビッグバンド・ジャズもよく聴いていました。7歳でピアノを始めた時はクラシックから入ったんですけど、中2くらいからジャズの真似事を始めて。その頃からソウルやR&Bといったジャズの影響を受けた音楽にも興味を持つようになって、ヒップホップも聴きはじめました」
――若い人はヒップホップから遡ってジャズやソウルを聴くパターンが多いですけど、小さい頃は同時代の音楽にあまり縁がなかった?
「まあでも、子供の頃に積極的に聴いていたのは当時の歌謡曲やJ-Popですよ」
――そこも普通に生活のなかで楽しんでいたと(笑)。音楽制作はどのように始められたんですか?
「中学の時にバンドを始めて、高校の時にオリジナル曲を作ろうということになって、打ち込みのデモテープを僕ひとりで作ったんです。そこからデモ作りにハマって、バンドはいいやって思っちゃったんですよ。全部ひとりで作ったほうが自分の世界観が出せるので、結局打ち込みがメインになったという」
――その後、starRoさんは社会人生活を経てLAに渡られますけど、音楽のために渡米されたわけではないんですよね。
「ええ。新しい人生を送れるんじゃないかという期待を持ってアメリカに行ったんですけど、その時点では正直なところまったくのノープランだったんです。それで2か月ほどプー太郎状態が続いて。でもその頃はすでに家族もいたので、ビビッて就職活動を始めたという(笑)。去年まで普通に働いていました」
★参考記事
【starRoのLos Angeles云々】Vol.7 アメリカをめざす人へ、僕から言える2つのこと
――渡った土地がLAというのも、その後の活動を考えると示唆的に思えますけど、そのチョイスも音楽とは関係なかったんですか?
「まったく関係ないです。渡米の数年前に旅行でLAへ行って、〈ここ最高だなー〉と思ったからという、まあ軽い気持ちですね。生活環境として良さそうだなと思っただけで」
――そうしてLAで社会人としての生活を始められて。そこからどのようにまた音楽へ向かったんでしょう。
「最初の頃は生活するのに精一杯で、音楽どころじゃなかったんです。友達もいない状態だったのでクラブに行くこともなく、クラブから離れるとクラブ・ミュージックを聴かなくなってしまって。そういう日々だったから音楽の趣味も変わって、ネオ・フォークとかシンガー・ソングライターものを聴いていましたね。で、渡米から4~5年経ったくらいで生活に余裕も出てきて、ちょっとずつ音楽制作を再開しました。それくらいの時期にLAへ来てから初めてクラブに遊びに行ったんですよ。90sっぽいヒップホップがかかっているクラブはないかなあとネットでいろいろ探していたら、〈Low End Theory〉を見つけて」
――LAビート・シーンの拠点のようなパーティーですね。
「その時は〈Low End Theory〉が始まったばかりの時期で、僕はまったく知らなくて。タイトルからしてトライブ(ア・トライブ・コールド・クエスト)だし、こりゃ絶対90sっぽいだろうと行ってみたら、全然違ったんですよね(笑)」
――ハハハ。
「でも、その〈Low End Theory〉がすごく衝撃的だったんです。僕みたいなトラックメイカーがステージに上がってショウをやって、それで物凄い盛り上がっていた。自分もそういうことをちょこちょこやってはいたんですけど、やっぱりやっていいんだ!と思えたんです」
――パーティーの場でビートメイカーがフィーチャーされるというのは、〈Low End Theory〉が先駆けかもしれないですね。そこでまた現行のクラブ・ミュージックに興味を持ったわけですか。
「まさにそうですね。そこで自分がやろうとしていることを肯定してもらったのが、音楽に向かううえでデカかったんです。それともうひとつ、自分の背中を押してくれたのはSoundCloudですね。たまたま〈Low End Theory〉で出会った友達にSoundCloudの存在を教えてもらって、自分の音源をSoundCloudにアップしはじめたんです。それを始めた頃のフォロワーは40人くらいでしたけど、新しいトラックをアップすれば何かしら反応をもらえることが新鮮で。それで、どんどん曲を作ってアップするようになったんです」
――そうしてネットを軸にして活動されるなかで、大きく注目されるきっかけになったのがジャネット・ジャクソン“Any Time, Any Place”のリミックスだったと思います。そしてこのあたりで、starRoさんの現在に至るスタイルも確立されたのかなと。
「ジャネットのそれをアップするちょっと前にリミックス・コンテストがあって、アリシア・キーズ“Fallin'”のリミックスを作ったんです。それが現代的なサウンドに90sの要素を絡めるというスタイルのきっかけになったんですよね。こういうのもありだなと。90sのR&Bはずっと好きでしたし、それがリヴァイヴァルしてくる時期で」
――そういうオルタナティヴなR&B、〈フューチャー〇〇〉と形容されるような音楽は、〈Low End Theory〉とはまた別の文脈ですよね。そういうものに興味が向いたというのは?
