
『Silk Degrees』(76年)などの傑作を連発し、70s AORの代表的なアーティストとして知られるボズ・スキャッグス。“We're All Alone”などのヒットでここ日本でも親しまれているヴェテランだが、近年は『Memphis』(2013年)と『A Fool To Care』(2015年)という2作で自身のルーツであるブルースへと回帰。その3部作完結編となるのがこの度リリースされた『Out Of The Blues』だ。
本作のリリースを記念して、コンピレーション〈Light Mellow〉シリーズの監修や執筆で知られるAOR~シティ・ポップ・マスター、金澤寿和にボズ・スキャッグスへの取材を依頼。ボズのキャリアを振り返りつつ、ニール・ヤングのカヴァーも含む新作を紐解いた。 *Mikiki編集部

BOZ SCAGGS Out Of The Blues Concord Records/ユニバーサルミュージック(2018)
ボズ流AORは一夜にして誕生したワケではなかった
ボズ・スキャッグスから3年ぶりとなる新作『Out Of The Blues』が届いた。この作品は、彼が自らのルーツに回帰した3部作の最終章と言われている。ソウル〜R&Bの名曲カヴァーをタイトル通りの所縁の場所でレコーディングした2013年作『Memphis』、内容はそのままにナッシュヴィルで制作した2015年作『A Fool To Care』、そして今作がその総括。
だが日本の音楽ファンの多くは、そうした方向に向かうボズを意外に思っているのかもしれない。我が国でのボズは、出世作となった76年作『Silk Degrees』と日本独自にヒットした甘いバラード“We're All Alone”のイメージが強く、それ以来40年以上も〈AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の先駆者〉として位置づけられてきた。
実際その後続作『Down Two Then Left』(77年)や『Middle Man』(80年)もその流れで人気を博し、後に“Rosanna”や“Africa”のヒットで知られてグラミーを総舐めにするTOTOが、実はボズの『Silk Degrees』でバックを務めていたことも、彼のAORイメージを強固なモノにした。
そのボズの持ち味は、ソフィスティケイトされたブルー・アイド・ソウル。でもこうしたボズ流AORは、一夜にして誕生したワケではなかった。
初期のブルースからAORの金字塔『Silk Degrees』へと至るキャリア
彼は初期スティーヴ・ミラー・バンドの在籍を経て、69年に米アトランティックから本格デビュー。最初のアルバムはマッスル・ショールズでレコーディングされ、デュエイン・オールマンがガッチリとサポートしたブルース色濃厚な内容だ。アルバム・タイトルも原題は『Boz Scaggs』だが、邦題は〈ボズ・スキャッグス&デュエイン・オールマン〉と、まるで共演作のような体裁になっている。
その後はサンフランシスコで自分のバンドを率いたり、シンガー・ソングライター色を強めたりしながら、74年にモータウンのプロデューサー:ジョニー・ブリストルと組んでソウルフルな『Slow Dancer』を発表。そこでの経験や成果を新しい白人スタッフと共に再構築し、小洒落たイメージで表現したのが『Silk Degrees』だった。
これが大きなヒットになり、ドレスコードつきのコンサートを開くなど、当時の音楽シーンのトレンドセッターにのし上がったのである。ボビー・コールドウェルやルパート・ホームス、クリストファー・クロスらの商業的成功は、ボズのヒットなしには生まれ得なかったのだ。
ルーツ回帰3作目、新作『Out Of The Blues』
80年代、しばしのブランクを経たボズは、AORに偏らず、ブルースやジャズ・スタンダードに傾倒した作品を出して賛否を分けてきた。しかし前述した『Memphis』で一気にルーツへ戻り、その大らかな表現が高評価を得た。ブルース・アルバムの発表は初めてではなかったのに、ある種の円熟味、懐の深さが馴染みやすかったのだろう。
そしてこの新作『Out Of The Blues』で、ルーツ回帰も3作目を数えることに。でもコレは予め計画された作品ではなく、ボズにもそうした意図はなかったそうだ。
「アプローチが前の2作と似ていたから、3部作にしようと思っただけなんだ。自分がおもしろいと思う音楽に直感的に従っていく過程でこうなった。だから3部作にする必要性はなかったんだよ。でも自然に流れができたし、そのほうが良いと思った。前2作との違いは、自分が音楽を始めた頃に影響を受けた音楽に、より近づいたこと。こうしたアプローチは今回が初めてだったね」
収録曲にはボビー“ブルー”ブランドのカヴァーが2曲、『Memphis』でも取り上げたジミー・リードのレパーリーが再び。マジック・サムにも挑戦している。
「ボビー“ブルー”ブランドは、確実に自分が興味深いと思った音楽のひとつだったから、この3部作にちゃんと収録しておきたかった。ジミー・リードも自分の音楽スタイルにとってすごく重要なアーティストだね」
対してマジック・サムは、それほど詳しくなかったとか。ここ数年、よくロス・ロボスのライヴに飛び入り参加するそうだが、そのときにデイヴィッド・イダルゴから提案され、いつしか懐かしさを感じるようになったマテリアルだという。
LA録音、クセ者ギタリスト2人を含む参加メンバー
プロデュースは、キース・リチャーズやジョン・メイヤーを手掛けたスティーヴ・ジョーダンから、ボズのセルフ・プロデュースにスイッチ。
「前2作を作る過程で、自分が何をしたいか、という強いアイデアを持つようになった。だからそれを自分でコントロールしたかったんだ。スティーヴはドラマーだからそこは交代したけど、それ以外は何も変わらなかったよ。音楽へのアプローチも、ほぼ同じだった。音楽は心地良かったし、共演したミュージシャンたちも居心地が良かった。簡単ではなかったけど、自然な流れでスムーズに作業を進めることができたと思っている」
ではこの3部作で、メンフィス〜ナッシュヴィル〜LAと制作場所を移していったのは何故か?