「なんですかね……ジェイムズ・ブレイクの最初のアルバム(2011年作『James Blake』)が大きかったかもしれない。ゴスペルとか黒人音楽をシンセ主体のサウンドでまとめて、それが大きく売れたというのが画期的だなと思ったんです。自分はまずシンセを使いたいという気持ちがあるんですけど、シンセのサウンドとR&Bやオーガニックなものを組み合わせたという意味で、ジェイムズ・ブレイクはフューチャー的なもののきっかけなんじゃないかなと」
――シンセを使いたいというのは?
「ヒップホップは昔サンプリング主体で、むしろ鍵盤を弾いて音を構築していくのはダサイという時期がありましたよね」
――90年代までは、サンプリングによる非音楽家の音楽という側面がデカかったですからね。
「ええ。でも僕はサンプリング・ソースを探す時間のほうがもったいない、自分で弾いて作れるのに……という気持ちがあったんです。それが、ネプチューンズがシーンを席巻したくらいの時期から、ヒップホップに演奏した音を混ぜる流れが出てきた。そこで、自分が内に秘めていた想いが肯定されたというか」
――starRoさんがプレイヤビリティーを持っているからこそのジレンマが解消されたと。
「生演奏のヒップホップ・バンドは前からいましたけど、僕のやりたいことはバンドじゃなかったし、自分ひとりで弾いて丸ごとトラックを作る人はいなかった。なので、トラックメイカーひとりでステージに上がっていいんだ、シンセを弾いてトラックを作っていいんだ、と自分が我慢していたものすべてが肯定された。じゃあ!と、どんどん曲を作っていけたんです」
――クリエイターとしての情熱に火が点いたわけですね。その勢いと呼応するように、starRoさんの知名度もどんどん上がっていったように思います。
「Soulectionにピックされて、グッと注目されたのが2013年の夏くらい。そこから1年半のスピード感は確かにすごかったです。逆に言うと、その勢いも去年ひと段落した感はあって」
――2015年は〈遅く感じた〉とSeihoさんとの対談でもお話しされていましたよね。そのへんをもうちょっと詳しく伺いたいです。
★参考記事
【starRoのLos Angeles云々】Vol.6 Seihoと語る、互いの活動スタンスや両者から見た日本とアメリカのクラブ・シーンの実情
「はっきりとした理由はわからないんですけど……音的にR&Bネタを使ったスタイルが一巡したし、シーンも消費された感じがして。そういう状況で、これからどういう音を作っていくべきかを考えはじめたんです。そもそもSoundCloudが厳しくなって、ブートレグ音源がアップできなくなったことも関係しているのかもしれないですね」
――SoundCloudのトレンドもどんどん切り替わっていくし、消費のスピード感も速くなっている印象を受けます。
「世代交代がどんどん進んでいて、Soulectionも2013年あたりでは先陣を切って走っていましたけど、いまはフィルム・ノワール(Film Noir)とかハタチくらいの新しいクルーがどんどん出てきていますし」
――作り手はそのサイクルに乗っかるか、乗っからないかという判断が問われている気もします。
「本当にそうです。そこで悩んだのが2015年ということなんでしょうね。このサイクルに乗ったら終わっちゃう。自分のスタイルで何かを作らないと生き残れないなと」