「最初はメンフィスでレコーディングし、次は少し違うサウンドを求めて、実験的になれるナッシュヴィルのスタジオを見つけた。もうひとつの理由は、協力してくれるミュージシャンたちがナッシュヴィルにいたから。
今回はサンフランシスコでセッションがスタートしたけど、必要なミュージシャンはみんなLAに住んでいた。だからそのほうがやりやすかったんだ。シスコには良いスタジオが少ないしね」
参加メンバーの多くは前2作と重複していて、レイ・パーカーJr.(ギター)、ウィリー・ウィークス(ベース)、ジム・コックス(キーボード)が連続組。ドラムは旧知の重鎮ジム・ケルトナー。ホーンにはタワー・オブ・パワーのメンバーが参加している。
そしてエリック・クラプトンやロジャー・ウォーターズ、テデスキ・トラックス・バンドらと縁深いドイル・ブラムホールII、ボブ・ディランのサポートで知られるチャーリー・セクストンという2人のクセ者ギター弾きの名が新たに連なることになった。
「曲のいくつかに、特別なテキサスのフィーリングを持った作品があってね。テキサス・サウンドといえば、いまの私にはドイルとチャーリーだった。最近彼らと共演したことがあって、それを機に、もっと彼らと演奏したいと思っていたんだ。音楽的にも似ているしね。彼らはそれぞれに唯一無二のユニークなスタイルを持っていて、何よりエナジーがスゴイ。それが私には、とても美しいサウンドに聴こえるんだ」
何度目かのピークを迎えている2018年のボズ
ソウルやブルースの名曲に加え、前作ではザ・バンドやボビー・チャールズ、前々作ではスティーリー・ダンの楽曲をカヴァーしていた。今回は息子たちからの提案で、ニール・ヤング“On The Beach”をチョイスしている。
「最近のニールをどう思うか、だって? 彼がいま何をしているかはわからないよ(笑)。でも未だに多くの人々に聴かれる音楽を作り、パフォーマンスしている素晴らしいミュージシャンであることは変わらない」
むしろ重要なのは、ボーナス曲を含む6曲を提供(1曲はボズと共作)しているジャック・ウォルロスの存在かもしれない。
「自分がもっとも影響を受けた音楽や、ハイスクールの頃に聴いて感銘を受けた音楽。そのアプローチをジャックと一緒に発展させていったのが、この作品なんだ。彼とは10年以上サンフランシスコで一緒に曲作りをしていて、受けてきた影響も似ている。彼のテイストが大好きなんだ」
一方でこの新作には、ボズがヨーロッパを放浪している頃に作った幻のデビュー・アルバム『Boz』と構成が近い、という指摘がある。同作が録音されたのは、65年のスウェーデン。ボブ・ディランのカヴァーやオールマン・ブラザーズで有名になる“Stormy Monday”など、フォーク・ブルース系の楽曲をアコースティック・ギターとハーモニカで弾き語ったものだ。300枚しかプレスされず、スウェーデンでしか発売されなかった。オリジナルLPの取引価格は6桁を下らない。
「数日前にもそう言われた。でも自分自身はまったく意識していなかった。だって、何の曲を収録したのかさえ覚えてないぐらいからね(笑)。考えても思い出せないから、何が似ているのかもわからないんだ。まぁ、どちらも私が作ったモノから、自然と似るのかもしれないね」
元気なうちにやっておきたいことを尋ねると、「もっとレコードを作って、ツアーをすること」という応え。いままさに何度目かのピークを迎え、心身ともに脂が乗っているボズなのである。